[フェルデンクライス研究会資料]--- 演劇雑誌「テアトロ」1988年7月号 ---


身体神話から からだの智恵へ

ーフェルデンクライス・メソッドについてー

からだとの出会い
 ひと昔前のこと、六十年代末から七十年代初めにかけて、身体は「肉体」として特権的な位置を占めていた。そしていま「からだ」である。表記の仕方はどうあれ、身体、肉体、体、躰、躯、からだ等々によって言い表そうとされているのは、われわれが一生涯そこを住処とせざるをえないこの生物学的な組織とその働きにほかならない 。
 身体は未だに数々の神話に覆われている。解剖学的身体もあれば、超能力的身体もある。密室での私的身体もあれば、仮面に覆われた社会的身体、洗練された審美的身体もある。それらをくまなく拾い集めれば、身体神話のカタログは膨大なものになるだろう。身体観というものは、詳細にみれば存在するひとの数だけあると言っても過言ではない。逆に、身体観あるいは身体イメージが、その人の存在を規定しているとも言える。
 かつての「肉体」という言葉には、どこかむやみに生々しくおぞましいイメージがつきまとっていた。それは普遍的な身体性を離れて、あるがままの個的な身体??まさに血と肉として生きている私的な身体という感じであった。
 身体は闇であり、言葉によって照らし出されるのはその浅い表層のみであり、その下には果てしない奈落が潜んでいる。譬えてみれば、言葉は目の荒い魚網であり、網目をすりぬける貴重なものは計り知れない。身体には、そのこぼれ落ちるものを無限にすくいとる力が本来そなわっている。それが身体の智恵である。
 言葉はもともと身体に深い根拠をもっていたにちがいない。その証拠に、各国の言語には、豊かな「からだ言葉」の遺産が今も多く名残をとどめている。“腹が立ち”“肝の虫が騒ぎ”“胸が痛み”借金で“首が回らなくなる”のは、特定の情動や判断と身体感覚との間に存在する密接なつながりにひとが気づいていたからであろう。身体感覚を対象化して他者とのコミュニケーションを計ろうとすることから言語というものが生まれたのではなかろうか。
 言語の起源に関する諸説を読んでみて、いちばん説得力があったのは、「右」と「 左」の概念の誕生から言葉が始まったとする説である。自分を中心にして目の前の空 間を二つに分割し、その際の身体感覚の微妙な差異を識別し、概念として対象化する ことには、ひとつの飛躍があるにちがいない。子供が言葉を覚える過程を注目してみ ると、左右の区別がつけられるようになった途端、その言語活動は俄然活発になる。
 言語を獲得することによって、ひとはものを考えることができるようになった。しかしながら、言葉は時とともに洗練されて自立した体系となるにつれ、身体との回路 をしだいに複雑な迷路と化してしまった。網目はたしかに細かくなったとはいえ、その反面、言葉は身体と離れ、一人歩きしはじめた。そのことなにしは、われわれの膨大な知的遺産の総体としての文化を生み出すことはできなかったではあろうが、それが一方では文化の空洞化を促進する要因にもなった。
 かつて既成に対する叛乱の季節があった。あれには身体の叛乱という側面があり、 それが実は本質的な側面であったが、充分深められることがなく、中途半端なものに終わってしまった。というより、課題はまだ引き継がれており、今はより深刻で困難 なものとして課せられている。
 肉体が特権的なものとして舞台に君臨していたころ、個的な身体に根拠をおいて言葉と身体の乖離を極限にまで拡大し、言葉とそれを支えてきた秩序の虚妄をあばくことがその方法の特徴であった。唐十郎や鈴木忠志の当時の仕事は、そのような方法の代表的なものであろう。彼らの仕事は、翻訳劇上演を中心に進んできた日本の現代劇 、いわゆる「新劇」の演技のパターン化した表層に深刻な亀裂を生じさせる衝撃を与 えた。
 かぎりなく身体を現出させるには、しかしながら、ますます個的な身体の闇の中に没入してゆかなければならない。この方向は、実に苛酷な作業を強いられる。その作業に耐えられるだけの身体の個性をそなえた俳優は果たしてどのくらいいたであろうか。その後、作業は微妙に軌道修正を繰り返しながら、徐々に言語との折り合いをつける方向に向かうようになったかにみえる。また一方では、その後継者たちによる表現は、身体性という新たなパターンを生み出しているようでもある。
 ともあれ、俳優の演技は身体行動である。われわれがより深い認識と伝達、そして表現を可能にするには、あくまでも見失われた回路を回復し、言葉と身体をいきいきとつなぐ「からだの智恵」を豊かにする方向を目指さなくてはならない。

