新人の条件 または 青春の夜と霧

   
ー演劇雑誌「テアトロ」No.634(1995年10月号)所収ー 

 新人といえば、去年から今年にかけてはイチローであり、その前はゴジラ松井だった。すると、今年はNOMOということになるだろうか。彼らの登場によって、その活躍する場の雰囲気ががらりと変化した。そういう意味で、彼らはまさしく何年に一人という大物新人の代表選手ということになるだろう。彼らほどの大物でなくとも、スポーツの世界だけでなく各分野でその名に値する新人は数多くいるだろう。
 で、この三人の大物の中で、ついイチローとゴジラを対比して考えたくなるのである。というのも、最近、イチローがのびのびと驚異の成長を遂げているのに対して、ゴジラがどこか萎縮して伸び悩んでいる様子が気になって仕方がない。このままでは第二の清原どまりで終わりかねない。どうしてか。二人の性格や資質の違いもあるから、これからどう変化するかは予断の限りではないが、現時点では、オリックスとジャイアンツというチームの新人に対する姿勢の違い、そして仰木監督と長嶋監督の器の差が大きいと考えざるを得ない。
 最初から将来の四番打者という宿命を課し特定の枠にはめ込んで英才教育をほどこすのと、好きなように野球をやれと自在に資質を開花させる野放し教育との違いが大きいと思う。“育て方は相手によるさ”という声が聞こえてきそうだが、それは確かにその通りだ。しかし、私は「自ら育つものだけがよく育つ」とうのが教育の神髄だと思っている。無理矢理育てようとすると、折角の若い芽を摘んでしまう。もっとも、ゴジラには平然と練習に遅刻して悪びれないような度胸の据わったところがあるから、多少の回り道はしても、その将来は楽観していいかもしれない。
 NOMOについては、もう新人と言われる歳ではないが、ドジャースのユニフォームを着て、並みいるメジャーの強打者をばったばったとなぎ倒していくすがすがしさと、そいういう自分に全く驕ったところのないナイーブさは、新人の資格十分だと思う。彼にしても、近鉄で草根野球の鈴木監督のもと、これが天下の野茂かというぐらいくさっていたのが、場所を変えるだけでこんなにも変身するかという格好の例であろう。場所を変えて何が変わったのか。少なくとも、勝っても負けても野茂が野球を存分に楽しんでいることだけは確かである。彼と環境との関係がそうなるように変わったのである。
 芝居と関係ないことを延々と書いているようであるが、「新人」について何か書けと言われてすぐ思いついたのは以上のようなことであった。芝居の世界でも、久しく大型新人の登場が待望されている。一体「新人」とはなんだろう。ただ若いというだけではなく、まずなによりも新しくあってほしいと思う。しかし、本来舞台というものは、新人がなかなか生まれにくい世界だともいえる。つまり、芝居の世界には長い短いは別としてそれなりの伝統があるから、その中で否応なく演技あるいは俳優術という「技」の修得が求められる。
 新人に期待されるのは、時代の息吹を体現した存在感であるのに、俳優修業のプロセスの中で、自らの「新しさ」の可能性を窒息させて伝統の中に埋没してしまう例が余りにも多く目につく。このことはいわゆる既成の新劇団でも、また小劇場系の集団でも同じで、それぞれの家風に染まって埋もれてしまう。では、修業などせずに素のままの存在として舞台に立てばいいかとなると、そうもいかない。いくら素のままで魅力があっても、それを活かす「技」の修得なしには表現者として自立することはできないからだ。これでは堂々巡りというしかない。新人のおかれている条件は難しい。問題は可能性の開花と技の修得が合致すること、つまりそれを二つのことでなく一つのことにする方法論であろう。
