出会いと発見 9

ニューエイジとフェルデンクライス


すでに何度か書いたり語ったりしたように、私がフェルデンクライス・メソッドに出会ったのは、ある種の偶然でした。しかし、今にして思うと、出会うべくして出会ったという感もあります。そういう意味では単なる偶然ではなかったと感じています。

あれからもう20年以上になります。カリフォルニアのある劇団のワークショップの現場で初めて出会ったメソッドですが、その当時、アメリカを起点としてカウンターカルチャーの波が澎湃として起こり、それまで既成の文化的正統の枠から外れ落ちこぼれていた様々なサブカルチャーがあらゆる分野で見直されはじめていました。そういう動きの中から、既成の文化自体をも見直そうとしてニューエイジとかニューサイエンスという思想的・学問的な流れが生まれました。その一番大きな要因は、この世界の現実がそれまでの近代的合理主義の枠組みでは到底捉えきれなくなったことにある、そのことをいやというほど認識させられるようになったからである、と言えるでしょう。フェルデンクライス・メソッドもそういう流れの中で注目を集めるようになっていたのでした。

60〜70年代にかけて全世界を襲った新しい波はまさに玉石混淆だったと思いますが、その余波は今も続いており、確実に成長しているもの、ただ名前だけで生き延びているもの、すでに化けの皮の剥がれたものなど様々です。ただ、一言でニューエイジとかニューサイエンスといっても、そのころ突然生まれたわけではありません。それなりのバックグラウンドがあってすでに着実に成長していたものが少なくありません。

モーシェ・フェルデンクライスは1949年にその理論的土台を明らかにした『身体と成熟した行動』を著しましたが、すでに40年代前半、イギリス亡命中に実践的にも理論的にもフェルデンクライス・メソッドの土台をほぼ解明していました。50年代には、イスラエル本国とドイツ、スイスなどヨーロッパ各国で注目されていましたが、70年代初頭に初めてアメリカへ招かれ、特にニューエイジ運動の拠点カリフォルニアのエサレンで開いたワークショップが大成功をおさめ一躍脚光を浴びることになったのでした。

日本におけるカウンターカルチャーの動きはアメリカとは若干異なった様相を呈し、少し遅れて70年代に入ってから始まりました。その原因は、日本ではマルクス主義の影響がアメリカとは比較にならないぐらい強かったことです。正統派マルクス主義に対抗し、60年代になって急速に盛り上がった新左翼運動は、日本風カウンターカルチャーの一種だったと言えなくもないでしょうが、70年安保闘争を通じて明らかになった新旧マルクス主義の衰弱・腐敗・空洞化のプロセスで、それを埋めるようにしてニューエイジ、ニューサイエンスがもてはやされるようになりました。そういう動きが形としてはっきりしてきたのは70年代も終わり近くから80年代初頭にかけてでした。折しもバブルへ向かって日本社会は未曾有の経済的繁栄と体制的安定を謳歌していました。その中で、新しい波の反体制的な流れは主としてエコロジー運動へと向かい、もう一つのより大きな流れは自己解放・自己開発を目指す個の成熟へと向かいました。こういう中で、身体の社会性が日本で初めて思想的に取り上げられるようになりました。身体からの・体ぐるみのしなやかな革命などという命題が新鮮な魅力を発揮するようになった時期でした。

ニューエイジをどのように定義するかは意見の分かれるところでしょうが、その大きな特徴として東洋思想の重視が上げられると思います。西洋の思想が分析的であるとすれば、東洋の思想は極めて総合的です。それが最もはっきりするのは身体観においてです。極めて単純化して言えば、西洋近代は心身二元論で東洋は一貫して心身一元論ということになるでしょうか。ニューエイジの波を高めた動きの中心には東洋的な身体論に基づく様々なメソッドがあり、それらは東洋的身体技法そのものであったり、東洋的身体思想に影響を受けた心身メソッドやボディーワークであったりしました。

日本は明治維新の富国強兵以来、西欧化された東洋としての道を歩いてきて、私たちの心身は東と西に引き裂かれてきました。西から来たニューエイジの波は、私たち日本人にとっては特別の意味を持っていると思います。東洋の思想や身体技法は総合的であるが故に直感的・体験的要素が強く、ともすれば秘教的になりがちです。ニューエイジは確かに私たちにとって東洋の「逆輸入」にちがいありませんが、そこには西洋の分析的方法論がはっきりと刻印されています。いま私たちにとって今なお切実にもとめられているのは、東と西を統合した新しい次元の方法論をさらに深めることではないでしょうか。フェルデンクライスについて私がもっとも感動したのは、西洋の知の技法をもって東洋の智の世界に限りなく近づいているように感じられたことでした。

その頃私は演劇の世界で特に欠落しているのが身体論であることを痛感していました。演劇にとって俳優の存在は決定的なもので、俳優はその体と心を丸ごと差し出すことで表現する仕事です。にもかかわらずその俳優の仕事にとって有効な身体技法が演劇の世界では見あたらなかったのです。そういう奇妙な状況を何とかしなくてはと思って、私は東西の各種の身体技法を勉強しはじめていました。その過程で出会ったうちで最も強烈なインパクトを覚えたのがフェルデンクライス・メソッドで、体からのアプローチ、演劇的身体技法にとって根本的な啓示を得たのでした。

東西を問わず身体技法というものは、大なり小なり言葉では説明しきれないところがあり、体験的にならざるを得ない側面があるものです。しかし、フェルデンクライスの方法は言葉による分析が徹底しています。曖昧で捉えがたいものを言葉にしようとしてあらゆる知見を参照・綜合し、そこから柔軟で透明な理論を生み出しています。だからといって、理論優先の頭でっかちの方法ではなくて、体験の質は驚くほど深く、また非常に短期間のうちに誰もが豊かな体験を得ることができます。それは他の技法で長い年月をかけて体得するものと比較しても決して劣るものではありません。

しかし、私が何よりもこのメソッドに魅力を感じたのは、人間の能力に対する全的な信頼の上に築かれている点でした。ありのままの自分に気づき、それを素直に受け入れることがフェルデンクライスの出発点となります。レッスンによって身体感覚が活性化され自分への気づきが深まってゆきますが、そのプロセスではあらゆる強制は排除され、完全な自発性にゆだねられます。そこでは幼児の自然な学習課程が理想とされています。このような方法は人間に対する無限の信頼がなければ到底成立しないと思います。

私はこの20年余、フェルデンクライス・メソッドを中心においてやってきました。芝居の世界での身体技法として始めたものが、今や思想的な課題として自分の中で発酵しつつあるのを感じています。今日本人は、特にオウムの事件をめぐって避けて通れない問題を投げかけられています。これについては前号で若干触れました。また、演劇雑誌「テアトロ」10月号にもそういう問題の一端を論じてみました。機会があれば目を通していただければ幸せです。今回は紙面が尽きてきましたのでそろそろ筆をおかなければなりません。問題の入り口で終わるような中途半端なものになりましたが、連載ということで許していただきたいと思います。こういう問題についても皆さんのご意見をお寄せ下されば嬉しいです。

AWARENESS第16号(1995/09/05発行)所載


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