からだへのアプローチ
 「からだ」という言い方が一般的になりはじめたのは、いつのころからであろうか。 それは、野口体操などの普及の過程と並行してきたように思う。『テアトロ』誌で、 肉体でも身体でもなく、「からだ」の特集をするという話を聞いたとき、まず最初に頭をよぎったのは、世の中の、そして演劇界での身体観の変化であった。例えば、ひ と昔前まではごく一部でしか知られていなかった野口体操が、今や多くの劇団や養成 所、高校演劇などでも取り上げられるようになった。野口三千三氏が「からだ」とい う表記を採用したことには、従来の身体観とは異なったイメージを表出するための積 極的な意図がこめられていたのである。
 一時の社会的叛乱が終焉を迎えたとき、叛乱軍の残党の一味は身体性の領域へ深く 潜行していった。今日のからだブームは一種の風俗と化している感があるが、彼らが 火つけ役を果たした面が多分にあるようだ。
 以前から、新劇の俳優修業の過程で身体に対する作業は意識的におこなわれていた 。しかし、それはおおむね「肉体訓練」とか「身体訓練」と呼ばれ、きわめてフィジ カルな次元の問題として扱われ、いわゆる体操や、フェンシング、アクロバット、あるいはバレーやダンスなどを援用したものでしかなく、演劇独自の身体への作業ではなかった。結局、身体訓練は、しぐさや身振りをより洗練されたものにするための基礎訓練として用いられるにとどまり、より深い表現課題として掘り下げられなかったから、言語表現との隙間をうずめることはできなかった。それとともに、もう一方の極に、発声発音から物言う術にいたる言葉の訓練がおかれ、その両極をつなぐものとして、即興的なエチュードを中心とする演劇的(心理的)訓練がおかれていたが、以上の三つは有機的な関連をもっておこなわれているとは言いがたかった。
 その場合の身体あるいは肉体は、身体と精神を対立したものとしてとらえる近代的心身二元論を土台にしていた。確かに人間は自らを精神として意識することと、身体として意識することの狭間で引き裂かれるのを体験することは事実である。しかし、精神と身体を別々に探究する道が行き詰まり、しかも、精神的なものと身体的なものの相互関係がしだいに明らかになるにつれ、二元論を克服する道がさまざまの分野で試みられるようになった。けれども、生命の原理が究明されていない今、精神と身体の問題に究極の回答はまだ得られていないと言える。
 しかしながら、心身相関の具体的な現れに着目して、そこから新たな方法論が生まれ普及するようになった。その面でのここ二、三十年来の盛り上がりには注目すべきものがあり、このような動向はニューサイエンスの隆盛とも無縁ではない。アレクサンダー・テクニック、ロルフィング、生体エネルギー法、フェルデンクライス・メソード、バイオフィードバック、自立訓練法等々、海外から聞こえてくるその種の方法も枚挙にいとまがなく、その一部はすでに日本でも紹介がおこなわれている。
 それに対して、インド、中国、日本など東洋には、古くから数々の心身へのアプローチの手法があった。考えてみれば、東洋の心身訓練の思想と方法の特徴は、まさに心身二元論を克服せんとしたものにほかならなかった。わが国でも広範に受け入れられているものとして、ヨーガの流れをくむさまざまの流派や大極拳を含む中国の気功法の伝統などは、新しい視点からの考察の対象になっているし、日本の古武道も、このような観点から捉えかえしてみていいだろう。また、歴史の浅いものとしては、先の野口体操の他に、野口晴哉氏の整体、橋本敬三氏の操体などがあり、その底には東洋古来の心身論が生かされている。
