出会いと発見 8

「心をひらく体のレッスン」による新しい体験

「心をひらく体のレッスン」という名は、新潮社からThe Master Moves の翻訳が刊行されるときにつけたタイトルです。長年俳優の仕事について考えてきて、体と心の関係をどう捉えるかを自分なりに求めているうちに、体からのアプローチがもっとも有効であるとは気づいていました。だから、ちょっとぎこちないスローガンじみた「心をひらく体のレッスン」という呼び名は、私なりにフェルデンクライス・メソッドを深めて行くためのキーワードになっています。

フェルデンクライス・メソッドによる「心をひらく体のレッスン」は、まだ気づいてない自分を見つけ、隠れている能力を拓いて行く方法です。生まれたときに持っていた自分の可能性は、成長の過程でいろんな経緯のうちに、大抵の場合、十分に実現されず、多くが埋もれたままになってしまいますが、どうすればそれを掘り起こし再発見できるかを教えてくれるもっとも有効な方法がここにあります。

他の動物に比べて人間が優れているのは、新しいことを学ぶ能力ですが、フェルデンクライス・メソッドは、この基本的な人間の能力を全面的に信頼する方法をとります。それはこのメソッドが、一人一人の人間をとことん信じるところに成り立っているからに他なりません。それを裏返せば、誰もが自分をとことん信じることから全てが始まるということになります。その場合、ありのままの自分を素直に受け入れられるかどうかが大切です。レッスンの動きで、どうしても頑張って無理をする人は、自分の能力を実際以上に自他に対して誇示しようとする意識があるからでしょうし、緊張してぎこちない動きをこわごわやる人は、間違ったことをやってはいけないという強迫観念に囚われているからでしょう。ありのままの自分を受け入れることほど難しいことはないと思いますが、「心をひらく体のレッスン」の体験を深めて行けば、自然にそういう状態へ近づくことができます。

レッスンの方法は、指導者がみなの目の前で実演し、それをみなが真似するというやり方ではなく、言葉で説明される動きを各々が自分で考えて動きを見つけ創り出して行くというやり方をします。モデルがないから、自分で自分の中に何かを探さなくてはなりません。見知らぬ初めての土地に自分一人で道を見つけていくことが求められるようなものです。道案内がいて、その人に全てを任せていればよいという方法では全くないわけです。そうやって未知の土地へ旅立つわけですから、当然新しい体験をすることになります。

新しい体験というものは、言ってみれば未開の地への冒険に似ています。それには当然、新鮮な感動だけではなく、むしろ不安や恐れが付きまとうのが普通ではないでしょうか。レッスンの中で、ときには不快感やめまいや苦痛などを感じたことのある人もあると思いますが、それなりの理由があるのです。

世の中には、人をいきなり未知の次元へ連れ出すことを方法とするメソッドがあります。種々の「(超)能力開発法」の中には、人をできるかぎり非日常次元へ連れ出し、日常的意識を遮断することで異次元への飛躍を強制的に加速するものが少なくありません。そのためには、様々の設備施設、食品薬物、視聴覚的触覚的電子的デバイス類が活用されたりします。このような形の能力開発は、人間的能力に信を置いたものだとは到底言えません。そこにあるのは、程度の差こそあれ、人間の能力を他者が(それが教祖であろうと、先生であろうと、指導者であろうと)恣意的に操作できるという傲慢さです。この方向が強固な使命感と結びついて極限にまで押し進められたとき、その行き着く先は「選民思想」です。選ばれたるものだけが救われ、選ばれざるものは滅びさるという思想の非人間性は、古今東西(近くは第三帝国やスターリニズムにおいて)歴史的に実証されています。いずれにしろ、このような方法でもって未知の土地へたどり着いたものは、自分がどのようにしてそこへたどり着いたかには気づかないままになり、通常の社会生活とは無縁の生を送ることになるでしょう。

それに対してフェルデンクライス・メソッドでは、常にプロセスを意識化することが重視されますから、自分がたどる旅の道程を確認しながら進むことになります。レッスンの中での休息と自己観察は、そのもっとも特徴的な手法です。自分の変化を受容しながら、ゆっくりと進行しますから、自分がどこから来たのか、どういう道をたどってここまで来たのか、出発点と現在地点を結ぶ距離に常に気づいた状態で歩んでいきます。どんなところへたどり着いたにしろ、そこまでの道筋に気づいているということは、「心をひらく体のレッスン」が開かれたメソッドであることの証拠であり、これこそがフェルデンクライスの言う「アウェアネス」の本質だと言えます。

AWARENESS第15号(1995/04/15発行)所載


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