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日録 2002年6〜12月

<2001年8-12月


12月31日(火)
慌ただしく、早足に今年も暮れていく。1年前、9.11の余韻の中、不安感は生々しかったが、今年の暮れは、その不安は底知れない不気味さを伴っている。前世紀のツケが地球規模でおそってくる怖れを感じる。
紅白の脳天気な歌声を聴く気にはとてもなれなく、3chでブルックの「ハムレット」を点けて、仕事の合間に時々観ていた。昼間もケネス・プラナーの「ハムレット」をBS2でやっていた。こちらはやたら仰々しく騒々しい説明過剰の「ハムレット」だった。2本ものハムレットに付き合ったせいか、日本がデンマークに通底するような感慨を覚える。
俳優座のホームページのトップを更新する。他にもいろいろ気になっているが暇がなくて手が回らない。


12月27日(金)稽古納め
昨日はA組、今日はB組の通し稽古。無理矢理通したという感じで、課題はまだ山積している。しかし、これから1月27日まで、長い中断に入る。この期間にどのように発酵するか、それを期待しよう。
稽古後は、同じ建物の2階の「笑笑」で忘年会。出遅れたのでカラオケルームの予約は取れなかったが、結構盛り上がった。


12月25日(水)
昨日の朝、小里清氏から新作の初稿がメールで届く。稽古に出かける時間が迫っていたので、読むのは今日になった。一気に読んだ。初稿とはいえ、基本的な構想は相当にいいと思う。上演までのプロセスが楽しみだ。
研究生の稽古は、年内あと二日。消化不良を起こしたみたいで、このところ気分がよくない。芝居になりすぎないよう気を付けなければ。


12月23日(月)連休
久しぶりに2日続けて家にいた。だが、家にいたというだけで、休めたというわけではない。家にいるときの方がかえって忙しいぐらいだ。雑用も仕事のうちではあるが、家にいると、本来の仕事よりも雑用のほうがはるかに多くなる。
今年もあと1週間ちょっとになった。来年は今年よりも忙しい一年になる。今年は散漫に時を過ごした感じなきにしもあらずだが、来年は心してかからねば。松井もアメリカに行くし、ワールドカップもないから、今年よりも仕事に集中できるかも。


12月21日(土)今年最後のレッスン
朝日カルチャーセンターの今年最終日。10月から6回にわたって「目のレッスン」を取り上げた。このシリーズは、ここ数年毎年取り上げている。体の動きのレッスンとペアで、目の動きを毎回一つ入れる。その都度、新しい発見があって楽しい。来年も夏過ぎにやるることになるだろうが、また少し趣向を変えてやってみようと思う。
さて、いよいよ師走も押し迫った。やることが山積している。無事年を越せるのか、という気分だ。


12月20日(金)『オナー』
研究生の稽古のあと、文学座のアトリエへ。今年、円の舞台は見逃した。オーストラリアの女性劇作家の評判作だという。知的な抑制の効いた佳作であった。舞台も、それに見合った外連味のないものに仕上がっていた。役者は、小林勝也がややパターン芝居ながら持ち味を出して面白かった。ガスが別れを切り出すところは秀逸だった。笑い転げた。ソフィーはもう少し知的な雰囲気が欲しかった。クローディアは美人でスタイルもいいが、柔軟性が出れば。ソフィーは真面目に懸命だったが、力が入りすぎて少し浮いていた。
『2万キロ』の稽古は4週目が終わり、今年あと24日から27日までの4回で終わる。ここで『坊っちゃん』の旅公演の関係で約一ヶ月の中断が入り、1月下旬に再開する。とにかく今年中に基本デッサンだけは仕上げておこうと思い、かなりハイペースで飛ばしてきた。まだまだ欠落部分もあるし、練り直さねばならないところも随所にある。中断の一ヶ月が単なる休みではなく、飛躍のための発酵の時間になることを願う。


12月13日(金)「阿部定と睦夫」
研究生の「二万キロ」の稽古も3週目を終える。師走に入ると時の流れが一段と加速する。で、この作品、2年前の劇団本公演のイメージからできるだけ自由になってやろうとするが、気がつくとそれに囚われている。来週からは、演技者ひとり一人の個性を重視する方向を探ろうと思う。
夜はサザンシアターで「阿部定と睦夫」を観る。坂手洋二作品は先月から3本目だ。中でも今回のは一番の力作と感じる。事実と虚構を交錯させて奔放に展開する多場面の構成。所々展開について行けない場面もあったが、これは演出のせいかも知れない。坂手氏は、演出家としては少し真面目すぎるのではないだろうか。ただ、2時間半休憩なしは疲れる。長くてもいいが、もう少し生き抜きできる場面があればと感じた。


12月9日(月)大雪!
今朝起きて外を見てびっくり。夢でも見ているかと一瞬錯覚した。電車のダイヤルが乱れているらしいので、いつもより30分ほど早めに出かけるが、さして遅れることなく泉岳寺の稽古場へ到着。
修了公演の稽古は今日から3週目に入る。大まかなデッサンができただけの段階。これから年内の課題は、各人物が生きた人間として動きだすための芯を見つけること。


12月1日(日)今年最後の日曜コース
今年も無事に月1回の日曜コースを終える。以前は月2回以上やっていた時期があったが、このところ今のペースがやっとである。もう少し余裕ができたら、FIも含めて回数を増やすこともできるだろうが、来年も今年と同じく月1回の日程となる。
今日のコースは、毎回のように参加する常連の方々が多忙で参加できないとのことで、参加者わずか2名のみのレッスンとなった。しかし、レッスンそのものはやり出すと次第に面白くなって、当初のプランを乗り越えて展開することができた。今日のテーマは「ねじる動き」。先日テレビで観た痩せる体操の動きが面白そうなので、レッスンの一つとして取り上げてみたりした。テレビでは若い女性たちが必死の形相でやっていたが、50分ぐらい楽に体を動かしているうちに、体の歪みがなおりすっきりしたという感想だった。

このファイル、かなり重くなってきたが、やはり年が明けて新ファイルを立ち上げたほうが気分がよいので、年末までこのまま書き続けることにする。


11月30日(土)
今年もあと1カ月か。そう思うと途端に慌ただしい気分になる。気がつけば、10月末から「三人姉妹」の翻訳がストップしたままだ。11月が格別忙しかったわけではないと思うが、こんな調子ではいけない。今日も一日、FCJの雑事で暮れた。来月は連日研究生公演の稽古になる。どこまで進むか。今年中に最後までというのはあきらめるが、第3幕までは行きたい。現在まだ第2幕を3分の1程度だ。ま、行けるところまで行ってみよう。


11月29日(金)稽古のあと「不忠臣蔵」
「二万キロ」の稽古。A組で第2幕を。やはりまだ研究生である。基本的な次元での課題が多い。3月の本番までにどこまで行けるか。不安と期待。
夜は六本木で『不忠臣蔵』を観る。三つのピースから成る朗読劇。面白い部分とつらい部分がある。物語を語るわけだから、演技者は演じるのではなく、物語る・報告するという役割を担うべきなのだが、感情同化的な演技が混在していた。しかし、この舞台は、役者の技能が白日の下に試される。怖い。
休憩後に作者の井上ひさし氏が見える。裏で楽屋モニターに耳を傾けていたとか。舞台稽古では全幕通して観て、大いに気に入った様子だったそうだ。終演後、缶ビールでの乾杯。ひさし氏は大変にご機嫌だった。その後、裏手の亜州菜館で出演者たちを交えて歓談が続く。私は11時過ぎ一足先に辞去する。


11月27日(水)「離れて遠く二万キロ」
修了公演の配役を決めて今週から連日の稽古。Wキャストになる。1日で1組しかできない。月、火の二日間で組を代えて読んでみた。机に座って読むのは限界があるので、今は本を持ったまま動いてみた。第1幕しかできなかった。明日はもう一組でやはり第1幕をやる。


11月25日(月)風邪の治し方
毎年この時期になると風邪を引く。今年も例外ではなかった。まるで年中行事みたいなものだ。金曜日の朝、いつになく喉がひりひりするのがその前兆だった。劇団での会議などあり、遅く帰宅。土曜日は咳と微熱でけだるい一日を送る。そして昨日曜は朝から高熱に悩まされる。咳は一段と激しくなり、起きていても仕事にならないので、布団にもぐり込んで殆ど寝ていた。生憎土日連休で医者はどこもやってない。売薬は効いたためしがないから、水分をどっさりとって厚着をして汗をかくことに努める。その甲斐なく今朝起きると熱は38度に近い。平熱が36度以下の身にこれはこたえた。だが、今日は研2/3年の修了公演稽古初日故休むわけにはいかない。無理をして出かける。いざ稽古を始めてみると、気分は徐々によくなったきた。熱も下がって、帰宅して計ると37度を切っていた。快方に向かっているようだ。やはり「病は気から」なのか。