 わたしが野口体操の存在を知ったのは二十年近く前のことであった。演劇に対する文学的なアプローチの限界を感じて、身体からの作業に試行錯誤を繰り返していたとき、「本来自分自身の中にもっている可能性を発見し発展させ、それがいつでも、どこでも、最高度に発揮できるような状態を準備すること」(野口三千三『原初生命体としての人間』)こそが体操の目的であるという考え方に基づく野口氏の方法は、まさに一つの啓示であった。以来、この野口体操をはじめとする先に上げた内外のさまざまの方法を実際に体験する日々がつづくようになった。
 東洋古来のもろもろの手法から、海外の心身の相互関係に着目したさまざまのテクニック、そして新しく日本で生み出されたいくつかの方法に共通しているのは、一言でいうならば、「からだの動き」を改善することによって、心身のあらゆる働きを含む人間の有機的な機能を総合的に向上させるという基本的なアイデア(理念)である。精神的なストレスは身体的な緊張を生み出し、それが繰り返されると、からだは固定した運動パターンを獲得し、強固な鎧の中に閉じ込められ、生命力の自由な発現を妨げるが、そのことがまた逆に、精神活動の自由を阻害するという悪循環のもとになる。ところが、からだが本来の自然で自由な動きを回復するならば、精神もその檻から解き放たれて、眠っていた潜在的可能性を開いて羽ばたくことができるのである。
 右に上げたさまざまの方法は、基本理念ではそのように共通しているとはいえ、具体的な方法論(レッスンのやり方)においては、実に千差万別である。それらを大きく分けると二つに要約することができるであろう。
 その一つは、身体に限りなく負荷をかけることにより、内部に凝縮したエネルギーを蓄え、その内圧の爆発力を利用して生命力の解放を求める方向である。これは、訓練というより鍛練に近く、ハードなトレーニングであり、修練・修行に通ずる。例えば、ヨーガの流派のいくつか、気攻法のあるもの、古武道、さらにはエアロビクスやストレッチングなどはそういう方法である。一般に、体操をはじめとする近代スポーツ系のからだのレッスンは、ハードなトレーニングが当然のこととされている。また、演劇の面でも、鈴木忠志の方法については、アメリカの演劇雑誌TDR(『ザ・ドラマ・レビュー』)による紹介しか知らないが、彼のスズキ・メソッドはこの方向に属するものであろう。
 それに対して、身体への負荷をできるかぎり取り除くことによって、内部に自由なエネルギーの流れを生み出し、その流れが衰弱した生命力を高める方向を目指すやり方がある。簡単にいうと、リラクセーションを通して身体に自由を回復させ、精神の自由を獲得する方向である。
 共通の理念に基づいているとはいえ、この二つの方向の違いはひじょうに大きい。第一の方向は、確かにその効果は著しいのであるが、それは絶えず訓練を継続してゆかなくてはならないたぐいのものである。生命力の異常な急上昇を体験すると同時に、突然それの減退に襲われ、急激な下降を体験することが普通である。訓練は生きるためのものというより、訓練のために生きる羽目におちいりかねない。ヨーガ行者にとって、俗世間からの離脱が至高の目標となるのは、この方向の帰結を暗示している 。
 われわれ芝居をするものにとっては、より現実に深く交わり、そこでより自由に生きることが求められる。俗世間こそがわれわれの住処である。そこでよりよく生きるための訓練としては、第二の方向こそ有効だと主張したい。
 わたしは何年かをかけて、さまざまの試行錯誤を経てモーシェ・フェルデンクライスの方法にたどり着いたのであるが、彼のメソッドは第二の方向の典型的なものであり、その方向を徹底して追求した理論的土台の上に、きわめてシステマティックに構築されており、まさにメソッドという名にふさわしいものである。ここでその全ての面について語ることはできないが、主要な側面について簡単に述べておこう。

