日 録 2003年1〜5月

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5月31日(土)初日4日前
カウントダウンもいよいよ大詰め。稽古場の緊張感も一段と高まってきた。全体の流れについてはもう言うことはない。絵にたとえれば、気になる箇所があれば、部分的に色を少し濃くしたり薄くしたりする程度で全体のよりよい調和をはかるだけでいいと思う。明日稽古場で1回通して、明後日から劇場へ入る。稽古は4時半に終わり、新宿へ。定例の朝日カルチャーセンターでのフェルデンクライス・レッスン。

このファイル、だいぶ重くなってきたので明日からは新ファイルを立ち上げる。


5月30日(金)初日5日前
山田太一氏を迎えて1時から通し稽古。アドレナリンの分泌がよかったのか、第1幕は快調だったが、第2幕は少し調子が狂ってぎくしゃくとした。通しが終わって2場面ほど手直しをする。しかし、振り返ってみると、この1週間にかなりの上昇カーブを描いたと言っていいだろう。先週末に比べれば格段の差だ。作者・山田さんの満足度もかなり高かった。もうデテールにこだわる必要はないだろう。演出者の仕事は、役者同士のエネルギーが上手く交差して相乗効果を発揮するのを手助けするだけだ。その点からすると、舞台の温度はまだ1段も2段も上がらねばならない。全体の内的な動きが大きなうねりにならねば・・・。


5月29日(木)初日6日前
いよいよあと1週間を切った。昨日に引き続き通し稽古を2回。2回目はかなりいい線になった。しかし、若手たちは別として、疲労度が目立つ。ここで余り無理をせず、明日は通し1回にして、必要と思われる箇所だけ抜くことにする。もう少し弾みが出れば言うことないのだが、そればかりは計算できない次元だ。これだ!というところが随所にあるので、それを手がかりにするしかない。期待と不安が交錯し、やや神経質になっている自分がいる。


5月28日(水)初日1週間前
午後1時から1回目、4時から2回目の通し稽古。昨日に比べ調子がかなり落ちた。各人物の心の動きが形骸化していた。というか、できあがったレールの上をバランスよく走っているという感じ。次の一歩、あるいは行く先が分かっているという走り方・歩き方のせいだとでも言うしかない。一寸先は闇という緊張感・危機感がなくなると、芝居はパターン化する。いつバランスを崩すか、というはらはらどきどきがなくなると、舞台はエネルギーを失う。2回目は若干よくなったけれど、守りの姿勢がある限り先へは進めない。常に危険を犯して攻めの姿勢を貫くことが大切だ。確かにこれは、言うは易く行うは・・・であるが。


5月27日(火)
1幕2場と2幕の幕切れの抜き稽古のあと、3時から音楽と効果音を入れて通し稽古。取材記者1名もギャラリーに。序幕からいつになくテンションは高い。第1幕の流れに起伏が生まれ、躍動感が出てきた。稽古はこれでなくては。第2幕に入り、中ほどからは、何度か胸に突き上げてくるものもあった。演出者がこんなことではいけないが、今日の通しでは一人の観客になったつもりで観た。明日から連続3日間、毎日二回の通し稽古を予定。主役の中野誠也は特に疲れるだろう。そういえば、本番間近になると、くたくたに疲れるまで稽古をするのは、ピーター・ブルックのやり方だった。疲れ果てて理性のタガを外すのが目的のようだった。あれを思えば、W3連チャンはさほどのことでもないか。結果が楽しみではある。


5月26日(月)
2場面を抜き稽古のあと、3時過ぎから通し。休み明けで第1幕はやや低調。第2幕に入って徐々に調子が上がってきた。自分中心の演技が全体をダメにする。自分を捨てて相手のために演技ができるようになること、これがアンサンブルの極意なのだが・・・。幕切れの浜田さんの芝居がよくなってきた。若者たちも。

稽古後、「蘇州夜曲」のメロディーをトランペットで録音。


5月25日(日)
久しぶりの休みだが休養にはならず、近所へ買い物に出かけたり、たまっていたデスクワークなど、雑事に追われて一日が終わる。なんと言っても俳優座とFCJサイトのメンテナンスにはかなりの時間を食われる。一区切りついたところでテレビをつけると、上原が久しぶりにいいピッチングをしていた。大差で勝ったが最下位相手では自慢にはならない。来週の直接対決でどこまで首位との差を詰められるかが問題だ。

「三人姉妹」の台本に少し手を入れる。空白期間が長かったので、枝葉のことが気になってなかなか集中できない。第1幕だけ目を通してみたが、初日をあけて余裕ができてから一気にやった方がいい。明日からの直線コースにそなえ、今夜はワインでも飲んで早めに寝るのが正解であろう。


5月24日(土)「エレファント・バニッシュ」世田谷パブリックシアター
1時から通し稽古の後、照明・音響の打合せ。それも4時過ぎに終える。時間が余ったので浜田、可知、片山、香野と「真希」でビールを飲みながら歓談。明日は初日まで唯一の休養日、くつろいだ気分。6時にそこを出て三軒茶屋へ向かう。「エレファント・バニッシュ」プレビュー。

何かと前景気を煽られたサイモン・マクバーニー演出のこの舞台。結論から言うと、期待したほどじゃなかった。ビデオカメラ、モニター、ビデオプロジェクターなどを多用し、俳優は全てマイクを通してしゃべる。ビデオカメラで自分を映しながら演技をしたり、ワイヤで吊された俳優がアクロバティックな空中遊泳じみた動きをする。ぶら下げられた複数のモニターが舞台中空を左右に移動する。ホリゾント一杯に投影されるビデオ画像。演出家のお遊びの目立つ休憩なしの2時間であった。夕方に飲んだビールのせいもあって途中何度か眠気に襲われた。
「象の消滅」などの短編に材をとった作品らしいが、「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」など最初期の作品群以外はそれほど熱心な読者ではないので、この舞台がどういう具合に村上春樹の世界と交わっているかは判断のしようがない。現代日本の都市生活者の心象風景のコラージュのような舞台から感じられるのは、ある種トレンディなパターンでしかないような気がする。舞台空間の構成力自体はなかなかのものではあるが、贅沢で無害な遊びを見せてもらった感。客席はいつもガラガラの3階席までぎっしりで、1階には立ち見も出る。カーテンコールには一部熱狂的ファンのかけ声もとんでいた。


5月23日(金)
ブレヒトは、稽古の終盤になると小学生か中学生たちを呼んで稽古を観せたそうだ。先入観のない無心な観客の反応を楽しみにしたという。確かに、稽古も第4コーナーに差しかかると、当事者たちには判断のつきかねることがいろいろ出てくる。果たしてこれでいいのか、やりすぎると観客に拒否反応が出るし、足りないと食い足りないということになる。実際には幕をあけてみないと分からないのだが、事前に多少なりとも手がかりとなるギャラリーがほしくなってきた。今日は一人ギャラリーがあった。といっても身内だから点数は甘いだろう。好評だったからといって安心しちゃいけない。
明日は今週最後の通し稽古。来週月曜からは初日まで休みなし、最後の直線コース。集中力とバランス感覚が極度に要求される。樹を見ながら森も見なければならない。夜更かしとアルコールは控えるとしよう。
明日は稽古後、SePTで「エレファント・バニッシュ」を観る予定。


5月22日(木)
午後1時から第1幕の繁と咲の場、第2幕の頭と幕切れを抜き稽古。3時からの通し稽古に合わせて山田太一さんが久しぶりに稽古場へ。若干セリフが増えたりしたが、概ね満足そうであった。いくつかアドバイスもあって、これからの作業の参考になった。
この作品は「黄金色の夕暮」の姉妹編だとパンフ原稿に山田さんが書いているが、作劇術からすると、「黄金色」よりも「離れて遠く二万キロ」の方法に近い。1対1の対話が多い前者に比べ、今回は多人数の対話というよりも言葉が飛び交う場面が多く、それの微妙なバランスが必要になってくる。「離れて遠く・・・」は若者の芝居だったからまだやりやすかったが、今回は大人も交えた芝居だから、なかなかに難しい。ま、しかし、ようやくトンネルの出口は見えた。安心はできないが、確かな手がかりは感じている。
秋のチェーホフ連続公演のチラシのゲラ刷り上がる。何となく気が急いてくる。幕をあけたらこちらの台本を早めに仕上げなくては。4月中になどと豪語していたが、間に合わなかった。6月からは研究生1年の夏の発表会の準備もある。これは昨年度と同様、「白いスケッチブック」のタイトルでやる予定。・・・しかし、初日をあけるまでは全てを忘れよう。


