出会いと発見 11

教え方と学び方をめぐって


だれに教わるかによって学ぶものの体験の質は違ってきます。学校での体験からも分かる通り、同じことを学ぶにしても、巡り会う先生によって結果は左右されます。しかし、どんな先生がよい先生かとなると、ことはそう単純ではないようです。よい先生とは、言いかえればよい教え方ができる人なわけですが、では、よい教え方とはどういうものなのかです。

前号に書いた通り、私は昨年9月にスタートしたフェルデンクライス・メソッドのティーチャーズコースに参加していますが、これはこういうことについて考えるには格好の場だと感じます。現在1年目の第3期が終わったところで、今までに3人のトレーナーと数名の助手から教わったことになります。一つのテーマについてこれだけ多くの人に教わるのは、私の人生では初めてのことです。

フェルデンクライス・メソッドについて、私はこれまで主に独習に近い形で学んできました。教材のひとつはモーシェやその他の指導者たちの「レッスンテープ」で、もうひとつは英語で大量に文書化されているモーシェをはじめとする著名な指導者たちのレッスンの「記録ノート」です。どちらも個人では到底カバーしきれないほど膨大な量で、しかも毎年増え続けています。

多種多彩なフェルデンクライス・メソッドのレッスンの実態を知るのに何よりも役立ったのは、レッスンの実際を正確に記録したノートの存在でした。文字化されているので、内容を客観的に把握することができ、テープよりもレッスンの構成やポイントをたやすく理解することができました。最初は量の多さに圧倒されていましたが、いつの間にか次第に面白くなり、一時は夢中になってメモを取りながら読み漁ったものです。

一方テープは、主として個々のレッスンを体験することを目的に活用してきました。それにしても、モーシェの古いテープなどは録音状態が悪いので、リピートを繰り返しながら悪戦苦闘したものです。動きの説明のくだりはまだよいとしても、少し込み入った話はもう面倒くさくなって適当に聞き流しました。でも、そうやってレッスンを体験しているうちに、このやり方も次第に楽しくなり、テープを通して巡り会った先生の数は10人近くになったでしょうか。ほとんどがライブ録音なので、生の臨場感に近いものに触れることができたように思います。

このように二つの異質の学び方を並行して続けているうちに、ノートによる知的理解とテープによる身体的体験が融合して相乗効果を発揮するようになりました。テープで体験するレッスンの構造を分析することと、記録ノートをもとに実際にレッスンを体験することが次第に同じ次元に近づいてくるとともに、それまではレッスンを体験し理解することに集中していたのが、教え方の違いを意識し考える余裕も生まれ、口調や話術という外向的な側面だけでなく、レッスンの構成、要素の配置、重点の置き方、指示のタイミング等、先生ごとにさまざまな違いがあることに気づくようになり、そして、今日はだれのレッスンを受けてみようかと、気分によってノートやテープを選択するのがひとつの楽しみにもなってきました。

教え方の違いはそれぞれの個性の反映であることは分かりますが、ノートとテープが相手では今一つ間接的接触を超えることができないもどかしさを感じていました。今回のコースで直接トレーナーや助手のレッスンを受け、生身の体験としてそれぞれの違いを味わうことによって、教え方についてさらに具体的に考えることができるようになりました。これまで来日したトレーナーは、エラット・アルマゴール博士、カール・ギンズバーグ博士、ジェリー・カーゼン氏の3名です。

エラット・アルマゴール博士は、神経生理学の専門家で、今回のコースのエデュケーショナル・ディレクターとしてプログラムの全責任を負っています。生前のモーシェのもとでその仕事を助けるとともに、彼の死後はイェルサレムにフェルデンクライス・メソッドの研究センターを設立し、ダンス音楽アカデミーやイェルサレム大学でフェルデンクライス・メソッドを教えています。他の2人のトレーナーは60才台ですが、彼女はそれより一回り若い世代に属しており、数多くの女性指導者の中でも飛びきりの理論家タイプです。レッスンにしろレクチャーにしろ、ときどき鋭く光る眼差しと柔和な笑顔をかいま見せながら、辛辣な批評精神と適切なユーモアを交えた語り口をもって、論理的な構成力と母性的な包容力で迫ってくる迫力には圧倒的なものがあります。

カール・ギンズバーグ博士は、『心をひらく体のレッスン』(新潮社)の読者ならば、その「まえがき」の署名で記憶されていると思いますが、この本の編集責任者です。アメリカの第1世代の指導者の一人で、世界各地でトレーニングコースを主宰している著名なトレーナーです。長年、身体障害者の教育に携わってきたと聞きます。博士には"Medecine Journey"という短編集もあり、Feldenkrais Journalなどに発表された論文の柔軟で豊かで美的な分析力といい、その文芸的才能にはたぐい希なものがあります。どちらかというと寡黙な人柄で必要なことしか口にしないタイプですが、そのレッスンは微妙な気づきを促す繊細な魅力に溢れていました。

ジェリー・カーズン氏は、アメリカでフェルデンクライス博士の秘書役をつとめ、アメリカでのモーシェの最後のトレーニングコース運営の任にあたり、その後「フェルデンクライス・ギルド」設立運営にも中心的な役割を果たしました。これだけでは一見お堅い人柄が想像されるかもしれませんが、3人のうちでは最も気さくな人物で、冗談が大好きな、だれとでも気軽に言葉を交わす陽気なアメリカンでした。聞くところによると、若い頃はヒッピーだったとのことで、レッスンの方法も自由奔放に近く、型にはまらず、むしろ自分でレッスンを楽しんでいる雰囲気でした。その気取りのなさに親しみを感じる人たちにとっては一番人気が高かった一面、レッスン自体の集中度や気づきの豊かさにはもの足りない面があったと指摘する厳しい意見も一方にはありました。

ここで3人のトレーナーの優劣を判定するつもりはありません。私自身は3人のレッスンの違いを興味をもって受け入れながら、それぞれの個性の現れとして十分楽しむことができました。教え方と学び方は表と裏のように相互関係にあり、よい教え方はよい学び方がなければありえないのではないでしょうか。

受動的な学び方と能動的な学び方がありますが、能動的な学び方を促すのがよい教え方といえるでしょう。しかし、学ぼうとする気持ちの乏しい相手に教えることは殆ど不毛の努力に近いものがあるのは事実です。学びの全局面で能動性を持続するには、それなりのエネルギーが要りますが、それを生み出すのは新しいもの・未知のものへの抑えがたい好奇心・冒険心だろうと思います。それが教える側を刺激することにもなり、学ぶもののそういう心を触発する教え方を引き出すことにもなります。どんな場でも、そのような関係が強く深く生まれ育っていくことが大切ではないかと思います。

AWARENESS第18号(1997/06/10発行)所載


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