2003年度の講習会案内(機関誌号外)を発送する。


11月21日(木)ザ・ガジラ「ルート64」
下北沢のすずなりで、鐘下辰男の新作を観る。坂本弁護士一家殺害事件を取り上げたもの。私自身今オウムへの関心を深めているところで、非常に興味ふかく、面白く観た。なかなか力のこもった作品だったが、観客に対する挑戦的意識が強く、肝心の事件なり人間なりへの追求がやや薄いように感じた。オウムへのアプローチは、事件性を排した地点から深く錘を下ろさねばならないのではないか。しかしこれは、言うは易く行うは難い作業ではある。


11月19日(火)
久しぶりに六本木へ出る。6時から企画会議。60周年の企画について討議する。それの前、3時すぎから沙絵羅で春秋社の小島氏と会う。初対面。フェルデンクライス・メソッドについていろいろ話す。


11月17日(日)日曜コース
昨日の朝日で行ったレッスンをもう少し深めたいと思ったので、それを土台において前後の展開を考えてみた。足から骨盤、胸郭、頭部とつながる動きの流れをテーマにした。中心課題は骨盤の動きである。座位での骨盤時計の動きを使って全身の関係をつかみ、そこから目の動きへ、また戻って骨盤の動き。


11月16日(土)朝日カルチャーセンター
「目のレッスン」の4回目。目の動きと頭の動きは癒着しすぎている。頭を右へ回しながら同時に目は左を見る、というような動きは、やろうとしてもすぐに出来るものではない。そのためには、頭の動きと目の動きを区別する(分化する)身体感覚を獲得しなければならない。これを今日のテーマとした。レッスンの最後に確かめると、誰もがおどろくばかりの変化であった。


11月13日(水)太田省吾「ヤジルシ」新国立劇場
太田省吾氏の作品を観るのは『小町風伝』以来となる。常に気になっていた作家なのに、どういうわけか、巡り会う機会がなかった。20年ぶりとなる。休憩無しの2時間15分の舞台。
感想は・・・、うーん、何と言っていいか・・・、作品としての凝縮度が弱いというか、テーマを担う各場面の深みが足りないというか、水増しコーヒーを飲まされた気分というか・・・。セリフのせいか、演技のせいか、どちらとも言えないが、言語表現が凡庸の印象。とともに、身体表現もそれに引きずられている。装置が立派すぎるので、役者の存在感が殺されているとも言える。廃品で埋め尽くされた広大な舞台空間! 自由に税金が使える劇場は羨ましい限りだが、こんなことやってていいのか? いずれにしろ、眠気と闘うため、観劇エネルギーの半分以上を費やした。(妄言多謝)


11月11日(月)「離れて遠く二万キロ」懐古スタート
研究生2/3年の修了公演。少し早いがスタートした。青年海外協力隊員を取り上げた山田太一さんの作品で、2年前に俳優座で上演した作品。意図するところあって、あえてこれを取り上げた。3年生は「かもめ」以来、2年生は約2年ぶりの付き合いとなる。今週中に配役を決めて月末から本格的な懐古に入る。


11月8日(金)『トゥオネラ』
沢のえみさんの構成・演出のダンス+マイム公演を観る。エティエンヌ・ドクルーの系譜を引くマルセル・マルソーに学んだ沢のえみさんは、数年前から俳優座研究生の講師。俳優座の身体表現の現状が余りにも土俗的なので、何とかリファインするべく依頼した。動きによる表現の可能性の地平を拓くうえで種々ヒントを受けた。


11月6日(水)
午後、澁谷で山田太一さんと落ちあって、新作の打合せ。かなり具体的な話ができた。


11月2日(土)
夜は朝日カルチャーセンターのレッスンがあるので、「蒼ざめた馬」マチネを観る。GPの時は流れが悪く、上手く噛み合ってなかったところがあったが、かなりよくなっていた。新人演出家の初演出としては、なかなか良かったと思う。若い出演者たちも、新人作家と新しい演出家に期待して、創造意欲を持って稽古を重ねてきた結果、熱いアンサンブルが生まれていた。台本はかなり硬派なので、口当たりのいい舞台を期待する向きは消化不良を起こすに違いない。

しかし、いくつか問題点もあると感じた。台本に関しては、主人公・朴に対する距離感がもう少しあった方がいいのではないか。演技演出では、作者の文体の特質を活かす方向をもっと探ってほしかった。単なるリアリズム・日常的実感だけでは、作品のイメージの広がりと深まりを表現しきれない。もし、再演の機会でもあれば、その点にも挑戦してもらいたい。


11月1日(金)
朝から冷たい雨模様。冬近し。年賀状を買った。午前10時からの松井・メジャー行きの会見を観る。いつになく緊張した松井の一言一言に、決意の固さを改めて感じる。一度もバットを振らせてもらえなかった甲子園の時からずっと松井に声援を送ってきた数多いファンの一人として、彼の新たな挑戦に拍手を送る。日本で王ちゃんのホームラン記録と三冠王をクリアしてからだと尚よかったが、これも潮時であろう。

夜はシアターXで「ロスメルスホルムの白い馬」を観る。イプセンの作品は全部読んだつもりだったが、これはまだだった。イプセン劇の前期と後期をつなぐ重要な作品だということが分かる。小人数の人物相互の緊密な対話を通じて、社会的存在としての人間と個的な内面の葛藤を描いている。作品としては破綻があると感じたが、舞台はそれを誠実に表出しようとしていた。


10月31日(木)松井、メジャーへ!
今日は研究生のおさらい会。午後1時半からTMAで一年生の日舞、うた、ダンス、そして2/3年生のマイムの発表。4種の出し物が出そろったのは初めて。盛り沢山なうえ、勢いもあって、なかなかに盛り上がった。このエネルギーを修了公演につなげて更に飛躍してほしい。夜は演出部新人公演「蒼ざめた馬」のGPを観る。明日が初日だが、土曜日の昼にもう一度観る予定。

日本シリーズは結局巨人の4連勝で終わった。ファンとしては嬉しいのだが、ちょっとあっけなく気が抜けてしまった。西武の敗因が種々指摘されているが、つまり巨人が強かったということだ。松坂の起用法はオーナー指令だったという話だが、病み上がりだから賭にはちがいない。初戦に負けても第2戦以後巻き返すことも不可能ではなかったはず。所沢に戻れば、腰の据わった試合をするかと思ったが、それもなかった。ただ、力の差以上の差がついたのは、西武の準備不足とおごりがあったのかも。

いよいよ松井がメジャーへ行くことになった。各スポーツサイトでも、この深夜、続々と速報がアップされつつある。やっぱりか。昼間のインタビューを観てそう予感したが、まことに素早い決断ではあった。巨人ファンとしては残念だが、向こうで活躍する姿を観るのを楽しみに応援するとしよう。来年の4番には誰が座るかな?


10月28日(月)西武か巨人か?
日本シリーズが始まった。試合のある日は朝から何となく落ち着かない。家にいるべき日にも、わざわざスポーツ紙を買いに駅の売店まで出かけたりする。第2戦が終わって巨人の連勝、事前の予想以上の結果となる。大方の指摘通り、伊原監督は肩に力が入りすぎている。それがナインに伝染して普段の力が出ず、伊原マジックも不発に終わっている。闘う前から巨人は強いと思いすぎて墓穴を掘っているようでならない。巨人が勝つことを望んではいるのだが、このままの流れで4vs0で終わったのでは面白くない。少しはハラハラドキドキさせてほしい。その意味で明日の第3戦に西武の意地を期待するとしよう。


10月23日(水)ルパージュ『月の向こう側』世田谷パブリック・シアター
研究生1年のレッスンを朝10時から3時半まで。その後、三軒茶屋へ出る。
かねてから、一部で評価の高いルパージュの作品を観てみたいと思っていた。なかなか興味深いものであった。ただ、もっと多彩なイメージ溢れるものかと思っていたが、割合ストーリー重視だったので、拍子抜けした感もなきにしもあらず。台詞中心の部分になると、舞台横の字幕を読むので、集中力が途切れるのか、いつの間にか眠ってしまう。半分とはいかないが、3分の1ぐらいは寝ていたのではないかな。それでも、大きな鏡の効果的な使用や洗濯機の蓋の部分が水槽になったり宇宙船のハッチになったりと様々にイメージを変えるなど、あちこちに散りばめられたアイデアは新鮮であった。ルパージュの台詞のユーモア、イブ・ジャックの知的な演技は、充分に楽しめた。