5月21日(水)
不安定な部分を何カ所か取り出して抜き稽古の後、序幕から終幕まで通してみた。今から言うのは早いかもしれないが、かなりいい上がりになりそうだ。いくつか磨き上げるべきポイントはあるが、まだ時間はある。少し安堵する。7時近くに終わる。


5月20日(火)
場面ごとに抜き稽古と通しを繰り返して一通り最後までやる。明日あたり一度通してみるか。


5月19日(月)
稽古は12時から6時まで、抜き稽古を入れながら、全幕をやる。今週は毎日一通りやる予定。場面ごとに一部分の抜き稽古をしたあと、各場面ごとに通すことにする。だいぶ問題点が絞られてきた。


5月18日(日)
5月の日曜コース・フェルデンクライス講習会。第1部はシンプルでソフトな動き、第2部では胸郭の可動性をテーマに、ヨーガのポーズなどを応用して行う。終わって笑笑で歓談小一時間。


5月17日(土)
昨夜寝る前に初稿台本と修正台本をじっくり読み比べてみた。その結果、貫太郎登場以下の場に入れたかなり大胆なテキストレジが、幕切れのドラマの広がりを萎縮させていることに気がついた。迂闊であった。内部告発をめぐる理想論と現実論の葛藤も、この作品の主題としてはっきり提起しておかねばならない。貫太郎の語る戦争体験のエピソードが各人物の心の奥にどのような波紋を広げるか、そのさざ波の徐々に大きくなっていくリズムが歌につながっていく、そのような広がりの中で幕になるのがいい。
今日の稽古では刈り取っていたセリフを大幅に復活させた。その結果、全体の流れがやっと落ち着いて腑に落ちるものになった。あと2週間。ようやく仕上がりの目処がついた。いよいよ第3コーナーにさしかかる。舞台装置の発注終わる。
5時に稽古を終えて新宿朝日カルチャーセンターへ。連休があったりで、約1ヶ月ぶりのレッスン。背骨の動きと骨盤時計のレッスンを取り上げる。


5月16日(金)
今日の稽古は第1幕のみ。幕開きから第2場のラストまで、かなりドラマとしての弾みが生まれてきた。若ものたちもよくなってきたし、大人たちもそれぞれによくなってきた。明日は第2幕だ。こちらはまだ問題がある。明日どこまで行くか。
帰宅して対阪神戦をテレビにかじりついて観る。ラス、河原のリレーで虎を完封。清原と仁志の一発。言うことなし。明日・明後日とフェルデンクライスのレッスン日が続く。とりあえず明日の準備を済ます。


5月15日(木)
今日は第2幕にこだわる。6時までかけて第2幕のみ。幕切れには、まだ複数の選択肢を残す。そろそろ絞り込まねば。明日は第1幕。


5月14日(水)
今日の稽古は第1幕のみ。12時から4時半までかけて、何カ所か不確定な部分に手を入れて繰り返す。来週からは喜劇的なアクセントをつけなければならないが、今週一杯は自然な流れを重視して細部の手直しに集中しなくてはならない。曖昧な部分、濁った部分は少なくなったと思う。4時半以降は、若もの3人だけ残って抜き稽古。かなりよくなってきた。後は自信をもってやってくれれば‥‥。


5月13日(火)松田正隆「涙の谷,銀河の丘」新国立劇場
今日は12時からの稽古。稽古前に六本木でランチタイムの昼食をすませる。第2幕から始めて第1幕へ戻る。6時前に稽古を終わって大急ぎで初台へ。殆ど開演時間ぎりぎりに新国立劇場へ駆けつける。
作・演出ともにかなりの意欲作であることに間違いはないが、若干空回りの感、なきにしもあらず。四人姉妹の戦後生活史を軸に、敗戦直後、高度成長期、平成現在の衰弱期の三つの時代を背景に、精神世界を絡めて描くという壮大な構想で、3時間以上の大作。中劇場の大きな空間にヒロニムス・ボッシュの画に材をとった大がかりな装置を組み上げる。発想としては分かるが、いささかあざとすぎやしないか。四人姉妹の家族のドラマに絞って小空間で描いたほうが、緻密な劇世界が構築できたように思うが、どうだろう。


5月12日(月)
第1幕の1場と2場、そして第2幕の後半をやる。気になっていた何カ所かのミザンセーヌを修正する。小道具に関していくつか注文を出す。また、仕掛けものが2種出ることになっている。稽古後、舞台部スタッフが製作にかかる。勿論一日でできるような生やさしいものではない。何日かかかるであろう。しかし「九番目のラオ・ジウ」ほどではないが・・・
激しく空腹を感じたので、六本木で食事をしてから電車にのる。そのとき飲んだビールがいけなかったか、途中居眠りしてしまい、勝田台に着いたと思って急いで飛び降りたら、まだ船橋だった。先日は逆に次の駅まで乗り過ごしてしまい、登りの電車がなくてタクシーで戻る羽目になった。年に何回かはこういうことがある。


5月11日(日)
早起きはできなかったが、10時ぐらいからパソコンに向かって原稿を書き出す。パンフ原稿のほかにもう一つ、毎日の中学生新聞の演劇欄に出す記事も書かねばならない。午前中にパンフ用を仕上げ、息抜きに買い物などに出かける。戻ってきて一通りチェックしてメールで送信。その後、夕方までにもう一つを書く。


5月10日(土)
今日も第2幕のみ。ようやくポイントの一つが見つかったようだ。それを軸に再構築だ。と言っても別に稽古が混乱するわけではない。現段階ではぼくの頭の中のイメージをリセットしておくだけでいい。後は各部に具体的な修正を加えながら発酵させていくことになる。‥‥‥気がつけば、あと3週間。焦るな。落ち着け。
明日は稽古休みで、6時過ぎから稽古場は明日の新人歓迎パーティの準備でごった返していた。残念ながら、原稿書きがあるので、ぼくは欠席だ。すぐ帰宅して原稿に取りかかろうと思っていたが、控え室で浜田、可知、片山らと話し込んでいるうちに、ラオジウの終演時間になってしまった。アルコールがあったのもいけなかった。今夜はもう悪足掻きは止め、明日少し早起きして、すっきりした頭で取りかかった方がいい。と、勝手な理屈をつけてプロ野球ニュースをのんびり梯子する。新人木佐貫が完投し、復帰清原が5打点の活躍。


5月9日(金)第2幕
初めて修正版第2幕を幕切れまでやる。別の芝居になったかと思われるほどに変化した。各自の思いが火花を散らして交錯し合い、劇的に高揚してラストに向かって疾走する。このしなやかなスピード感を最大限活かすことができれば・・・。祖父が登場する直前は、おもちゃ箱をぶちまけたような風景にも見えるし、祭りの後の寂寞と虚脱とある種の開放感か・・・。多分ここでもう一つ転回するモメントが必要に思える。うん、あるイメージが湧いてきた。それがもう少し鮮明になってくるのを待つとしよう。
早めに帰宅して原稿を書くつもりだったが、今夜も時間切れだ。明日の締め切りには間に合いそうもない。


5月8日(木)「九番目のラオ・ジウ」俳優座劇場
外国演劇というと欧米演劇になってしまう日本の演劇風土の中で、シンガポールの中国系作家の代表作を上演。作品は東洋演劇の伝統、特に中国源流の東南アジアの演劇の手法を念頭に書かれているようだ。その辺のことには疎いのでそれ以上のことは言えないのだが、我が俳優座にとってはかなり挑戦的な企画だと思う。外に対してもそうだが、内に対してのほうがよりそうであるべき企画である。つまり、自らの寄って立つ西欧的リアリズムの呪縛からどこまで自由になれるかが問われるはず。そのことを期待して観た。
舞台は、人形と人形劇、様式的な動きを多用した、おもちゃ箱をひっくり返したような賑やかな、祝祭的空間を意図したもののようであった。これはこれで一つの方向だと思う。俳優たちの演技に関して、感情移入型のリアリズムなのが違和感を覚えた。特にラオジウがエリートコースから逃げ出すまでの前半の部分では、狂騒的リズムでお祭り騒ぎ的な展開だが、その中に、あえて言えばブレヒト的な叙事的演技、クールな遊びの感覚があってよかったのではないだろうか。後半、幕切れに向かっての静謐に収斂していく流れは秀逸であった。それにつけても、前半の狂乱のコントロールがもう少しあればと思った。いずれにしろ、今日は初日だから、これから回を重ねるにつれて変わっていくことだろう。
主人公ラオジウを心と体に分けて二人で演じた意図が、いまいちよく分からなかった。


