出会いと発見 3

教わることと教えること

私は元来ひとにものを教えることは大の苦手であった。いや、教えるどころか、人前でものを喋ること自体が死ぬほどつらい苦行にほかならなかった。今でもそれは余り変らず、できることなら家で誰にも会わずに本を読んだり、音楽を聴いたり、パソコンをいじっているほうが性に合っていると自分では思っている。

例えば、知人の結婚式など、どうしても出なくてはならない場合でも、スピーチを頼まれそうな予感がすると、何とか理屈をくっつけて欠席しようとするぐらいである。だから、そういう席でいやがるどころか、いそいそと楽しげに一座の前に立つことのできる人が羨ましくて仕方がない。そういう私がいつの間にやらフェルデンクライス法を「教える」立場になってしまった。

当研究会で講習会をスタートしたのは、昨年の7月だから、まだ1年に満たない。しかし、この間に実に多くの未知の方々に出会うことができた。その方々に、私は実に貴重なものを日々「教わって」きたし、また今も「教わって」いる。そして、「教える」ことは「教わる」ことだという言葉の重みを深く実感している。このことはいくら感謝してもしきれるものではない。

"AWARENESS THROUGH MOVEMENT" を読み、その中のレッスンを一つ一つ体で味わいながら進んでいると、今まで見たこともなかった世界が私の前にひろがってきた。それは自分独りのものにしておくには、余りにも贅沢な気がした。そこで、事あるごとに、会う人ごとに、フェルデンクライスの「素晴らしさ」と「すごさ」を吹聴しまくるようになった。

本そのものを翻訳して出版することが最善の策かもしれなかったが、そういう出版社もおいそれとは見つかるわけがない。まず身近なところからというわけで、周りのものを誰かれなくつかまえては「レッスン」を「教える」ようになった。

そのうち、幸にも翻訳・出版の話が決ったが、その頃には殆ど全部が日本語になっていた。メモを作り、本を片手に間違わないよう、できるだけ正確で分かりやすい言葉を使ってレッスンをやろうと努めたので、後はそれを原稿用紙に書き写すだけでよかった。

しかしながら、肝心のレッスンそのものはとてもうまく行ったとは言えない。私が味わったのと同じ質の体験を誰もがするはずだと考えていたが、事はそれほど簡単ではなかったのだ。

その原因は「教え方」そのものにあったのだ。「教えることは教わること」という言葉の真実を分かっていなかったのである。それに気づいたのは、もっと後のことであって、当時は何がいけないのかよく分からなかった。書いてあるとおり、また自分がやってみて体験したとおりのことを伝えようとするのだが、結果はいつもちぐはぐになることが多かった。そして、うまく行かないのは相手が悪いのだと決めつけ、「やはり、おれは独りでやってればいいや」と考えて、「教える」ことからは次第に遠ざかるようになった。

今から振り返ってみると、何がいけなかったのかがよく分かる。私自身のなかに、唯一正しい動きのイメージが厳然として存在し、それから外れた動きを許せなかったのだ。レッスンの目的は、私のイメージ通りの動きを相手に求めることになってしまっていた。逆に言えば、正しい動きをしなくてはレッスンの効果がないと思い込んでいたのでもある。間違うことの大切さ、試行錯誤こそ発見への道だということが全く分かっていなかった。

そのため、言葉ではどうしても伝えられない場合、自分で動きをやってみせて、それを真似させることになる。それでも駄目なときは、直接手をかけて動きの細部を修正することまでやるようになる。こういうやり方をとる場合が少なくなかった。

もうお分かりのように、これはフェルデンクライスのいう「自然な学習方法」にもっとも反するやり方である。つまり、目的を先に決めて、それに到達しさえすれば、そこまでのプロセスはどうでもいいというやり方なのであった。フェルデンクライスがもっとも力説しているメソードの本質を完全に裏切っていたのである。うまく行くためしがなかったのだ。

レッスンの参加者たちはみなそれぞれ異なった個人史を背負っているから、それぞれがみな独自の自己イメージをもっている。だから、各自の動きが相異なるのは、しごく当然のことなのである。レッスンで「教える」ということは、その差異を受け入れることからはじまる。どこまでそれを受け入れることができるか、果して同化するまで受け入れることができるかどうか、そこにポイントがある。

一言でいうと、自分を捨てて参加者ひとりひとりの自己イメージに謙虚に耳をすませなくてはならない。そこからできるだけ多くを学びとらなくてはならない。このことに気づいてから、レッスンは私にとって楽しいものになり、自己発見の機会となった。「教える」ことが「教わる」ことになった。それでやっと、講習会という形でのレッスンに踏み切ることができた。(1989年5月記)

― フェルデンクライス研究会機関誌 AWARENESS No.5 所載 ―



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