10月22日(火)俳優座LABO公演『ぼくの国、パパの国』
一ヶ月に1本か2本が精々だったのに、このところやけに芝居を観ている。いつまで続くか。そのうち火が消えたみたいに観なくなるかもしれないが・・・。今日は我が座のLABO公演。稽古を覗く暇がなかったので、何の先入観もなしに観ることができた。チラシのコピーに「抱腹絶倒」のコメディとあったが、実に真面目な舞台になっていた。何も抱腹絶倒にする必要はないと思ったが、父親を軸とする葛藤を鮮明にして、各人物相互の対話にはもう少しメリハリをつけるべきではなかったか。そうすれば、喜劇的モメントが自然に浮かび上がってくるように思うのだが・・・。伊藤達広の父親の演技は抑えすぎではないか。


10月21日(月)松田正隆『沈黙と光』文学座アトリエ
研究生のレッスンの後、時間があったのでテアトロ所収の台本を読んでから観た。本はかなりの意欲作だが、舞台のほうは何かピンぼけの写真を見ているようだった。もっと苛酷な世界をイメージしていた。それにしても、文学座の若い俳優たちは、どうしてあんなにアングラ調の演技をするようになったのだろう。もっと劇団のよき伝統を今に活かすようにしないともったいない。かつて若き日、大の文学座ファンであったものとしては至極残念だ。


10月19日(土)坂手洋二「ブラインド・タッチ」演劇集団円
夜は朝日のレッスンなのでマチネを観る。下手寄りのベンチシート。目の前、手の届くぐらいの距離に畳の間。1週間に同じ作家の新作を2本観たわけだが、先の燐光群のものに比べて、こちらはなかなかにいい作品だと思う。ただし、演技・演出については種々疑問が残る。なによりも心情的に傾きすぎて、パースペクティブが希薄になってしまったようだ。これは単なる人情劇ではないだろうに・・・。心理主義的演技には、最近とみにアレルギー反応を起こす。


10月16日(水)燐光群「最後の一人までが全体である」
午前10時から午後3時半まで、研究生1年のレッスンを終えてから、夕方下北沢へ出る。7時開演の坂手洋二の新作をスズナリで観る。開演20分前に舞台奥の道具搬入口からの入場となる。舞台には何もない。がらんどうの空間に追い込まれた感じ。これがどうも今回の狙いらしいのだが・・・。むき出しの殺風景な壁と木の床と階段状の観客席だけの狭い空間。一瞬ガス室を連想してしまった。つい先日、テレビでアラン・レネの「夜と霧」を観たばかりだったからか・・・、悪い冗談で申し訳ない。内容については首を傾げたまま劇場を後にした。


10月14日(火)永井愛作「新・明暗」二兎社公演
夜の部を観る。なかなかに達者な舞台であった。最前列のど真ん中の席で、役者たちの息づかいをもろにかぶって、ちょっと引いた部分もあったが、ずいぶん随所で楽しませてもらった。最後のオチの付け方はかなり力業だと感じた。


10月13日(月)京都ワークショップ No.24
一泊二日の京都ワークショップで、昨日朝9時の新幹線で京都へ。第24回だからもう満12年ということになる。正午過ぎに会場の仁和寺御室会館に着く。午後1時から初日レッスン。この日は初めての方も多く、基本的なレッスンをかなり丁寧にやる。100畳以上はあろうかという静寂に包まれた広々とした畳の大広間でのレッスンは、それだけでも日常の些事を忘れさせ、心身ともにゆとりの次元へ連れ去られる。4時間に4種のレッスンを行う。5時過ぎに終えて6時から夕食。入浴をすませて7時半頃から、一部屋に飲み物を持ち寄って懇親会。レッスンの感想や体験談など、10時まで談笑に花を咲かす。
二日目の今日は、7時半の朝食で9時から午前の部のレッスン3種。前夜の談笑の中で出た希望レッスンの注文を元に構想を練ったレッスンを行う。12時からの昼食をはさんで午後1時から4時半まで午後のレッスン3種。6時の新幹線で帰京する。くたくただ。

二日間で10レッスンはさすがに重労働だ。十数年前、研究会を始めた頃は、午後1時から10時頃までのレッスンを、連日続けたこともあった。それを思うと、歳をとったのか・・・。しかし、一人でこのようなペースでレッスンをする人は余りいないらしい。指導者コースでも、午前に1レッスン半程度、午後に2レッスンぐらい。昼休みは2時間、途中の休憩も30分前後と、きわめてのんびりだった。外国からくるプラクティショナの講習会も、たいてい半日で2レッスンが精々であった。折角時間とお金をかけて来てくれる人たちに、それでは申し訳ないという気持ちがあって、どうしても、なるべく多くのレッスンを体験してほしいと思ってしまう。ま、良し悪しは別として、これがぼくのスタイルなのだ。



10月10日(木)
久しぶりに一日中家にいた。ずいぶん雑用が溜まっているものだ。あれこれとやってるうちに、はや夕方になる。松井の三冠取りが気になるので、7時からテレビの前に陣取る。明日の最終戦に辛うじて望みを残すのみ。
「三人姉妹」の翻訳は、1日に第1幕が終わったが、それから全然進んでいない。明日は少し時間をかけて京都WSのプランニングをしなければならない。来週から手をつけるということで何とか乗り切るとしよう。


10月9日(水)「人が恋しい西の窓」(文学座)
研究生のレッスンを終えて、新宿へ出る。開演までにだいぶ時間があったので、今週末の京都行きの新幹線の切符を買ったり、西口のヨドバシカメラへ寄ったりした後、その近くのHAITIで軽く腹ごしらえをする。7時から紀伊国屋ホールで山田太一さんの新作を観る。男の孤独を描いてしみじみとさせる。男の元を去る妻をはじめ、周りの人物の描き方は少し足りないと感じた。主人公の坂口氏の演技には疑問が残る。相手役を見ていないし、セリフも相手にかかっていない。要するに独り芝居なのだ。老父を演じた飯沼氏の演技に、今は亡き中村伸郎さんを連想して懐かしかった。妻を演じた八木昌子は養成所の同期生、実に久しぶりに舞台でお目にかかる。休憩なしの1時間45分の舞台であった。


10月8日(火)
午後1時から泉岳寺で研1のレッスン。下野さん担当の修了公演の演目も決まり、みんなの気持ちはそちらに跳んでしまっているようだ。4-5月頃の新鮮な反応が薄れてきている。自分の中の未知なるものを探そうとする冒険心がなくなると、創造者にはなれない。
午後6時から劇団総会。問題山積だから、かなり遅くまでかかるかと思っていたが、あっけなく2時間で終わる。こんなことでいいのかと考えていると、悶々として目が冴えてくる。


10月7日(月)研1レッスン
今日から3日間、研1のレッスンが続く。来月からは修了公演の稽古が始まるから、通常のレッスンは今月で終わる。残されたわずかのレッスンで、体の動きと即興を中心としたプログラムを立てている。演じるうえで一番大切なものは、俳優個々の内的想像力だ。即興レッスンは、自身と仲間を信じ、受け入れることで、想像力を活性化する上で不可欠である。

先週から会議などもあり家に落ち着く暇がない。翻訳は第1幕を上げたところでストップしたままだ。しかし、いま一番時間をとられているのは劇団のHPの更新かもしれない。来年度の演目も決まって、年内の公演も重なって、やり出すとつい深夜になってしまう。このままでは身が持たない。多少の手抜きは大目に見ていただきたい。


10月6日(日)日曜コースのレッスン
今日は、初めての方が多かったので、基本的なテーマ「伸筋と屈筋」を取り上げた。1時からの4時間で、身体の前面の屈筋と背面の伸筋の働きを改善するレッスンを4種行う。

そろそろ来年度の日曜コースの日程を決める時期になってきた。
常々感じていたのだが、日曜の午後とはいえ、4時間のコースというのはかなり長時間なので、それが理由で参加をためらう方もあるのではないだろうか。そこで以下のような時間割を考えてみた。午後の時間を第1部と第2部に分け、間に30分の休憩時間を入れる。第1部または第2部だけの参加もできるし、1部2部を通して参加することもできる。第1部は主として基本的なレッスンを、第2部は少し段階を上げたレッスンを取り上げる。
今日のレッスンが終わった後、常連の参加者たちとも少し相談をしてみたが、いいかもしれない、という意見だった。この日録を読んだ方でご意見のある方はぜひお知らせ願いたいと思っています。