5月7日(水)「あの川に遠い窓」シアタートラム
稽古場に山田さんを迎えて、新しい台本で稽古。まだ初日まで時間はあるので、読み合わせ中心に一通りやり、その後、話し合い。質疑応答やディスカッションで6時近くまで。
そのあと、シアタートラムで7時半開演の長谷川孝治氏の「あの川に遠い窓」を観る。新作を依頼している長谷川氏に挨拶をかねて、演出を担当する文芸演出部の若手・高岸未朝とともに。時間があれば少し話したかったが、明日の稽古の準備もあるので、終演後しばしの立ち話のみで引き上げる。
片道1時間以上、遅くなると2時間近くなる往復の車内で、もっぱらヘッドフォンをつけて、音楽を聴きまくっている。と言っても居眠りしている時間の方が多いかもしれないが、iPodに入れた100枚以上のCDを気の向くままに聴いてきた。これだ!というのを見つけるには運にも左右される。今回は何とか3つほどの選択肢に絞られた。あとは、三つのうちのベストを選ぶだけだ。


5月6日(火)
今日も第1幕・第1場と第2幕の最初のブロックのみ稽古。後は修正箇所が多いので、明日台本が出来てきてから取りかかることにする。道草をせず早めに帰宅して修正原稿を熟読。


5月5日(月)
早めに稽古場へ入り、修正原稿の到着を待つ。予想通りかなり膨大な修正。水曜に新しい台本が出来てくるということで、一通り確認だけして修正のない場面だけを稽古する。帰宅してから改めて改訂稿を通して読む。ドラマとしての筋道はいっそう明確になった。


5月4日(日)
今日は原稿を書く予定が朝起きたら大リーグ中継につい見入ってしまう。松井の調子はイマイチ。日本でもあったようにボールを追いかけて三振、凡打の繰り返し。たまにヒットは出てるが、およそ松井らしくない当たり。まだ当分苦難の道が続きそう。午後遅くからパンフ用原稿を書き始める。締め切り近くならないと調子が出ない。夕方に山田さんから連絡。かなり大幅な直しになったとのこと。明日受け取って印刷にまわすことにした。どう変わったか、大いに楽しみ。原稿もそれを読んでからにしよう。


5月3日(土)
三日ぶりに第2幕の稽古。この幕、改訂稿が明日とどく予定だが・・・。第1幕が割合順調に進んでいるが、こちらはいろいろ問題点がある。来週は第2幕に重点を移すことになるだろう。
稽古後、新田勝江のお通夜に横浜まで駆けつける。実に懐かしい同期の顔ぶれに出会う。2次会で妙蓮寺駅前の店で2時間近く語り合う。


5月2日(金)
稽古場に入ったとたん、訃報が飛び込んできた。養成所第10期・同期生の新田勝江。年末の劇団総会の時に会ったのが最後になった。体調がよくないようなことを聞いたが、ぼくより5歳ほど年下のはず、まさか、これほどに早く逝ってしまうとは・・・。しばし茫然とする。思えば「遠雷」上演のとき、しばら休団中だった彼女を口説いて出演に漕ぎ着け、主人公の母親役を演じることになったのだが、久しぶりの舞台復帰に危ぶむ声が周りからさかんに聞こえてきて、僕自身もかなりのプレッシャーを感じながら稽古をし、結果は相当な好評でほっとした。そんなことが懐かしく思い出される。合掌。


5月1日(木)稽古
今日は第1場のみで時間切れとなる。どの芝居でもそうだが、導入部はすごく難しい。この芝居は、特にさりげない日常性の気分で始まるから、どうしても演技が日常的リアリズムの次元に止まってしまう。しかし、山田さんの作品は、その日常性の中に埋め込まれた演劇性(喜劇性とも言える)を掘り出さない限り、面白さは生まれない。しかもこの芝居、ありふれた日常性から始まって、いきなりの意外な闖入者の出現で奇抜な飛躍を遂げる。この荒技をいかにクリアするか、こちらの腕が問われるところだ。


4月30日(水)稽古・第2幕
昨日の続きで第2幕。ピースごとに区切って繰り返しつつ最後までたどり着く。明日は第1幕のみの予定。6時から島さんを迎えて舞台装置の打合せ。照明の森脇氏も同席。いくつかの課題を何とかクリアして基本線を決めて終わる。8時すぎていたが、同じ建物の「笑笑」でビールを傾けながら舞台部のスタッフも含めて歓談。10時半を回ってからお開きとする。帰宅は0時を過ぎる。4月も終わったか。


4月29日(火)立ち稽古初日・第1幕
第1幕の1場と2場を一通り動いてみる。大まかなデッサンだけで、まだ手探り状態。それにしても、読んでいるだけでは気づかないことが沢山ある。中野誠也の役は、相当に重労働だ。殆ど出ずっぱりで、喜劇性の主役を務めなければならない。
朝、山田太一さんから第2幕に少し手を入れるとの連絡。今急ぎの仕事にかかっているので週末には届けるとのこと。第2幕の稽古はそれまで待ったほうがいいかもしれないが、明日は今のままで一通りやっておくことにする。


4月28日(月)連休
芝居をやってると世間が休みの時に働き、世間が働いている時に休むことが多い。世間の連休前に、昨日・今日と珍しく二日連続の休み。出演者の都合で稽古ができなくてやむを得ず休みになる。明日から立ち稽古なので、気持ちを切り替えるには好都合。今日はゆっくりと明日からの準備にかかろうと思っていたが、家にいると野暮用に追い立てられてなかなか時間がとれない。何とか夕方から一通り大まかなミザンセーヌを確認する。


4月27日(日)
俳優座サイトのメンテとDMの発送準備などでほぼ一日をついやし、夜は野球中継を観る。巨人終盤の大逆転。横浜ベンチの大誤算。0vs3から10vs3へ。滅多に観られない試合を観た。


4月26日(土)
稽古は最後の読み合わせ。作品の見取り図、各人物の諸関係、各ピースの色合いなど、およそのデザインは出来たという段階。来週からいよいよキャンバスに実際の絵を描いていくことになる。


4月25日(金)「ホームバディ/カブール」
稽古後、文学座アトリエへ。序幕の母親の一人芝居のところはかなりつらかったが、舞台がアフガニスタンへ飛んでからは調子が出てきた。よく書けている台本だし、なかなか興味ある題材だと思うが、そんなに騒ぐほどの傑作だとは思わない。何となくデジャビュの感から抜けきらなかった。タリバンもフセインも消えて、現実ははるかに先へと行っている。我々の想像力ははたしてどこまで現実に拮抗できるか・・・。ただし、一部を除き、演出も演技も、最近観た文学座の舞台のなかでは出色であった。


4月24日(木)
稽古は次第に熱を帯びて進行する。時には熱い議論も。
6時からは演出部会。終わって亜州菜館で演出部若手たちと歓談。


4月23日(水)
風邪の症状はかなり軽くなる。稽古は一つ小さな山を越えたといっていいか。気持ちが少し軽くなった。一通りやったあと、第1場の抜き稽古。稽古場への行き帰り、電車の中でヘッドフォンをつけて音楽を聴きまくっている。この芝居の中で場面のつなぎに使用する音楽を探している。もう手の届くところにあるような気がするのだが、いまだ「これだ!」というものに行き当たらない。フィーリング的には、エリック・サティのピアノなのだが、それでは余りにも手あかがつきすぎている。手持ちのものはほぼ聴き尽くしたので、Amazonで何枚かCDを注文する。2-3日後には到着する。
劇団のサイトのメンテが待っているのだが、やることが多くて手が回らない。週末まで待ってもらうしかない。


4月22日(火)
昨日は夕方から強い寒風が吹き荒れた。帰りの地下鉄を降りて地上に出たとたん、吹き飛ばされそうになる。バスを待つ間、寒さに震える。寝る前に気がつくとノドがひりひりする。今朝起きると一段と症状は悪化してノドに異物があってそれが痛むような感じ。急いでかかりつけの医者へ行くと「これはひどい」と言われる。薬を処方してもらってから電車に乗る。
山田さんの稽古場訪問は初日以来。修正箇所の意図など説明があり、場面ごとに質疑応答を繰り返しながら一通り読む。難関の導入部、第1場に方向が見えてきた。稽古終了後、缶ビールをあけながら、山田さんを囲んでしばし歓談のひととき。いい雰囲気で盛り上がった。風邪の方は、アルコールと薬のおかげで症状がやや軽くなる。


4月21日(月)稽古第2週目
読み稽古が第2週に入る。こんなに長い期間読むだけの稽古は僕にとって実にめずらしい。5月公演で第1稽古場がふさがっているし、今回はベテランが多いから仕方ないが、読みすぎてセリフがパターン化しないよう気をつけねばならない。明日は山田さんが稽古場へ。