フェルデンクライス・メソッド
 
モーシェ・フェルデンクライス(1904〜1984)は、ソルボンヌ大学で物理学の博士号を取得し、ジョリオ・キューリーの研究所にも加わった科学者であった。若いころサッカーで膝に重傷を負い、あらゆる医学的治療に見放されたので、独力でその治療に専念して成功をおさめた。
 それを契機に身体性の領域に深く関わり、自らの治療体験をもとに障害者のリハビリテーションを引き受けるようになり、数々の奇蹟的治療の業績をあげた。彼のもとを訪れるものが多くなるにつれ、自分の方法を普遍的なメソッドに高めるための研究と活動を積み重ねて、1940年代には、すでに現在のメソッドの基礎が固められ、明確な形をとっていた。
 フェルデンクライスのメソッドは、人間の学習方法(学び方)を研究することから生まれた。その研究対象は実に広範な分野におよび、ヨーガからグルジェフまで、パブロフからフロイトまで、神経生理学から動物行動学まで、そして柔道からサッカーまで、多方面にわたった。彼は死の瞬間まで最新の科学上の成果を探究することをやめなかった。
 フェルデンクライス・メソッドの根本は、人間が生まれてから成長する過程で体験する学習プロセスを再体験させることで、歪められた習得物を解体して再構成することにある。その際、神経系の機能に直接働きかける方法がとられる。からだを動かすことにより変化する身体感覚に気づくことが、その手がかりとなる。動きはそれ自体が目的ではなく、気づき(アウェアニス)を呼びおこすための手段にすぎない。だから、その際用いられる動きは、独特の要件を満たすことが求められる。フェルデンクライスのメソッドが「動きによる気づき」と名付けられているように、レッスンの目的はあくまでも気づきにあるのである。
 最初の期間、レッスンは殆ど仰臥の姿勢でおこなわれる。人間が直立するということは、重力に抗して姿勢を保持することである。ひとが成長をするということは、抗=重力体験を積み重ねることであるが、社会的な規制のもとに長年それをつづけると、同種の動きを繰り返す結果、筋肉は習慣的な運動パターン、つまり癖を習得してしまう。癖を個性と取り違える錯誤が横行しているが、個性というものは、癖という習慣的パターンを解体して有機的な自然を再発見したときに初めて開花するもののことである。
 仰臥をした場合、直立姿勢では無意識のうちに使用している抗重力性の筋肉を不必要な緊張から解放することがよりたやすくなる。したがって、その姿勢で動きをおこなえば、不必要な筋肉の働きと必要な筋肉の有機的な再組織に気づくことができるようになる。すると、エネルギーの使い方は改善され、全身の動きは自然なものに変わってくる。そのような身体感覚の目覚めによって、直立した場合にも動きは自然に改善されてくる。
 動きのさまざまの癖は、中枢神経系の歪んだ運動パターンの反映である。このメソードの本質は、そのパターンを変化させること、脳の運動皮質と筋肉組織の連絡回路を再組織することにあり、悪い習慣や慢性的緊張、身体的外傷によって短絡したり歪んだり断絶したりしている神経回路を修復し活性化することを目指す。そうすれば、神経系は自然なバランスを回復し、だれしも生まれながらに持っていた無限の可能性を再発見することができるのである。
 個々のレッスンはそれぞれ一つのテーマを持っており、一時間前後をかけておこなわれる。一つのレッスンは、いくつかの動きのバリエーションによって組み立てられている。動きは単純なものからはじまり、テーマに基づいて有機的に発展してゆき、最後に全体を総合したより複雑な動きになって終わる。フェルデンクライスが考え出したレッスンの種類は数千個以上あるだろうと言われているが、正確な数は誰にもわからない。
 このレッスンの本質的な側面は、その進め方にある。体操やダンスなどにしてもそうだが、通常のからだの訓練では、教えるものがまず模範を示し、学ぶものはそれを模倣することによっておこなわれる。しかし、このメソッドでは教えるものは一切の模範を示さない。動きの説明は言葉によってなされるだけで、後はみなの動き見て適切な指示を与えるだけである。学ぶものは指示に従って試行錯誤を繰り返しながら、自分で動きを発見してゆかなくてはならない。このことによって、いくつかの動き方の中から自由に選択をしながら、各自が固有の能力に沿って進んでゆくという自然な学習過程が展開される。
 その場合、動きの要点は、「最小のエネルギーで最大の効果」を発揮するようなものが求められる。身体感覚の微妙な差異を嗅ぎわけてよりよい動きを探ってゆくわけだが、そういう作業のためには、無駄なエネルギーは可能なかぎり節約しなくてはならない。動きは当然より小さく、ゆるやかなものになる。そういうやり方で、動きそのものができるかできないかという結果よりも、その動きをどのようにおこなうかというプロセスが何よりも重視される。「結果が全てだ」などという愚かな言い草がまかり通る社会ではあるが、ある動きができさえすれば、そのやり方はどうでもいいとばかりに無闇に力みかえり、頑張るやり方は、動きの質やからだの細部の使い方に対する感受性を磨滅させてしまう。ここから自然に対する感性は生まれない。
 もう一つ重要な側面は、機械的な反復練習が完全に否定されていることである。フェルデンクライス・メソッドのセミナーで、レッスンを体験してみればわかることだが、同じ種類のレッスンを二度体験することは決してないと言ってよい。機械的な繰り返しが無効であるという考え方が根底にある。
 ところが、「反復練習こそ善なり」という考えは世にはびこっている。学校での学習にはじまり、特殊な技能の習得にいたるまで、何度も何度も同じことを機械的に繰り返さなくては身につかないと思われている。テレビの映像で賛美されるプロ野球の地獄の特訓風景などは、そのもっともグロテスクな実例にほかならない。この反復神話というものは、試行錯誤の中で選択の自由を発揮して学習するというもっとも人間的な能力を自ら放棄し、創造性を抹殺する道であり、全く応用能力のない機械仕掛けの人形を作り出す道である。

 すでに与えられた枚数は超過してしまったので、詳しくは拙訳『フェルデンクライス身体訓練法』(大和書房)および『心をひらく体のレッスン』(新潮社)をご覧いただきたい。ともあれ、このレッスンを体験してみればだれしも感じとれるであろうが、レッスンごとに深まってゆく身体意識の変化はまさに劇的なものであって、それが積み重なると、身体的のみならず、心理的にも精神的にも顕著な変化が生じ、パーソナリティと呼ばれ、不変のものと思われていた己のひととなりが、きわめて短期間に変貌するのを経験して驚くであろう。     

© 1988, Takeshi Yasui

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