10月5日(土)「目のレッスン」初回
今月から年末まで、朝日カルチャーセンターで「目の動き」をテーマにして6回のレッスンを行う。初日の今日は、目の動きがいかに全身の動きを支配するか、リードするかを体感するためのレッスンを2種行った。これからは、体の動きと目の動きの関係を分かりやすく展開する予定。


10月2日(水)
このところ余裕がなくて日録まではなかなか手が回らない。「三人姉妹」の翻訳が一番きつい。机に向かうと、目の前に、ロシア語のテキストを真ん中に、英訳本や邦訳本が何冊も並んでいる。たまにはそれを無視して、テレビで野球や映画を観ていたりするが、気がつくとロシア語の辞書のページを繰って考え込んでいる。舞台のセリフは意味を伝えればいいと言うものではない。そのセリフを媒介にして、舞台と客席との間に何が起こるのか、それが問題なのだ。

10月公演「きょうの雨、あしたの風」初日を観る。


9月23日(月)
今夜は巨人の優勝が決まるであろうと期待して、早々にテレビの前に陣取った。試合はこれ以上ない展開で進み、松井、清原のホームランで5点を上げ、新人真田が5勝目を上げた。しかし、名古屋でヤクルトが勝ってしまったので、優勝は持ち越しになった。明日は決まるであろう。


9月22日(日)今月の日曜コース
昨日朝日で声のレッスンをしているときから、胸郭の動きのことをいろいろ考えていて、今日のテーマはそれにすることにした。参加者たちがみんなかなりの経験者ばかりだったので、小さな動きから大きな動きまでを含んだ流れを考えてみた。といっても、当日の開始時間にならないと、参加者の顔ぶれが全部は分からないので、何通りかのオプションを用意していくことになる。
4時間のコースなので、4種のレッスンを考え、それぞれが胸郭の動きに異なるアプローチをするように配置する。例えば、富士山頂をめざすのに、四つの登山口から登るようなものだ。最後の四つ目のレッスンで、胸の動きが全身の動きが統合されて、仰臥の姿勢から一息で立ち上がる動きで終わった。レッスン後はいつものように、同じ建物にある店に寄って、しばらく歓談。


9月21日(土)声のレッスン/朝日カルチャーセンター
7月からの声のレッスンが今日で終わった。声の土台作りから共鳴まで、基本的な課題にこだわってやってみた。このところ毎年この夏の3カ月は声を取り上げている。今までは、体の動きのレッスンと声のレッスンを組み合わせて行ってきたが、今回は、主として声に焦点を絞って、体の動きは最小限にした。今までのコースへの参加者が多かったのでそういうプログラムにしたのだが、割合好評であったようだ。一年後もまた声を取り上げることになるだろうが、それまでにはまた新たなアプローチを考えてみたい。


9月16日(月)「空想の戯れ」
演出部の若手・安藤勝也君の自主発表会の舞台を観る。登場人物は、さる中年夫婦とその一人娘、娘のボーイフレンド、妻の愛人、妻の独身の女友達、以上6人による、一種の恋愛喜劇。出演者は全員研究生2・3年生。大人の喜劇性を求めるのは無理だとして、真面目にやっていて、好感を持てた。こういう試みをこれからもどんどん積み重ねてもらいたい。


9月12日(木)ペーター・シュタインの「ハムレット」
初めてペーター・シュタインの舞台を観たのは1975年だった。まだベルリンの壁が厳然としてあった頃のことだ。東ドイツ領内に陸の孤島のごとく存在していた西ベルリンに空路で入り、とるものもとりあえず駆けつけたのが彼の主宰するシャウビューネだった。ゴリキー作の「別荘地の人々」の舞台は、本物の土を盛り上げ、本物の白樺の林を背景に、スタニスラフスキーのワークショップを1年以上続けた成果の上に立ち上げた舞台だと聞いた。あの時に味わった研ぎ澄まされた超リアリズムの感覚は、今も新鮮に蘇ってくる。

昨夜観たリチャードの演出家パイマンも、創成期のシャウビューネでシュタインと共に働いた仲らしい。連夜に観た二つの舞台は、しかし、くっきりと両者の違いを印象づけるものであった。

シュタインのハムレットは、演劇的イリュージョンを大いに動員して、仮構されたリアリティを徹底して追及したものだった。多彩に変化する照明、状況をサポートするBGM、スペクタクルな劇場空間の使い方など、そして何にも増して、ロシアの俳優陣のエモーショナルな演技・・・。それに比して、パイマンの舞台では、安普請とも見える大道具、地明かりに近い照明、BGMを廃し、暗転では沈黙の中で道具の転換が行われ、何よりも演技は心理描写を捨てた、叙事に徹したドライな表現で、唯一リチャードだけが感情を表出する。イリュージョンは極度に抑えられていた。昨夜、そういう舞台を観たせいか、今夜のハムレットの舞台は、何だか実に古くさい芝居を観ているような気がしないでもなかった。


9月11日(水)ベルリーナ・アンサンブルの「リチャード2世」
ベルリーナ・アンサンブル(BE)といえば、芝居を始めた60年代からの憧れの劇団であった。75年に文化庁の在外研修でヨーロッパへ行ったときも、いの一番に東ベルリンのシフバーダム劇場へ駆けつけたものだ。しかし、その頃のBEは、後で分かったのだが、ひどい低迷期であった。二つほど舞台を観て、「プンティラ・・・」の稽古を覗いたのだが、期待にはほど遠かった。ひどく偉そうな役者がいるなと思ったら、それがブレヒトの娘婿のエッカルト・シャルだった。

今回の「リチャード2世」は読んでなかったので、前の日に小田島訳を読んで出かけた。ぼくはシェイクスピアの歴史劇はそれほど好きじゃない。ちゃんと読めば面白いことは面白いが、悲劇喜劇作品に比べたら、どうしても敬遠してしまう。今回のクラウス・パイマンの舞台は、かなり大胆にアレンジをした台本で、演出も固有の構築力があってかなり楽しんだ。ただ、第1幕は少々平板で眠気を誘われた。しかし、この舞台があちらで大当たりしたと聞くと、にわかには信じれれない。主人公のリチャードは、確かに面白い人物で、演じた役者もよかったが、結局は、現在世界の政治状況の絵解きのような舞台でしかなく、これだったら、権謀術数の現実の政治を観ている方がずっと面白い、と思った。泥や水をぶっかける演出も、今となると別にさほどショッキングでもない。劇評家たちはちょっと持ち上げすぎではないか。


9月10日(火)
今月から「三人姉妹」の翻訳に取りかかっている。と言っても、資料を読んだり、他の作品を読んだりしながらだから、進み方は遅々としている。それに、ロシア語の辞書を引き引き、英訳や日本語訳を参照するから、気がついたら同じところを行ったり来たりしている。重くならない日本語で、やや軽めに、テンポ・リズムを重視したものにしたい。日常的に過ぎないように。情緒的・叙情的倍音はできる限りそぎ落とすこと。


9月7日(土)
10日締切の原稿を珍しく早く、昨日終えて気分はさわやか。昼前に起きて、Accでの「声のレスン」を準備。共鳴の課題を取り上げる。後1回でとりあえず今回のコースは終わりになる。限られた時間の中で何かをつかんでほしいと思い、プログラムを練る。


9月4日(水)研1のレッスン
いま稽古場では、10月公演の稽古で、大きなワゴンが2台も組んである。それが半分以上の床面積を占領している。残された空間で、ATMのレッスンと声のレッスンを午前中に。午後は、詩の朗読レッスンの教材として使っている谷川俊太郎のひらがな長詩「みみをすます」を、作者自身が朗読しているテープをみんなで聴く。後期は声のレッスンと日本語の表現力の可能性に集中することにしようと思う。

帰宅して、テレビで巨人vsヤクルト戦を観る。桑田が何年ぶりかですごいピッチングをした。松井のホームランにも驚いた。6時半起きの今日は、夜型人間としては大いに疲れた。黙っていても目蓋がくっつきそうだ。