4月20日(日)今月の日曜コース
今日のレッスンでは、胸郭の動きに焦点を当てた。まず最初のレッスンで、呼吸の動きに気づき、呼吸を乱さないように体を動かすことを強調する。組んだ手を回しながら、膝を立てたり上体を起こして坐る動作を通じて、呼吸と動きの関係をさぐる。その後、三つのレッスンで肩帯、肩甲骨、胸椎、頸椎の可動性をテーマに。
終わってから、4階の牛角で小一時間歓談。芝居の稽古を忘れてリラックスした一日。


4月19日(土)稽古1週間
体調を崩していたおじいさん役の浜田さんが、快復して稽古場に初参加。これでやっと全員がそろう。若手に代読を頼んでいたが、やはり存在そのものが役の人物というぐらい存在感のある浜田さんの登場で稽古は一段と盛り上がってきた。
5時に稽古を終えて新宿へ。今日から参加する人がさらに何人か増えた。準備したプログラムを修正しながら、2種のレッスンを行う。
帰宅すると、山田さんから幕切れの修正稿がファクスで届いていた。これでちょっと安心する。


4月18日(金)
稽古後、すくに帰宅。明日の朝日カルチャーセンターの講座に備えて準備など。今回も初めての人が多いので、レッスンの組み立てを慎重に考える。現場では、やり始めると計画通りにはいかず、即興的に変わってくるのだが、準備は準備でできるだけ綿密であるにこしたことはない。


4月17日(木)フラジャイルの「蒼ざめた馬」
昨年、俳優座演出研究生・西ヶ谷正人の発表会でやった台本を改訂し、作者小里清みずから演出したフラジャイルの上演。昨日が初日。だいぶ肌合いが違う。改訂されて引き締まって見えた。違いは演技の質も大きい。重いテーマを引きずって苦渋に満ちた幕切れ。これからも、逃げないで追求する筆致を願う。


4月16日(水)
研究生1年のレッスン。10時〜4時。本公演の稽古に専念するため、今日でしばらく研1の諸君とはお別れ。あれもこれもとやらねばならないことは沢山あるが、6月からの発表会の稽古までお預けとなる。午前中は体と声のレッスン。午後はゲームを中心とした基本レッスン。約2ヶ月後に再会するときは、どんな変貌をみせてくれるか期待すること大。


4月15日(火)稽古2日目
稽古は始まったものの、まだキャスト全員がそろわない。来週まで我慢の連続となる。雑談する時間が多い。しかし、無駄な時間ではない。回り道をしたほうが実り豊かになるのだ。


4月14日(月)稽古初日
昨夜は早めに寝るつもりだったが、あれやこれやと今日の準備にまつわることをやっているうちに、かなり夜更かしになってしまった。電車の中で居眠りをして不足分を取り返す。
狭い第二稽古場で、山田さんをはじめメインスタッフも入れて20人近くですし詰め状態。一通り全体を読む。個々のスタンスの違いが分かって面白かった。場面ごとに区切り、雑談をしながら進める。終了後、缶ビールで乾杯し、飲みながらの歓談が続く。中野誠也や可知靖之などが結構熱くなって議論に花が咲く。7時半頃散会。


4月13日(日)
明日は稽古初日。朝から何となく落ち着かない。昨年11月から研究生発表会「離れて遠く二万キロ」の稽古で山田ワールドに浸ってきたが、やはり明日からのことを考えると胸騒ぎがするのである。


4月11日(金)「マッチ売りの少女」新国立劇場
新国立劇場で坂手洋二演出の「マッチ売りの少女」を見る。稽古方法をめぐる対立で父親役が交代するという事件があったらしいが、導入部の老夫婦の対話は、きまじめすぎて単調で眠気をさそう。後半の展開では、寺島しのぶの演技で盛り上がりがあった。河童さんの装置は立派であった。しかし、この作品はこの空間でやるには相応しくないと感じた。周りに古い家並みをめぐらせたアイデアもあんまり効果がない。中央の主舞台が現代的すぎて、内容・テーマからしてすごく違和感を覚えた。


4月10日(木)
午後6時から劇団総会。冒頭、新研究生、昇格者たちの紹介から始まり、終わったのが10時だった。来年度の演目が出そろった。来年も忙しい年になる。終わってから亜州菜館でおしゃべり。


4月9日(水)バグダッド
少し遅かったが、来るべきものが来たというべきか、予想された状況が訪れた。このような多数の人命を犠牲にした解決を無条件に受け入れる気には絶対になれない。またまた勝てば官軍か。米軍を解放軍として歓迎するイラク人も少なくないかもしれないが、圧倒的な軍事力で国土を蹂躙された人々の無念はいかばかりであろうか。

今日は研究生のレッスン第2週目。9時過ぎには六本木へ。10時から午後4時前まで、昼食をはさんでレッスンを行う。午前中はフェルデンクライスのレッスン。午後は声に関するレッスン。だいぶクラスの雰囲気はほぐれてきた。1年後にはどんな変貌を見せてくれるだろうか。


4月8日(火)
島次郎氏と「しまいこんでいた歌」の美術打合せを午後3時から。いつも少ない予算で無理を言ってばかり、少々気が引ける。2時間ほどかけて問題点を洗い出しながら、方向だけを決める。

6月の京都ワークショップの挨拶文を書く。ちょと遅れてしまったが、明日出口さんへ発送する。


4月7日(月)
来週から稽古がスタートする。今は少しでも時間がほしい。しかし、夕方から幹事会なので出かける。今回は、10日の総会にそなえて議題が多く、3時間近くかかる。終わって中野誠也と土風炉で話し込む。


4月5日(土)
朝から冷たい雨が降り続く。昼頃、劇団から台本が届いたので、再読。夕方新宿へ向かう。今日から朝日の第2期、3ヶ月のコースが始まる。引き続き「腰痛・肩こりからの解放」をテーマにする。


4月4日(金)
ホームページのメンテに殆ど丸一日費やす。劇団のサイトは、プロバイダーの容量10Mが満杯に近くなってしまったので、不要なファイルを削除することにした。無駄なファイルが相当数あった。


4月3日(木)
今日明日は出かける用件はなし、実に久しぶりに家でいろいろたまっている仕事ができる、と思っていたが、こういうときに限って余計なことをし始めて、結局は労多くしてということになりがちだ。今日もそうだった。このところ、いくつか軽いトラブルが起きているマックのシステムのメンテを始めた。ほんの小一時間で終わるはずのものだったが、ついでにいくつかアップデータをダウンロードしだすともういけない。どんどんやることが雪だるま式に増えていって、食事も碌にとらず、気がついたら夜のスポーツニュースの時間になっていた。確かに手間をかけただけあって、実に快調そのものになったが、考えてみれば、ここまでしなくても十分間に合っていたし、快調になってどれだけ能率が上がるかとなると、さほど大差はない。時間の無駄のようだが、しかし、そうしないと気が済まないのだから、ま、仕方ないか。
寝る前に、劇団とFCJのサイトのメンテを少々。まだあるのだが、後は明日だ。


4月2日(水)研究生レッスン初日
レッスンのプログラムは、午前中ATMとゲーム。午後は恒例の他者紹介。第一印象とは随分違ったのが何人かいる。また、去年とはかなり雰囲気が違う。お笑い系キャラが多いような気がする。さて、どうなるか。
終わって、演技部の森一君と今年のレッスンについて相談。昨年もなかなか好評だったので、今年度も続けてもらうことにしている。研究所のあり方など、意見を交換する。


4月1日(火)新研究生入所式
今日は12時から新しい第16期研究生の入所式。合格証書の授与、劇団代表のメッセージ、講師陣の挨拶、そして各カリキュラムの説明など、一応それらしき形で例年のごとく行う。これからの1年間の船出に際して、恒例のセレモニーで気を引き締める。レッスンは明日からスタートする。その後、午後3時からは、新研究生2/3年のオリエンテーションも行う。いよいよ新しい年度が始まるという実感が強まる。
夕方、山田さんの台本が届く。早速読み始めるが、前半を読み終えたところで時間となり、6時から新入生を交えた劇団員有志にによる「新入生歓迎お花見会」に出席する。近くの公園の満開の桜の下で、寒さに震えながら2時間ほど過ごして岐路につく。電車の中で後半を一気に読み終える。なかなか快調なリズムで、時々笑いをかみ殺しながら終幕にたどり着き、しんみりとする。いい舞台になると思う。


3月31日(月)研究生新学期
明日から新研究生の新学期が始まる。新しい出会いはいつも期待感に胸がときめく。今年はどんな若ものたちと出会えるか。俳優、というより役者を目指すものは、常人とは一味違った生き方を選んだものだと思いたい。どんな非常人が現れるか、これからのレッスンの中で見定めようと思う。
今日は、新学期にそなえていくつか準備をする。これからの1年が彼らにとってどんな時間になるかを考えると、期待と不安が入り交じる。
夕方、山田太一さんから新作脱稿の連絡。約束通りぴったりの仕上がりで、今さらながらその鮮やかな仕事ぶりに感服する。受け取りは明日の午後。ぼくは出向けないので、代わりに制作担当者に行ってもらうことにする。


3月30日(日)今月の日曜コース
俳優座の新人募集やら研究生の修了公演などで、一年で最も多忙な時期もようやく終わり、来週からは多少落ち着くことになる。今日の日曜コースは実に久しぶりのような気がする。いつになく新規の参加者が多かったので、基本的なレッスンを取り上げて、それを土台に展開した。終わってから、いつものメンバーで牛角でしばし歓談。
その後、演出部新人公演千秋楽の打ち上げに顔を出す。劇団稽古場で10時すぎまで。帰宅して12時過ぎ。さすがに疲労を覚える。


3月29日(土)
午後、演出部の新人・長沢君の演出発表を観る。サム・シェパードに続いて登場し、アメリカ劇界に衝撃を与えた作家、デビッド・マメットの処女作に近い70年代中期の作品。読んでないので断言はできないが、かなり当時の風俗に寄りかかった作品だと感じた。これを今に生かすには、上演の視点が問題になる。性風俗の面から観ると、かなり古めかしい類型でしかない。もっと4人の人物の内面に切り込むべきだろう。役者たちは熱演ではあったが、各人物と各場面の位置づけをもう少し明確にして、緩急強弱の流れを生み出す必要がある。それにしても、新人の初演出としてはがんばったというべきか。

夜は今期最後の朝日カルチャーセンター・レッスン。4月からは新たに次のコースになる。同じテーマを引き続き取り上げる。明後日は日曜コース。今回は新規参加者が多く、めずらしく全体で20名を超えるかもしれない。


3月28日(金)「三人姉妹」
研究生の審査が終わり、新年度のメンバーが決まったところでやっと「三人姉妹」の配役を終える。ベテランから若手まで、厚みのある布陣ができたと思う。次は上演台本の仕上げだ。


3月27日(木)イラク開戦一週間
実に久しぶりに一日じゅう家にいた。朝起きてすぐ机に向かい、あれやこれやと手当たり次第に思いつくままに用件を片づける。気がつくと8時近く、閉店間際のイトーヨーカドーへ買い出しに行く。昨年末に近くに新規開店したばかりの大型スーパーで、嬉しいことに9時まで営業。品数も揃っていてつい買いすぎてしまうのがちょっと困るが・・・。

10時からのニュースでイラクの戦況に見入る。開戦1週間か。フセインは確かに問題だが、これはどうみても非道な戦争である。ブッシュは大量破壊兵器とか、独裁打倒とか言うが、最も大量に大量破壊兵器を持っているのはアメリカ合衆国であり、デモクラシーという名の元に有無を言わせぬ暴力を振るうブッシュは、フセインの独裁制よりも、はるかに大きな罪を全世界に対して、人類に対して犯している。


3月26日(水)さて次は・・・
今日もまだ骨休めとは行かない。夕方から劇団へ。役員会で18時から3時間半余。11時半に帰宅、雑用を片づけてるうちにどんどん時間が経つ。新研究生1年の新学期がすぐそこに迫っている。3月の日曜コースの準備もある。入会申込やレッスン・テープの申込もいくつかたまっている。山田さんの新作も間もなく脱稿の連絡が入る予定。「三人姉妹」の配役発表と上演台本の仕上げ。以上をここ2週間ぐらいの間にクリアして、4月14日(月)から6月公演の稽古をスタートする。いろいろ慌ただしいとはいえ、順番にこなしていけば気分も変わって楽しめるだろう。


3月25日(火)面接
朝から気分が限りなく重い。午後、一人ずつ時間をかけて昨夜の会議の結果を伝える。2年生はあと1年の成果をみてみようということで、家庭の事情で退団することになった一人をのぞき、全員が上がることになったからいいが、3年生に対しては実につらいものがあった。昨日まで濃密な仲間意識で共同作業を積み重ねてきたメンバーが、いきなり引き裂かれる、その宣告をせねばならぬ。とんでもなく非道なことをしているような気がする。郵便や電話で伝えることも考えられるが、2年なり3年なり、共に過ごした時間の濃密さを思うと、そのような無機質な伝達で終わらせるわけにはいかない。15年目が終わり、まもなく16期が始まる。旧俳優座養成所は最後が16期だった。
18時から文芸演出部会で2時間の会議。1階のHUBでビールをひっかけて、憂さ晴らしをする。


3月24日(月)審査会議
今夜の会議のことを考えると朝から気持ちが落ち着かない。夕方までかかって審査会議の準備をしてから出かける。今回の修了公演はいろいろ試行錯誤を重ねたとはいえ、みんなそれぞれに確実に階段を上がった。舞台成果はかなり高い水準に達したと言える。一般にも非常に好評で作品の心がよく伝わってきて感動したという意見が驚くほど多かった。若さの可能性を改めて実感させられた。しかし、残念ながら研3は半分しか昇格しなかった。


3月23日(日)千秋楽
始まったと思うと、もう終わりを迎える。全力投球の後のすがすがしさがみなの表情に表れている。夕方から稽古場で打ち上げ。席上恒例の一人一人のスピーチに耳を傾けながら、この内の何人かはこれが最後になるのかもしれないと思うと、しみじみとする。


3月22日(土)ブッシュの戦争
朝日朝刊11面の辺見庸氏の文「私たちの内面をも蹂躙」に激しく同意する。テキサスの野蛮極まる暴力が攻撃しているのは、イラクだけではなく、全世界であり、文明が営々として築き上げてきた人間的価値であり、それをよりどころに生きている我々の精神そのものだ。

研究生公演は昼の部でA組だけのメンバーが終わり、夜はB組に交代。やっと一人の観客として少し離れて舞台を観ることができるようになる。初日はやや固かったが、今日はいい流れが生まれていた。手前みそではなく、いい舞台になったように思う。観た人たちからも賛辞の声を多く聞く。結果も気にしないで創ることに集中してきたから、どう受け取られるかは眼中になかったが、今になってこの作品を選択してよかったと思う。


3月21日(金)
昼の公開稽古に50名以上の観客。昨夜の公開稽古には20名余だったから、まだ稽古の雰囲気だったが、今日の舞台稽古はすでに本番初日の感。本来の初日である夜の部はほぼ満席となる。研究生の家族、友人たちで終演後は結構盛り上がる。昨年11月下旬から取りかかって、年末から1ヶ月の中断があったとはいえ、随分長い道のりだったような気がする。しかし、やり残したことはまだどっさりある。せめて半年ぐらいかければ、もう少し成果を出せるのにといつも思う。研究生の教育システムについては、改善の余地が大いにある。
前触れなく山田太一さんが見えた。終演後の立ち話で新作の進行状態を聞く。予定通り月末に上がりそう。いろいろと面白い趣向が盛り込まれているようだ。大いに期待して待つとしよう。
帰宅すると、イラクの戦況を伝えるテレビをつけっぱなしにして机に向かっている。


3月20日(木)開戦
ブッシュは予定通り引き金を引いた。もはや、ただ黙ってテレビで成り行きを見つめるしかないのか。激しい無力感に襲われる。自由とか人権という言葉がこれほどにも無意味な響きをもって語られたことがあったろうか。このような文明の退廃をどうやって回復するか、人類は重い課題を引き受けることになる。


3月19日(水)
どういうわけか、今年に入ってフェルデンクライス研究会への入会者が急増している。すでに二十数名だから一ヶ月約10名の入会だ。何の宣伝もせず、このホームページだけだが、毎日メールの返信やレッスンテープ、会員証、講習会参加証、資料類の発送などで嬉しい悲鳴を上げている。会員番号も間もなく1260番となる。
研究生の発表会は、いよいよ明日公開舞台稽古で疑似本番を迎える。今日、照明を入れて初めて通し稽古。最初の組は生ぬるいコーヒーを飲んでるみたいでイライラしたが、二組目はまずまずの流れであった。時計の針が1世紀以上戻ったみたいで、やり切れない思いだ。

さて、いよいよ明日か。ブッシュが二丁拳銃の引き金を引くか、フセインが亡命するかの瀬戸際だ。ブッシュは早く引き金を引きたくてしようがない。しかしながら、歴史は幾たび、このような茶番劇を繰り返せば気がすむのか。そのために、いかに多くの生命が犠牲にされてきたことか。この状況の背後に石油をめぐる世界戦略の駆け引きが見え隠れする。このような見解を、今日の朝日朝刊で、「石油の世紀」の著者ダニエル・ヤーギンは根拠のない謀略史観にすぎないと言っているが、彼自身、アメリカ石油資本の番頭ではないのか。