9月2日(月)会議というもの
残暑である。湿度が高いせいか、温度以上に暑さを感じる。こういう時はのんびり昼寝でもできればいいのだが、会議という苦役を引き受けねばならない。夕方6時から、劇団で会議があるので出かける。夏休みが終わって、往復の車中もいつになく混んでいるようだ。来年度の上演企画を考える会議で、月に1回の予定で開いている。2時間で終わることが定例になってる。今日は2004年度の企画をどうするかがテーマ。これは劇団俳優座創立60周年なのだ。徒やおろそかにはできない年なのだ。詳しくはここでは書けない。会議のためになけなしの時間を割いて苦労していることを言いたかった……。


8月31日(土)声のレッスン
朝日カルチャーセンター「声のレッスン」3回目。朝から準備を始め、出かける時間までにほぼプランが出来上がる。現場ではどうせプラン通りには行かないのだが、時間があったのでメモをプリントアウトして持って出る。結局、プランなどそっちのけになってしまったけど、みんなの声の響きは格段に変化した。


8月30日(金)
夕方から山田太一さんと会って、新作の打ち合わせをする。打ち合わせと言っても、中身が決まっているわけではないから、ゼロからの出発みたいなもの。雑談していれば何か浮かんでくるかもしれないから、という山田さんからの提案でお会いすることになった。それでも、山田さんは基本的なアイデアだけは、ちゃんと用意して来られた。さすがである。2時間半ほど話し込んでいるうちに、方向だけは見えてきたので、それなりに準備にはかかれる。山田さんと組むのは3作目になる。何か確かな手応えを感じる。これからの展開が楽しみだ。ちなみに、来年3月の研究生2-3年の修了公演には山田さんの快諾を得て『離れて遠く二万キロ』を取り上げることにした。


8月26日(月)夏休み終わる
短い夏休みが終わり、今日からレッスン再開。若ものたちの表情には、一つの試練を乗り越えたすがすがしさのようなものがあった。ぼく自身も一つの山を共に乗り越えたという感慨を味わった。
午前は基本レッスン、午後は発表会の記録ビデオをみんなで観た。録音された自分の声を初めて聞くときと同じで、いやむしろ映像で迫ってくる自分の姿に、みんなかなりショックを受けたようだ。だれもが自分の課題を強く自覚させられたみたいだ。後半戦の冒頭で、改めて出発するためにはこれはこれでよかったと思う。


8月25日(日)東京ドーム
一年に一回か二回、巨人戦を見に行く。今年はトラトラトラだった。新人の真田くんが投げて、相手はムーア。誰がみてもトラに分があると思ったろう。しかし、勝負というものは常識やデータでは分からないものだ。10対1で真田が2勝目を上げた。松井のホームランも見られたから満足である。メガフォンは持ってなかったが、結構蛮声を張りあげて発散することができてスカッとした。こういう一日があってもいいだろう。


8月22日(木)「ラマンチャの男」
帝劇のマチネを観る。幸四郎のラマンチャは初めてである。1000回を超えたというから大したものだ。よくできた見せ物だと思うが、ミュージカルによくある、単純なメッセージを伝える仕掛けの面白さだけと言えば身も蓋もないか。所詮ミュージカルは素朴に楽しめばいいのかもしれない。幸四郎の熟した演技、松たか子の捨て身の熱演で舞台は活気があってよかったと思うが、夢と現実の乖離を描いて体制順応に異議を申し立てるこの劇の発想は、60年代ならば新鮮なインパクトを発揮したであろうが、今観ると、古くさいおとぎ話を聞かされているような気分になった。とはいえ、カーテンコールでは拍手を続けた。


8月21日(水)高校野球
朝起きて高校野球のテレビをつけ、仕事半分でちらちらと画面を眺めながら昼間から缶ビールを片手に夏の情緒にひたる。そんなのが夏の健康な過ごし方なのかもしれない。今年は準決勝を少しと決勝戦しか観られなかった。今年は、かつての松坂、松井、清原、桑田なんていうスターはいなかったのかもしれないが、今ひとつ盛り上がりに欠けていたという印象を持つ。松井を5打席連続敬遠した明徳義塾の当時のスリムな青年監督がすっかり太めのおじさんになっているのをみて、時の流れを痛感した。

高校野球が終わると、夏の終わりも近いという感傷を覚えたものだが、今年は夏そのものを実感する暇がなかったので、例年とはややちがうような・・・。


8月18日(日)日曜コース
7月が7日だったから、久しぶりの気がする。昨夜寝る前に今日のテーマは「胸郭」にしようと決めた。4時間のレッスンなので、いつも4〜6種ぐらいのレッスンを用意することにしている。あとは現場で進行状態に応じて適宜取捨選択し、新たな要素を加えたりする。初期の頃は、事細かなメモを作成し、プラン通り忠実に進行したものだ。しかし、それだと事前のイメージに縛られて、現場での生きたコミュニケーションが生まれないので、レッスンは堅苦しいものになってしまう。最近はそれぞれのレッスンの要点だけをメモにして、後は現場で自由に発想することにしている。こういう一見ルーズなやり方が出来るようになるまでには、やはり10年以上かかったことになる。このやり方はメモ通りに進行する以前の方法に比べて格段に集中力を要する。4時間に4レッスンという日曜コースは、終わるとくたくたになる。今日も終わってからTMA2階の笑笑で小一時間、中生のジョッキーを傾けながら歓談に興じてようやく疲れから解放された。


8月11日(日)千秋楽
初日をあけたかと思うと、あっと言う間に終わってしまった。わずか4回の上演ではあったが、本番の舞台は回を追うごとによくなっていった。彼らは自分では気づいてないかも知れないが、2カ月の稽古よりもはるかに多くをこの4回の本番で学んだことであろう。そしてこのゴールは単なる通過点であり、次なる課題に向かっての挑戦が始まるのだ。終演後の稽古場での打上は、熱をはらんで10時過ぎまで盛り上がった。この熱気をこれから先も冷まさないようにしなくては・・・。


8月9日(金)初日
何とか初日に漕ぎ着けた。今回はできるだけみんなのやりたいものをやるというポリシーでやってきて、結構難しい出し物ばかりになった。とにかくやればなんとかなるだろうと腹をくくってやってみた。途中、何度か後悔しかかった時もあったが、全員何とかゴールにたどり着いた。ふらつきながらでも、這ってでも、ゴールはゴールなのだ。何着かなんてことはこの際問題にすることはない。勝負はまだまだ先のことだ。やるべき課題はまだまだ山積している。今はとにかく、ホッとしたというのが実感。


8月8日(木)稽古
今回の発表会の主役たちは、この4月から俳優座で勉強を始めたほやほやの1年生だ。あまり高きを望むと萎縮してしまうかも知れないが、思い切って難しい作品を並べてみた。2週間ほど前までは、場面の選択を過ったかなと反省した時もあったが、やっぱりこのラインナップでよかったと思う。確かに作品の核に迫るまでの質を求めるとなれば足りないところは多々あるが、改めて若ものたちの持つ可能性に目を開かされる。彼らが何をどのように学んでいるのかは憶測の域を出ないが、いつものことながら、私自身が学んでいるものの大きさに気づく。教えることは学ぶことなのだ。


不安もあるが、後は明日の初日に思い切って跳んでくれることだけを望む。


8月5日(月)
昨夜午前0時からBS2でピーター・ブルックの「ハムレット」をやっていた。映像用に特別にブルック自身が監督して撮影したもの。昨年世田谷のパブリックシアターで見たのは全くの裸舞台だったが、これはセットらしきものを組んでいた。ブッフ・デュ・ノール(パリ)の客席側にセットを組んだのかなとも思えるが、今日の稽古のこともあり、途中から後はビデオに任せて寝てしまったので今度じっくり観て確かめてみよう。その後の3時頃から、WOWOWでも「ハムレット」をやっていたが、こちらは確か「ハムレット―ニューヨーク2000―」というタイトルで、完全な現代版だ。配役の中にサム・シェパードの名があった。いずれ時間があったら見比べてみよう。

さて、研究生発表会のほうは舞台稽古前の最後の通しをやる。昨日休んだせいか、全体にやや低調だった。夜は劇団幹事会があって11時近くまでかかった。


8月3日(土)稽古と朝日CC
午後1時から通してみた。照明担当の増沢望君が本番の合間をぬって来てくれた。芝居の方は少し迷いの道に入りこんだ感がある。しかし、1週間前に比べれば格段に違ってきた。どんな初日を迎えられるか、楽しみである。明日からいよいよ勝負の直線コースにかかる。

夜は朝日カルチャーセンターのフェルデンクライス教室。今日は声のレッスンの二日目で、声の支え、呼吸への気づき、声の通り道を開くことを課題に2時間を過ごす。参加者いつもより多く30名近い。教室が狭く感じられる。声に対する関心は高いようだ。レッスンの効果がすぐ確認できるのが興味を高める要素かもしれない。