3月18日(火)イラク:その2
来るものが来た。ブッシュの最後通告。なんたる傲慢さ。テレビの中継を観ながら反吐が出そうになった。フセインを擁護する気は全くないが、大国こそ道徳的優位性を保つべく忍耐すべきである。現在アメリカが中東に展開している軍事力は狂気の沙汰としか言いようがない。しかし、冷静に見ると、これだけの軍事力開発には膨大な投資がなされているのだから、これを消費しなくては投資は回収できないわけだ。明日にも戦火の火ぶたは切られるかもしれないが、可能な限りの兵器を消費するべき作戦がとられるにちがいない。その結果を想像するだにおぞましき限りである。弱者の暴力は同情をかう余地があるが、強者のそれは・・・。ブッシュは史上最悪の大統領として歴史に名を残すであろう。政治理念も国際感覚も皆無、ただ単細胞的ヒロイズムしか持ち合わせていない西部劇のヒーロー気取り。背後で操るのにこんなに便利な政治家はいないであろう。イラク戦以後の世界を考えると、暗澹たる思いを禁じ得ない。


3月18日(火)イラク
イラク情勢は最悪の段階を迎えたようだ。いまもっとも無法な国家はアメリカ合衆国である。フセインがいかに悪であろうと、アメリカのイラク攻撃は、多くの無辜なるイラク国民の大量虐殺を招く結果となる。このような無法が許されるなら、世界は、9・11を上回るテロリズムを断罪する資格を失うであろう。


3月17日(月)文学座の「ドン・ジュアン」
「二万キロ」はついに最後の月曜を迎えた。今日はB→Aの順で通し稽古。休み明けで、特にB組はアドレナリン不足。Aは多少持ち直した感じ。明日は照明の仕込み。木曜の夜の部から公開舞台稽古になるから、残る稽古は実質水曜日だけとなる。

5時半頃に稽古を終えて三軒茶屋へ。パブリックシアターで文学座の「ドン・ジュアン」を観る。日本でモリエールを観るのは久しぶりだ。10年前の我が座の「タルチュフ」以来である。この間に俳優座劇場プロデュースで「守銭奴」があったが、これは観損なった。
今回の文学座の「ドン・ジュアン」の演出は、パンフの言葉によると、ドイツ座でのベンノ・ベッソンの演出(1967年)が念頭にあるらしいが、これには疑問を感じる。ベッソンの演出自体、それほど成功したものとは言えないと思うだけでなく、その演出の土台にあるドン・ジュアンのナルシスチックなゲーム感覚の放蕩という視点では、現代風俗の単なる後追いにしかならないのではないだろうか。
舞台は、初日に怪我をしたということもあるのだろうが、主役の渡辺徹にいまいち生彩ががなかった。スガナレルの清水明彦は、声の通りもよく、喜劇のツボを心得た演技であった。あと、ピエロとシャルロッタがはまっていた。しかし、全体として、演技に統一感が欠けていて、モリエール喜劇の文体を生かしきれていないと思った。


3月15日(土)
「二万キロ」はA→Bの通し稽古。全体に気持ちの張りが薄くなってきている。本番間近でみな少々焦っているせいか。それとも気のゆるみか。明日の休みがリフレッシュ効果になればいいが。本公演の時とは一味違った舞台にするつもりでやってきたが、さて、結果はどうか。来週からは第4コーナーを回ってラストスパートだ。
5時に稽古を終えて新宿へ。朝日で定例のフェルデンクライスのレッスン。そういえば、昨年から今年にかけて、新規入会者が上昇カーブを描いてい増え続けている。


3月14日(金)
B→Aの順で二組の通し稽古。昨日の方が新鮮だった。今日はどこかエネルギーの配分が狂っている感じ。誰かが自分を見せようとして欲を出すと、そこに違和感が生まれ、それが周りに伝染して有機的な相互関係が失われる。すると、個々の役者の意欲だけが浮き上がって、肝心の世界が見えてこなくなる。個々の役者の輝きは勿論求めるが、アンサンブルの中で生きてこそ、真の輝きを発揮することができるのだ。
稽古後、後藤浩明氏を交えて「三文オペラ」の音楽に関して話し合う。


3月13日(木)確定申告
2月中にやるつもりだった確定申告が結局今日になってしまった。いつも家で記入して提出するだけだったのが、今年は税務署で相談しながら記入するので時間がかかった。締め切り日近くでかなりの混雑。午前中いっぱいかかってしまった。
稽古は両組ともノンストップの通し稽古。これから本番まで連日二組の通し稽古とする。


3月12日(水)黙り稽古B
A組に続いてB組の黙り稽古。徐々にエンジン出力が上がってくる。舵取りが重要な局面に入ってきた。無事離陸できるかどうかは、今日からの手腕にかかっている。


3月11日(火)黙り稽古A
A組の「黙り稽古」の一日。黙りとは、セリフを言わないという意味。各場黙り稽古と普通の稽古とを繰り返しながら一通りやる。相手役がセリフを言わないのだから、それを自分でイメージしなければならないし、言葉を言わないで相手に働きかけるわけだから、身体行動をより明確にしなければならない。これの効果は様々である。ひとによっては黙りの後の通常の稽古が見違えるばかりにダイナミックになる。言葉の意味に頼りすぎている部分が明確になる。いずれにしろ、各場とも一皮剥けた感がある。明日B組をやる。明後日からの通し稽古が楽しみだ。


3月10日(月)MODE+世田谷パブリックシアター「アメリカ」
休み明けの今日は、初めての通し稽古。最初はさすがに緊張でガチガチだったが、場面が進むにつれて流れが生まれてくる。A組のあとB組も通す。3年生は全員劇団本公演の舞台を踏んでいる。板を踏むことが役者にとっていかに大事なことかがよく分かる。場慣れしすぎると害になることもあるが、まだその段階には至っていない。ともあれ、今日の通し稽古で明らかに一段上がったことだけは確かだ。今週のあと5日間でどこまで上がることができるか。
夜は世田谷パブリックでMODEの「アメリカ」を観る。初演は観損なった。カフカの舞台化としては、これは最良のものではないだろうか。未完の大作「失踪者」を題材に、カフカの夢の迷路を探索して、一つの劇世界を構築した松本修氏の力業に感服する。20人の出演者が200人余の人物を体現する。主人公のカール自身、次々と5人の役者が演じる。そのようなめまぐるしい変身が、カフカの世界の不条理な迷宮を叙事的に明示する。 "ARBEIT MACHT FREI" (ナチス強制収容所の標語)のタイトルで演じられる最後の場で、うかつにも感動してしまった。


3月9日(日)
俳優座の演出コース新人募集の試験日。3名の応募があり、ペーパーテストと面接を行う。演出家の場合こそ、自ら育つものだけがよく育つという言葉が相応しい。


3月8日(土)
イラク情勢が緊迫の度を加えている。厚顔無恥の二丁拳銃ブッシュごときに世界中が振り回されるとは! 
稽古はいよいよ最終段階にかかる。この時期になると、いつも必ず時間の足りないことを嘆きたくなる。いつまでも稽古だけやってられればいいのだが、それでは自己満足に陥ってしまう。いやでも初日は迎えねばならない。


3月7日(金)
新人募集試験が終わり、今日から「二万キロ」の稽古場に復帰。試験で休んでいる間の自主稽古の成果を期待して出かける。セットのパネルも組上がり、芝居の中味も随所にいい流れが生まれつつある。今日はA組で明日はB組。来週は気分一新いよいよ最後の助走にかかる。
稽古後、6月公演「しまいこんでいた歌」のチラシデザインの打ち合わせ。出演者たちの写真を組み合わせて使用するプラン。台本がまだできてないので、イメージだけで進行する。やはり家族劇だが「黄金色の夕暮」とはまたひと味違った作品になりそうで、期待が徐々にふくらんでくる。


3月6日(木)
新人募集試験が無事終わる。激動の一週間だった。毎年この時期同じことを繰り返して16年。応募者たちの雰囲気の変遷は時の流れを感じさせる。旧養成所の頃のような強烈な個性はほとんど見かけなくなって久しいが、年々さらに大人しい若者たちが多くなる。今年の連中はどうかな。4月からのレッスンスタートが待ち遠しい。


3月1日(土)
稽古は昨日まででとりあえず一時中断。今日から新人募集の試験モードに突入。少ないスタッフで三百数十人の受験生を可能な限り入念に観察しなくてはならない。疲れているなんて言ってられない。可能な限り体調を整えて備える。
午後から泉岳寺の会場へ必要なものを持ち込み、短期決戦の準備。夕方に終えて朝日カルチャーセンターへ、6時半からのフェルデンクライスのレッスン。終わってまた泉岳寺へ戻り、明日の準備を点検する。


2月26日(水)
Bキャストによる早回し稽古。この方式の意図を理解した上でやらないと、ただ「やりました」だけで終わる。昨日と今日の結果を考えると、再度試みた方がいいのだが、果たして時間的余裕があるか。黙り稽古も欠かすわけにはいかないから、試験期間の自主稽古でやるのが一番いいかもしれない。
週末から新人募集の試験モードになる。今日は帰宅してからデータの整理その他、恒例の作業にかかり切り。データ整理から種々の書類作成まで、16年来この時期に同じことを同じようにやっている。「こんなことをなぜオレがやらなきゃいかんのだ」と思いながら、何とか9分通り完了させる。今年は初期データの入力だけは任せたからかなり楽ではあった。
さて、今年はどんな新しい才能に出会えるだろうか。期待感が徐々に高まってくる。感性を研ぎ澄ませて臨まねばならない。


2月25日(火)
今日はAキャストで早回し稽古をする。その結果、各場2分程度縮まった。来月にもう一度やった方がいいかも知れない。全体のテンポリズムはまだ曖昧なままだ。
稽古後、新年度の研究生カリキュラムなどの相談をした後、稽古場に戻ると、自主稽古をやっていた連中が残っていた。少しおしゃべりをしてから帰路につく。寝る前にと、俳優座サイトのメンテを少々。


2月24日(月)
稽古後6時から有限会社劇団俳優座の役員会。当面の問題を討議して3時間余。どの劇団もそうだと思うが、問題山積だ。一つずつ解決していくほかはない。


2月22日(土)
「三人姉妹」の翻訳はようやく最後までたどり着いた。昨年9月にスタートして、途中何度も中断を繰り返しながらも、とりあえずゴールを切ったという言うべきか。長期にわたったので、初めと終わり近くではだいぶ文体に違いがある。最初の方は日常的な自然さを重視したが、次第にやや思索的な硬質なものに変化してしまった。これでいいかどうか、別に意識したわけではないが、いつの間にかそうなってしまった。いずれにしろ、かなりテキストに忠実に訳したので、日本語として違和感のない文体にはしなくてはならない。かといって、余りにも日本的になりすぎるとチェーホフの劇構造が消滅してしまう。ゼリフには適度の違和感は必要である。演出プランと関係するが、これから全体に手を入れて、方向をはっきりしなくてはならない。
「二万キロ」の稽古は六本木へ戻って1週間が過ぎた。空間が変わり、全体を俯瞰的に見ることができるようになった。あと1週間は部分的な修正・改善と並行して、全体の流れを作り出すことに重点をおくことになる。その後、試験による1週間の中断のあと、最後の仕上げにかかるわけだ。さて、どこまで行けるか・・・?


2月17日(月)
研究生1年の修了公演が終わり、今日は彼らの審査会議。問題の本質から言えば、一日中語り合っても足りないぐらい時間をかけて結論を出したいのだが、一夕の限られた時間でそれをやらねばならない。この一年でいちばん辛い3時間であった。明日、ひとり一人に今夜の結果を伝えなければならない。いろいろと思いをめぐらせていると、なかなか眠気は訪れない。
「二万キロ」の稽古は今日から六本木の劇団稽古場へ移る。


2月13日(木)研究生1年の発表会
このところ、体が三つか四つほしいぐらい、いろんなことに追い立てられている。研1の修了公演の本番も、Bキャストは観ることができないので、今日の午後のGPを観る。その勢いで夜のAキャストも観た。
昨年夏の中間発表以来、それぞれに進化しているのを確認して嬉しかった。中には同じ悩みを抱えて七転八倒しているのもいれば、地道に進んでいるもの、予想以上に吹っ切れているもの、役と自分との接点を見つけきれずに悪戦苦闘しているもの・・・、いずれにしろ、役者修業の過程で誰しも体験することだ。今後彼らがどのように成長していくかは、誰にも予言できない。しかし、来週月曜には、またいつもの辛い辛い判断を迫られる。


2月10日(月)「二万キロ・・・」稽古のことなど
来週から稽古は六本木の劇団稽古場に戻るが、3月初旬の新人募集の試験等もあり、スケジュールはかなり変則的になる。今年再開した稽古も、これで3週目、本番まであと40日ほどはあるが、実質3週間しかないと思った方がいい。Wキャストだから、もう2週間を切っているぐらいの感覚だ。その割に、今回のメンバーはおっとり構え過ぎている。今までのプロセスで少し評判のよかったことが、逆に慢心を呼んでいるのかもしれない。このままではヤバイという意識を持ってほしい。
この日録を読んでいる研究生もいると思うが、今一度、自らの原点を振り返ってほしい。いろんな意味で努力が充分だとは言えないと痛感する。要するに「あまい」ということ。
稽古後、劇団へ戻って幹事会。これからしばらく会議の季節だ。「三人姉妹」の翻訳は、第4幕楽士の場面が終わり、あとは最後のシーンにさしかかった。


2月3日(月)「二万キロ」の稽古
今年の2週目に入り、風邪でダウンしていたものもほぼ復帰した。今回は休憩なしの4場構成でやることにする。プロローグを割愛し、本来の第1幕の第2場から始めて、一気に終幕まで突っ走る予定。1時間40分ぐらいの舞台になるだろう。
各人物が独自の存在感を発揮するようにならなくては、この作品のリアリティは生まれない。まだまだ綺麗ごとのお芝居ごっこに止まっている。生きた人間というのは、醜いものも綺麗なものも合わせ持っているはず。綺麗ごとを捨て、ありのままの自分を大胆に見つめることから表現の土台を構築しなくてはならない。


2月1日(土)朝日カルチャーセンター
今年2回目のレッスン日。このシリーズのテーマは「腰痛・肩こりからの解放」。これはきわめて普遍的なテーマだ。腰痛・肩こりは、身体のバランスが崩れたときに起こる警告だと受け取るべきだ。対症療法的に、局所的な対処では解決にならない。フェルデンクライス・メソッドがもっとも効果を発揮する分野だと言える。
Thomas Hannna の SOMATICS LESSON の流れに沿って、私なりのアイデアを付加しつつレッスンを構成する。


1月30日(木)
今月もあと1日だ。
1昨日からマックの調子がよくなくて、いろいろやってはみたが、原因が特定できない。10年前の初代IIcx以来のデータやアプリが積み重なっているのだから無理もない。思い切ってHDDの初期化から手をつけた。2晩かけて何とか通常の作業に差し支えない程度にたどり着くことができた。やや寝不足。


1月29日(水)
舞台が不評だったとき、それをよく俳優のせいにする演出家がいる。ぼく自身、そんなことをつい口にしてしまったこともある。しかし、それは、演出家として自らの失敗を責任転嫁していることになる。配役は演出の仕事の50%以上を占める。どんな俳優でも、独自の存在なのであり、その存在固有の可能性を秘めている。演出家はそれを認め、それを信頼し、俳優自身が自らを信じて伸びやかにそれを実現できるようにすることだ。
いくらよい俳優でも、演出家が専制君主的に舞台表現を支配し、できない役者を無理矢理自分の型にはめ込んでしまったのでは、役者は単なる操り人形にしかならない。結果として、その役者固有の輝きは失われてしまう。要するに、つまらない舞台になるというわけである。

以上は、もったいぶって言うようなことではないが、つい忘れがちになる。いま、研究生の稽古をやっていて、改めて自戒の言葉とする。


1月28日(火)稽古再開
「離れて遠く二万キロ」の稽古を1カ月ぶりに再開した。やっぱり長期間の中断で調子はがた落ち。随所にパターン化の弊害が生まれて、これを洗い落とすだけでもかなり時間がかかりそうだ。もう一度、ゼロからエンジン調整をしてかからねばならない。

一昨日の夜、BSでトレーバー・ナン監督の映画「十二夜」を観た。嵐の海上での遭難シーンから始まり、「テンペスト」を連想したが、その後の展開はひじょうに綿密、デリケートで、恋心の切なさと人の世の儚さを描いてリアリティ溢れる映像であった。役者では、ヴァイオラとフェステが特によかった。オーシーノー、オリヴィア、マルボーリオも、なかなかのものであった。


1月24日(金)
「三人姉妹」何とか第3幕まで上げる。ここは他の幕に比べて短めだが、大いに苦労する。少し感情移入しすぎかもしれないが、苛酷な現実に傷つき必死に救いを求める人物たちそれぞれの琴線に耳を澄ませながら、言葉を探っていく。ときどきビンゴ!という瞬間があったとはいえ、大方はまだ不満足なものだ。とりあえず、幕切れまでたどり着いただけ。次は第4幕。まずは最後まで行かないと話にならない。