8月1日(木)稽古のこと
8月の声を聞くと夏も半分終わったことに気づく。今年の夏は気候のせいで家電の売り上げが低迷しているとの記事がスポーツ紙に出ていたが、今日もまた結構暑い一日だった。ホームで電車を待っているだけでジトーっと汗ばんでくる。

研究生の稽古のほうは、昨日は「早回し」今日は「黙んまり」とやや特殊な稽古を行う。それぞれに効果はてきめん、1段階上がった気がする。これからのちょうど1週間は、本番へ向けての助走をいかにつけるかが課題だ。そのためにはまだいくつかやるべきことが残っている。


7月30日(火)発表会の稽古
今週はマラソンで言えば、35キロを過ぎての最後の上り坂・心臓破りの丘を駆け上がることになる。全員何とかゴールにたどり着いてくれと願う。最後まで妥協せずに、諦めずに! 先週の金・土、昨月曜の午後に通してみた。その結果を踏まえて今日は各場を細かくチェックしながら一通りやってみた。明日は「早まわし稽古」明後日は「だんまり稽古」を予定している。金・土には細かく最終チェックをやって、来週はトラック勝負となる。


7月26日(金)
今日も暑い一日。往復の車内では、すっかり日焼けした若ものたちの姿が目立つようになった。みんないい夏を送っているんだな。ちょっぴりうらやましい。稽古場は冷房が効きすぎていて寒いくらいだが、稽古そのものはだいぶヒートアップしてきた。今日は午前中第1部を一通りチェックし、場面転換の分担を決め、午後2時より全体を通してみた。初日まであと2週間。どこまで行けるか、もう一段上のダイナミズムを求めたい。


7月25日(木)
稽古も追い込みにかかる時期になると、時間の経つのがやけに早く感じられる。今週もあと2日しか残されてない。ここから来週にかけて一気に最後の坂道を駆け上がらねばならない。少々バランスを崩してレールからはみ出してもかまわない。いや、むしろ脱線するぐらいの勇気が必要だ。現状ではまだ、これだ!という色が見えない部分がある。今夜は選曲に時間がかかり夜更かしになってしまった。結局はサティで落ち着くことになりそうだ。何曲かを差し替えて編集を終わる。


7月23日(火)『白いスケッチブック2002』
今週から六本木へ戻ってきて、稽古のボルテージも徐々に上がってきた。サブタイトルを“俳優術練習用場面集”とする。この2日間で舞台空間のイメージがほぼ固まってきた。殆ど何もない空間で、稽古の雰囲気を消さない形で上演する。音楽は、サティだとやや上品にすぎるので、代わりのものを探している。と言って、あまり泥臭いのはダメだ。決定打はまだ見つからない。往復の車内もヘッドフォンを手放せない。


7月21日(日)
梅雨が明けていよいよ夏本番の暑さ。この時期のんびり海へでも行ければいいが、この十数年間とんとその機会はなかった。研究生との付き合いがある限り無理な相談である。7月の2-3年生の舞台に続いて、8月の1年生の発表会が終わると、もう夏も終わりの風情となる。結局、バカンスとは無縁の世界に住んでいるということだ。

今日は「友達」の千秋楽・B組を観る。1年・2年・3年と、階段を上がって行く現場に立ち会っていると、当人たち以上にやきもきする。大いなる期待を込めて見守っているが故に、いろいろ文句も言いたくなるというわけ。確かに懸命にやろうとはしているが、どうも舞台から放射するエネルギーが欠落している。端的に言うと、元気がないのだ。今の若ものには「友達」という作品が難しいと言ってしまえばそれまでだが、どうも各自の方向性がばらばらで、エネルギーを集約すべきターゲットが定まってないという印象。逆な言い方をすれば、みんな考え過ぎなのかもしれない。下手な考え 休むに似たり と言うが、行き詰まった場合はゼロに戻って、「この芝居はどこが面白いのだろう?」と素朴に問いかけてみるのがいい。登場人物のアイデンティティを個別にいくら掘り下げても、戯曲を読み解くことはできない。戯曲の構造の中での自らの役割に気づくかどうかが役者の、そして上演の死命を制する。集団芸術の難しさ・怖さでもあり、面白さでもある。


7月19日(金)泉岳寺から六本木へ
泉岳寺の稽古場は今日で打ち上げ、来週からは劇団稽古場で最後の仕上げにかかる。やり残したことはまだ沢山ある。夜は2/3年生の「友達」(A組)を観る。


7月15日(月)研1発表会の稽古
気がついたら初日まで1カ月を切ってしまっている。現代劇から各自のやりたい場面を持ち寄って、取捨選択して構成する2時間程度のオムニバス(場面集)である。基本デッサンは何とかなったというべきか、色をつける段階にはまだ至らない。今日は場面のつなぎに使用する音楽を選曲した。いつもの方法だが、一人の作曲家の作品の中から選ぶことにし、プレーヤーも同一のものに限定する。今回はサティのピアノ曲にする。明日の稽古で流してみて様子をみる。


7月12日(金)ザ・ガジラ『薮の中』
鐘下辰男が“真相は薮の中”の表現をも生んだ芥川竜之介原作を舞台化。黒沢明監督が『羅生門』として映画化したことでも知られる原作。世田谷パブリックシアターのステージを取り払い、客席4列目ぐらいまで張り出した円形舞台は島次郎氏の美術。原作の叙述を生かした叙事的・陳述的な対話、長いモノローグ風のセリフ、7名の登場人物はつねに舞台上に存在する。演劇的にはかなり冒険的な試みであるが、その成果には疑問が残る。ハイテンションのセリフと動作、緊張感を強いる静止した長い間、強弱と明暗をくっきりと裁断し、中間調、グラデーションを排除する。これはまさに鐘下演出の特徴だが、これが観客の覚醒を促すのでなく、逆に思考停止を招き、一種の催眠効果を発揮する。その証拠にあちこちに居眠りの頭がたれていた。この手法が成功した例もなくはなかったが、常に変わらぬというのはいかがなものか。演技陣も、それぞれの持ち味は面白かったが、表層的に終始した。もっと思考を刺激するような演劇こそ、まさにいま必要なのではないか。

少し言葉が過ぎたかもしれないが、この日録には今後もその時々に観た芝居のことを書くことになる。そして、書くからには、表面的なエールを送るような儀礼的なものにはしたくない。同じく舞台の実際に携わっている身であれば、批判の矛先は当然自らにも向けられる。それを覚悟することで、考えるままに書くことにしたい。鐘下氏の類い希な資質を高く評価する私としては、それを徒に浪費してほしくないと思う。


7月9日(火)ベースボールと野球
今夜、仕事の合間にちょっとテレビをつけた。大リーグ・オールスター前夜祭のホームラン競争をVTRでやっていた。最近方式が改まったらしいが、これがなかなか面白かった。両リーグから10人ずつ(?)出て予選をやって、さらに上位2人ずつが準決勝をやって、最後に1対1の決勝をやる。ファウルやフィールドに落ちた打球はアウトで、10アウトまでに何本外野席に放り込むかが勝負になる。サミー・ソーサは12本を打って準決勝に進んだが、バリー・ボンズは2本でおしまい。決勝に出たソーサはたった1本しか打てず、ヤンキースのジオンビに7対1で負けてしまった。

日本のオールスターは3回の対戦の試合前に、打撃練習みたいな感じでやるだけで、気合いも入ってないから観ていてもそれほど面白いものではない。オールスターはアメリカと同じに1回限定で厳しくやったぼうがいいと思うが、いかがなものか。

今日のジャイアンツは好調広島に完敗であった。よれよれの工藤を6回まで引っ張ったのがそもそもの間違いだ。工藤といえども、金本に逆転3ランを打たれたところでスパッと代えるだけの度胸が必要だ。オールスター休み前の最後の2試合なんだから、全戦力をつぎ込んで勝ちに行くべきではないのか! 逆転勝ちが続いたので、やや気のゆるみが見えた。脇が甘い。松井が最後にホームランを打ったとはいえ、井川に簡単にひねられあとに、こんな試合をやっていては優勝はおぼつかない。


7月7日(日)
慌ただしい一週間だった。研1の稽古に本格的に取りかかり、改めて大変さに気づき、少し焦った。全部で9場面だが、1日にせいぜい2場面。先週1週間で何とか一通り動いてみた。結構難しいシーンを選んだものだ、と思う。短い期間にどこまでやれるか。明日からの2週間である程度仕上げなくてはならない。