「恋のから騒ぎ」のことが気になって、プラナーの映画や、かなり古いBBCシェイクスピア劇場版「から騒ぎ」などをビデオで観てみた。後者は教科書のような演出で、退屈な代物だ。プラナーのは「ハムレット」で感じたと同じようなことを感じるが、活き活きとはじけている分、楽しめる。プラナーの演技は、ハムレットほどの違和感はなかった。この人の演技は喜劇はまだしも、悲劇向きではない。しかし、決して上手いとは思わない。相変わらず仰々しい演出だが、この作品には合っている。


1月23日(木)モスクワ芸術座の「三人姉妹」(1958年)
溜まりに溜まってどこ
に何があるやら皆目見当もつかなくなった録画済みのビデオテープ(9割以上がテレビの録画)の山をチェックしていたら、表題のテープが出てきた。録画したことも、いつ放送されたものかも定かでないが、これはこれで貴重な映像にはちがいない。
思い返せば、それは僕が俳優座演劇研究所付属俳優養成所の1年生のことだった。戦後の焼け跡の臭いがまだ消え残っていた。初めて京都から六本木へ出てきたとき、何とここは田舎なんだろうと感じたものだ。だだっ広い交差点近辺は、強風に煽られると砂埃が舞い上がり、喫茶店もせいぜい2、3軒しか見つからない。日本の都・京都の繁華街に比べれば、見劣りするのは仕方ない。脱線が過ぎたが、そんな時代のことだったと言いたいのだ。
スタニスラフスキー・ダンチェンコの「モスクワ芸術座」が3本(?)の出し物を持って、大挙して来日し、日本公演を行った。あの時の狂騒がまざまざと思い出される。なけなしの小遣いでは足りなくて、世紀のイベントだとか何だとか殺し文句を並べて、親に無心までして、何とか「桜の園」「三人姉妹」「クレムリンの鐘」の三本のチケットを入手したことも覚えている。素朴な演劇初心者にとっては、あれは神々しいぐらいの至福の体験だった。
ヴィデオはとりあえず、第1幕だけを観てみたが、今更もうあの時の実感は蘇ってこない。時が流れ、時代の空気も変わり、なによりも芝居の世界も一変してしまった。僕自身、舞台に関して相当にシニックになってしまっている。感動だけを素朴に求めていた自分が懐かしくなった。


1月22日(水)「恋のから騒ぎ」
初日を観る。喜劇は難しい。悲劇や真面目な芝居はいざとなれば心情で誤魔化しがきくが、喜劇は誤魔化しがきかない。きかなくはないだろうが、要するに難しいのだ。なによりもバランスが大事だ。配役、人物の相互関係、セリフの遣り取り、各場面の流れ、歌やダンスとセリフとの関係、そして何よりも演技者の役と自分との関係・・・等々、いろんな要素が過不足なくバランスが取れてないと、いい喜劇は生まれない。従って、喜劇には準備に時間がかかる。稽古も手間に手間をかけて、精妙に練り上げなければならない。この舞台、発酵不足・生煮えの感がなきにしもあらずだった。初日を明けたとはいえ、これから日々練り上げてもらいたい。
終演後、村井健氏と裏のルポールでしばし談笑。昨年度観た芝居を俎上にのせて小一時間。最後は、いい芝居がみたいもんだねえ、ということでオチ。明日は我が身だ。身を引き締めてかからねば。


1月18日(土)
朝日カルチャーセンターのレッスンの前に、新宿で小里清氏と会って新作初稿に関して意見交換をする。現在進行形の事件に関わる作品なのでデリケートで難問山積だが、基本は出来上がってるので、これがどこまでふくらむか、大いに期待している。ちょっとした話題作になること間違いないだろう。
レッスンのほうは初めての人がかなり多かった。予定していたレッスンに加えて、少し変化を付け加えた。Somaticsのレッスンの1と2を取り上げて、フェルデンクライス・メソッドの基本概念を体感できるよう配慮したつもり。次回はこれの続きになる予定。


1月17日(金)
明日は朝日、明後日は日曜コースと、いずれも今年最初のフェルデンクライス・レッスンが二日続く。参加者の顔ぶれを考えながら、プランを立てる。当日の進行状況に応じて臨機応変に対応できるよう、いくつかのオプションを用意する。
午後は翻訳。第3幕、火事の場。火事騒ぎの騒然とした雰囲気の中で、人物たちの内面が透けて見えてくる苛酷な場面。適切な言葉を探して七転八倒する。気がつくと、一つのセリフに1時間以上かかっていたりする。進まないわけだ。


1月16日(木)「桜の園」シアターコクーン
芳しくない評判を聞いて出かけたが、多少は期待していた。でも、やっぱりだった。麻美れいは、ラネーフスカヤでなく、アルカージナならまだいいかも知れない、と思った。
それにしても、どうしてみんながみんな、自分の心の動きを外面的・表層的に説明してしまうのか。何故にあれほど怒鳴りまくらなければならないのか。これでは単なるメロドラマに堕してしまう。単純に発散できない辛さが、情動の内圧を高め、それがドラマのダイナミズムを創り出す――そこから乾いた喜劇性も生まれる。ここにチェーホフ劇の生命がある。声高に叫んで随所に感情を発散させたのでは、内圧は一向に高まらない。
それに、客席からの登場・退場は全く活きてなくて、そのたびにドラマの冷却装置が働く。どうしても客席を使うのであれば、あんな狭くて歩きにくい階段ではなくて、何か工夫ができなかったのか。そういえば、開演前から舞台正面奥の道具搬入口がぽっかり開いていて、商品の搬送車や宅配便の車が出入りするのが丸見え。面白い景色と言えばそれまでだが、外の冷気がそのまま入り込んで寒くてやりきれなかった。幸いコートを預けずにいたので、羽織ったまま観ていた。それにしても、パンフレットの1300円は高すぎやしないか。
中心人物の3人がよくなければ、この芝居は成立しない。


1月15日(水)
午後からひどく寒くなる。寒波の中、吉祥寺の前進座劇場まで『坊っちゃん』の舞台稽古を観に行く。東京公演はないし、配役が一部代わっているので観ることにした。やっぱり稽古のせいか舞台はイマイチ。よくなっている部分もあるにはあるが、流れに弾みが足りない。舞台が少し広くなった分、人物の絡みが希薄に感じた。本番はもっとよくはなるだろうが・・・。
終わって研1のみなにつかまって「笑笑」へ。久しぶりだった。彼らの修了公演本番まであと一ヶ月。どう進化しているか、楽しみ。明日は蜷川演出「桜の園」を観に行く。


1月14日(火)
深夜、松井のヤンキース入団会見の中継を観る。それにしても、大げさなセッティング。それに気圧されたか、松井も緊張して、面白みのないことしか喋れなかった。やっぱり人がよすぎるのかなと改めて感じた。活躍してほしいが、果たしてどうか?


1月10日(金)
年末年始の慌ただしさが去り、少し落ち着いた今週から翻訳を再開。やっと第2幕まで上げた。とにかく今月中にある程度のメドを立てておきたいが、さてどこまで行くか。


1月3日(金)
サム・シェパードについて少し調べものをする。戯曲から遠ざかって以来久久しぶりに一昨年新作 The Late Henry Mossを馴染みの Magic Theater で上演している。これは昨年ニューヨークでも上演された。State of Shock(1991)と共にAmazonで早速注文する。ヴェトナム戦争世代のシェパードの目に、今のブッシュ大統領のジョン・ウェイン気取りとそれをはやし立てる彼の国の世相はどう映っているだろう?


1月1日(水)頌春
新年を迎えたとはいえ格別気持ちが改まった感じはしない。これも歳のせいか。子供の頃はお正月というと新鮮を通り越して神聖な気分がしたものだ。1週間以上前からその日が来るのを畏れと期待に心をときめかせていた。元旦の朝目覚めた瞬間は、空気までが前日までとは全く異質の霊気のような味わいがした。そして、今日から新しい世界が始まるのだという気負いに後押しされて第一歩を踏み出す。最もナイーブな正月気分というものだが、思い返すと実に懐かしい。
いま正月に家の中でやっていることといったら、およそ散文的で味気ないことばかり。寝正月というほどの余裕はないが、酒を飲んだり、テレビを観たり、その辺をちょこっと片付けたり、年賀状の返事を書いたり・・・、初詣や海外旅行に出かける人たちの気持ちがよく分かるが、わざわざ人混みの中を右往左往する元気はない。と言うわけで夜更かしをして、朦朧とした頭で誇大妄想的な一年の計を練ることになる。
以前は正月というとガラガラになった団地の駐車場も今はそれほど少なくはならない


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