今日は泉岳寺で7月の日曜コース。取り上げたのは、骨盤の動きを中心に、足から頭まで全身のエネルギーの流れを生み出すレッスン。昨6日(土)からは、毎年恒例の「声のレッスン」がスタートした。このテーマは人気があるのか、受講者が多い。

6月30日(日)ワールドカップ決勝戦
さすがに決勝戦ともなると心が躍る。ブラジル圧勝を予想していたのだが、その通りになった。素人の予想だからそれほど根拠があったわけではない。むしろ、願望のほうが強かったのかもしれない。街頭に出て若ものたちと一緒に騒ぐ歳でもないので、家のテレビの前でビールなど飲みながら声援を送った。ロナウドから受けたバスを蹴り込んだリバウドの強烈なシュートをカーンが思わずファンブルしてこぼれたボールを、それを予想したかのように猛烈な勢いで走り込んできたロナウドが難なく決めたあの瞬間、僕は思わず椅子から飛び上がって叫びながら手を叩いていた。前半から何度となく決定的なシュートをカーンの堅守に阻まれていらついていたからなおさらだが、サッカーにおける1点の重みを実感した瞬間だった。なぜに世界中の人々がサッカーに熱中するかの理由が分かったような気がした。ブラジルの2点目も美しくすごいゴールシーンだったし、これでブラジルの勝利は決定的だと確信させるものではあったが、興奮度では1点目に劣る。負けたドイツも予想以上に攻撃的に闘った。特にカーンの姿には悲壮感が漂っていた。それに象徴されるように、ブラジルのサッカーとは決定的に違うと改めて感じた。


6月29日(土)『ロベルト・ズッコ』
文学座アトリエ公演を観る。我が座の中野誠也の愛息・中野志朗くんの初演出。コルテスの硬質なテクストに真摯に立ち向かい格闘する様には好感が持てたが、そこから立ち上がるべきドラマの息吹をとらえるには力及ばなかった。それにしても、この作品を日本の俳優で上演することに難しさはある。英米演劇流のリアリズムに毒された演技術では歯が立たない作品であるとみた。戯曲を読んでからもう一度考えてみたい作品ではある。

夜は朝日CCで春期のコースを終える。次の夏期コースは「声のレッスン」である。夏に声を取り上げるのは4回目になる。今度は、改めてレッスンの構想を考え直して取り組むつもりにしている。


6月28日(金)
しばらく空白ができてしまった。別にサッカー・ワールドカップにうつつを抜かしていたわけではなく、研究生1年発表会の準備が意外に手間取ってしまったためだ。今週やっと全シーンの選別が完了し、ようやく本格的稽古にかかれる体制が整った。各シーンの配列は来週一杯かかるだろうが、まずは一安心。稽古期間が短いので、じっくり発酵を待つ余裕はないかもしれない。なるべく自発性を尊重するつもりではあるが・・・。

ワールドカップは3位決定と決勝戦を残すのみになった。まわりのフィーバーに巻き込まれて結構ヒートアップしてしまった。決勝は順当にブラジルvsドイツになった。なんとかブラジルに勝ってほしいものだ。ドイツが勝ってあの面白みのないサッカーが流行るかと思うと、ぞっとする。サッカーの醍醐味は、何と言ってもあの華麗な個人技があって、それがセンスあふれるアンサンブルの中で輝く戦いぶりだ。ブラジルのアンサンブルはまだ不足するものはあるようだが、3Rの妙技はサッカーの悦楽を観るものに与えてくれる。さて、結果はどうなるか・・・。

今日は稽古後に小里清君と久しぶりに歓談。依頼している新作について予備的な意見交換を行う。かなり話は盛り上がった。これからの展開に大いに期待がもてる感触。


6月21日(金)『桜の園』初日
チェーホフ・魂の仕事も終着駅に辿り着いた。新国立劇場の『桜の園』初日。先日「放浪記」を観て森光子さんの演技に感嘆したばかりで、今日も大いに期待をかけて出かけた。が、カーテンコールの客席は生ぬるい拍手だった。なによりも演技の質が互いにバラバラで、からみ合ってない。出自の異なる演技者をつき混ぜて、相互の衝突の中から一つの効果を生み出すためには、相当に練り上げる作業が必要であろう。チェーホフの作品中の人物たちがバラバラに生きているということと、互いの演技がバラバラでそっぽを向き合ってるということとは全く次元が別だ。もちろんいい演技もあったし、いい場面もなくはなかった。しかし、終わってみればつかみ所のない、平板な印象しか残らなかった。『桜の園』の喜劇性の表現は、やはり至難だ。上演時間3時間近いというのも長すぎるのではないか。これほど時間をかけたのでは舞台の弾みは生まれようがない。
しかし、今回のチェーホフ・シリーズを通してみて、栗山氏の仕事はまだよい方で、最初の3本はちょっといただけなかった。


6月20日(木)『ら抜きの殺意』
俳優座劇場で話題の舞台を初めて観る。永井愛さんの名を一躍高めた作品。台本は以前に読んで感服していただけに、今日の舞台が待ち遠しかった。楽しめる舞台ではあった。初演より5年経っているせいか、新鮮さはやや薄れているように感じた。特に全国各地を巡り、大きな会場でやってきたために、芝居が大劇場向きになってるのかもしれないが、演技が外面的になっている。個々の人物が単純化されすぎ、戯画化されているので、底が浅くなってしまった。笑いを強制されているようで、素直に笑えなかった。微妙なニュアンスや観客の想像力を信頼する点において欠けるものがあった。もう少し自然な表現でやったほうがよかったと思う。


6月19日(水)研1発表会のこと
場面集の構成はだいぶかたまってきた。稽古期間が2カ月を切り、しかも最後の2週間ほどしか劇団稽古場を使えない。あまり欲張った構成にすると稽古不足のまま初日を迎えることになりそうだ。ここで割り切った選択をしないと後で後悔することになるので、全体は8〜9場面に収めることにしようと思う。各自が集めてきた場面は全部で40種近くになる。それぞれに面白いし、何よりも各自の関心の方向や好みが判って興味深い。ただ自分がやりたいと思うものをやることにはマイナス要素もあり、得てして自らの可能性を狭く限定してしまうことにもなる。挑戦なくして可能性は開けない。


6月18日(火)ニッポンvsトルコ
日本は先発メンバーを変えてきたが、初出場のサントスと西澤は周りとの呼吸が合わずほとんど機能しなかった。稲本にも生彩がない。前半は快進撃を続けたあのニッポンかと目を疑いたくなるようなプレーの連続。中盤で簡単にボールを獲られては再三ゴール前へ攻め込まれる。雨でボールのコントロールが意のままにならない感じで、前半22分、ついに中田浩二が決定的なミスを犯す。不用意なパスで相手にコーナーを与え、いとも簡単にヘディングを決められてしまう。この瞬間の守備陣には序盤の気のゆるみがあったようだ。市川と鈴木を交代で入れた後半、やっと本来の速攻が出てはきたももの、ドイツ式にがちがちに守るトルコを崩しきれなかった。それにしても、前半の失点がなかったらと悔やまれる。予選に比べ日本代表の志気はイマイチ低いように感じた。なんでこんなヘボ・チームに負けるんだと思っているうちに試合はあっけなく終わってしまった。勝てない試合ではなかっただけに、全く残念でならない。
(以上試合終了直後のインタビューを聞きながら・・・)


6月16日(日)日曜コース
昨土曜の朝日に続いて泉岳寺TMAでFCJのフェルデンクライス講習会。1時から4時間。この1週間、研究生のレッスンも含めて、骨盤の動きをテーマにしている。今日は4種のレッスンを通じてそのテーマを深めてみた。

今日のレッスンに俳優座研究生1期生の小関広介君(芸名:越大介)が姿を見せた。4年間俳優座に在籍して退団して別の道を目指した。最近、芝居をやめてボディワークに専念しているとか。研究生時代に体験したフェルデンクライス・メソッドを改めてじっくり学んでみたいという。ほぼ10年ぶりの再会だったが、真面目な好青年という感じは以前のままだった。終わって2階の笑笑で小一時間歓談。


6月14日(金)ニッポンH組1位
日本チームは試合ごとにたくましくなってきた。試合ぶりも随分落ち着いて余裕が感じられる。勝つことで自信が生まれている。予選通過自体が危ぶまれていたのがウソのような快進撃。むろん開催国という地の利はあろうが、これは文字通り快挙だ。今回の主力はユース時代から国際経験豊かで好成績を上げてきたメンバーなので、なかなか冷静でタフな連中がそろっている。決勝シリーズではさらに上を期待できるのではないか。


6月13日(木)『舞姫』を観る
午後1時から三越劇場。全席売り切れでめでたい限りである。全公演が昼間だけというのも珍しい。客席は中年以上の女性が圧倒的。台本が薄味で、鴎外の苦悩、エリーゼの心情にいまいちリアリティがない。演技的にも、もう少し掘り下げてほしかった。

夜はテレビでイタリアvsメキシコ戦を観る。優勝候補が次々に姿を消すなか、イタリアにすれば相当なプレッシャーだろうが、冒頭から自在に動き回るメキシコに比べ、イタリアの動きはどこかぎこちない。前半34分にメキシコが先制点を入れてから、イタリアの動きは焦りが目立つ。トッティにしろビエリにしろ、足元がもつれ、シュートは外れまくり、キックはミスばかり。それに比べメキシコの動きは軽快そのもの。終盤ギリギリにトッティと交代したデルピエロの幸運がなかったら、優勝候補がみんな消えるというハプニングが起こるところだった。それにしても今回のワールドカップ、ヨーロッパの守備重視で組織的ガチガチ・チームが残り、サッカーの面白さであるファンタジーに富んだチーム、特にアルゼンチンが消えたのは残念でならない。決勝で観たかった。


6月11日(火)伊藤昇氏を悼む
掲示板にも書いたが、飛龍会の主宰者・伊藤昇氏が先月末に亡くなった。突然の訃報に驚くと同時に、理不尽な死の訪れに非情を感じる。拳法の世界で独自の存在であったが、フェルデンクライス研究会が発足した時からの会員で、私のレッスンに一時は欠かさず参加し、フェルデンクライス・メソッドからも多くのものを吸収し、そのことがその後の氏の方法を更に飛躍させることに役だった面もあったのではないかとも思う。最近は各方面から多大な期待をかけられ超多忙な毎日を送る日々であったのではないか。転移性肝癌が死因だと聞くが、何かに急き立てられるように働きづめだった年月が、いつの間にか彼の身体をむしばんでいたのかもしれない。今後、伊藤さんの方法がさらに多くの人々に親しまれ、大きな花を咲かせるであろうと期待をかけていただけに、誠に残念でならない。今はただ謹んで哀悼の意を捧げるしかありません。 合掌


6月10日(月)研1発表会の準備
今週から週3回のレッスンになる。8時前に家を出て劇団へ向かう。車中でスポーツ紙を読みつつ昨夜の興奮を反芻する。

レッスンはフェルデンクライスの動きをやった後、各場面の読み合わせ。誰が何をどんな場面を選んでくるかが大変興味深い。場面はほぼ出そろったが、これを絞り込んでどういう舞台になるか、自分でもまだ分からない。徐々に楽しみがふくらんできた。


6月9日(日)日本vsロシア戦
いつの間にかサッカー・フィーバーに感染してしまい、朝から何となく落ち着かない気分。試合開始時間までに全ての所用をすませてテレビの前に。後半開始早々相手のスキをついて上げた1点を守り抜いての勝ち。ロシアは途中まで日本をあまく見すぎていたきらいがあるが、終盤の猛攻にはさすがに迫力があり、冷や冷やの連続だった。よく守り抜いたとともに、ロシア側の疲労に助けられた面もあったようだ。それにしても、日本チームの攻守のバランスが非常によくなってきているのに驚いた。専門家から見ればまだまだ不足しているのだろうが、今までなら守ることに精一杯だったのが、今や一流チーム相手でも、どんどん攻められるようになってきた。ただ、シュートの精度はまだまだで、この日も何本か決定的なチャンスを逃していたようだ。予選突破はあんまり期待できないと予想していたがうれしい誤算になりそうである。次の相手チュニジアは個人技に秀でているようで油断大敵だ。


6月5日(水)研1レッスン それから 『浅草・花岡写真館』
研1のレッスンは今週から泉岳寺から六本木の劇団懐古場へ戻っている。10時スタートでまずフェルデンクライスの動きのレッスンを小一時間。それから発表会の場面の検討に入る。その後、午後4時までかけて、みなが自分で探してきた場面を読む。場面はすでに三十数編になる。ここから十場面ぐらいに絞り込んで『白いスクラップブック・2002』と題して8月に上演する。右の写真は、互いに組んで思い思いに読み合わせている稽古場風景。今回の企画は、できるだけ「戯曲を読む」ことを隠れた課題としている。来週中にはラインナップを決定し本格的な稽古にかかる予定。

夜は新宿・紀伊国屋サザンシアターで山田太一さんの新作、地人会公演『浅草・花岡写真館』を観る。そう言えば、『黄金色の夕暮』で中野誠也演じた銀行支店長も花岡であった。第一幕が40分ぐらいで、さてこれからどう展開するかとやや懸念したが、第二幕になって俄然盛り上がり、笑いながらも切実なテーマについて考えさせられる。木場勝巳がなかなかいい。20年以上前、下北沢の小劇場で竹内さんの作品をやってた頃からのファンとしては嬉しいかぎりである。木村光一氏の演出も達者なものだ。しかも、今回は割合自然体であった。


6月4日(火)ニッポン・サッカー
トルシェ・ジャパンがどこまでやれるか、いよいよ開幕。出だしはやや硬かった。引き分けで上々と見るか、勝てた試合を落としたことが、後にどう影響するか。次の相手ロシアはベルギーより強いらしい。8時半からの韓国が攻めに攻めてポーランドに圧勝した試合を観たが、すごい勢いがあった。

右の写真は今日道ばたで撮ったもの。特に意味はない。文字ばかりじゃ見栄えがしないから、入れてみた。


6月3日(月)イタリア式サッカー
そんなものがあるのかどうかは知らないが、今夜観たイタリアvsエクアドル戦でのイタリア・チームの戦い方は余りスマートには感じられなかった。ローマの貴公子・トッティにしろ、今日2得点を上げたビエリにしろ、軽快なスポーツカーと言うよりはローマ帝国を想起させる重戦車みたいで、相手のディフェンスをぶっ飛ばして力任せにゴールを決める。後半エクアドルは細かいパスをつないで果敢に攻め込んだが、重戦車には歯が立たなかった。にわかサッカーファンゆえ勘違いしているかもしれないが、今までイタリア・チームに抱いていたイメージとは随分違っていた。それにしても、野球に比べると、サッカーには偶然性・即興性の要素がはるかに強い。つまり、弱くても勝つチャンスは充分にある、ということだ。ニッポン・ガンバレ!


6月2日(日)FIFAワールドカップ
サッカーにさほど興味があるわけではないが、世界中からやってきたスターたちが続々と登場するとあって、午後2時頃からテレビの前に坐りっぱなしであった。都合3試合を殆ど全部最後まで観てしまった。イングランドがやや期待はずれだったけど、後の2試合はかなり満足した。特にアルゼンチンの個人技とチームワークのバランスが取れた華麗な試合運びには感嘆した。ナイジェリアも必死に食らいついたが力及ばず、それでも見応えのある試合だった。スペインのラウールは評判に違わぬプレイだった。サッカーの面白みが少し解ってきたような気がする。明後日の日本チームの初陣は是非観てみようと思う。あまり期待はしないで・・・。


6月1日(土)朝日カルチャーセンター(Acc)のレッスン
「日録」が重くなってきたので、今日から新規ファイルを立ち上げる。時々気が向いたら写真なども添付するつもり。

6時半から恒例の朝日カルチャーセンターのレッスン。大江戸線まわりで都庁前まで約1時間半以上かかる。土曜日の夕方の上りは余り混まないので、余裕のあるときはこのルートに限る。都庁前の駅から住友ビルに直結する出口がある。いつものように1階のアートコーヒーで一休みしながらこれから行うレッスンの中身を吟味する。

今回のクラスは20名余だが、休む人がほとんどない。自然とこちらも気持ちがのってくる。『フェルデンクライス身体訓練法』所収のレッスン7と8。ともに基本中の基本レッスン。どちらのレッスンも、動くことを目的にすると、がんばって力んでしまうことになり、結果として“気づき”は少なくなる。しかし、力を節約して、ゆったり動きを楽しんでやると、その結果は驚くほどの“気づき”に恵まれる。


新宿西口住友ビル48階のAccの教室の窓から。晴れた日の夕暮れ、はるか彼方に富士山のシルエットが浮かび上がる。左側にそびえる建物は都庁舎。

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