 私が所属する俳優座が一般からの新人公募で研究生を募集し養成しはじめて八年になる。この間、毎年親子以上にも歳の違いのある彼らと付き合うことを通して感じるのは、今時の若ものたちがひと昔まえとはすっかり様変わりしているということである。昔の役者志望者はもっと生真面目で重苦しく、泥臭いほどのロマンティシズムがあったような気がする。それが今は、はるかに享楽的で軽やかで、スマートなリアリストが多い。物わかりがよく、おとなしく、結構利口でもある。暴走して大人たちの眉をしかめさせるような若ものは滅多にいなくなったようである。昔は暴走こそ若ものの特権であったのに。これは今の若ものの一般的傾向でもあろう。
 だからといって、彼ら若ものたちが骨の髄までそいういう表面的イメージに侵されているわけではない。演技レッスンを通じて自発的に自己解放を試みるようになってくると、彼らが無意識に抱え込んでいる過剰なものが溢れ出てくるようになる。レッスンを積み重ねるうち、それまで自分を閉じこめていた堅い檻を破って飛び出し、一年も経つと驚くべき変貌を遂げるものも現れてくる。世の一般的若もののイメージは、今の時代に自分を守って生きていくためのせっぱ詰まった鎧でしかなかったのだと分かってくる。そして、こういう時代を生み出した責任は我々世代にあるのだから、若ものをただ一面的に批判することはできないことを自覚させられる。
 そんな時代の病について考えるとき、どうしてもオウム真理教について触れないわけにはいかない。正直言って、特にサリン事件以来のこの半年間、来る日も来る日もオウムの若ものたちに(正確には、オウムをめぐるマスコミの報道に)振り回されたようなものだった。
 一言でいって、オウム真理教は戦後日本精神史の「夢の島」のようなものだ。敗戦直後の焼け野原から高度経済成長を経て世界の先進国に登りつめたプロセスで「効率」こそは唯一至高の価値基準であった。邪魔ものは取り除き、臭いものには蓋をし、腐りやすいものは棄て去る。要するに「効率」を妨げるものは容赦なくゴミとして廃棄された。そうして廃棄された粗大ゴミの最たるものは「夢」であった。奇しくも戦後五十年目にして突出したオウムの暴走はこの間に堆積した生ゴミの異常発酵にほかならない。三月末日の一斉捜査以来徐々に垣間みえてくるオウムの実態を前に、ほとんどの日本人は呆然としてしまった。理解しがたいという驚きがオウム報道のフィーバーを支えていた。我々は今いかに多くのものを棄ててきたかを知るべきだと思う。「夢」を棄てたとき思想は亡ぶ。無思想の状況では、現実的利害という駒の並べ替えにしかテーマはない。このままでは政治的無関心は拡大する一方であろう。最大の被害者は遅れてきたもの、若ものである。
 オウム教団は戦後日本の負の遺産を全て背負い込むことで成長し「健全なる」市民社会に対する犯罪組織と化してしまったわけだが、そういう集団に若ものの多くが惹かれたことをどう考えるべきか。オウムが若ものたちに強い吸引力を発揮できたのは、よく言われるように彼らの精神的飢餓感に訴えかける力があったからであるが、その最も強力な武器がヨガを通じて神秘体験を獲得するという身体技法であった。ヨガの修行による神秘体験がLSDによる変性意識体験に通底することはしばしば指摘される通りで、神秘体験自体は、日常的な時空間に限定されている自己の可能性の拡大と感じられるから、自己の中の過剰なもの、「夢」を現実の社会が受け入れてくれないと感じる若ものたちがその魅惑に逆らえず、どんどん引き込まれていったことは容易に想像がつく。
 身体技法には大きく分けて二つの方向がある。一つは、身体に限りなく負荷をかけることにより生命力の内圧を高めていく方向である。それに対して、身体への負荷を限りなく取り除くことによって内的エネルギーの自由な流れを生み出し、心身の自由を獲得する方向がある。
 オウムの身体技法というのは第一の方向を徹底したものである。私はむしろグロテスクなものと言いたいのだが、その方法は人をできるかぎり非日常次元へ連れ出し、日常意識を遮断することで異次元への飛躍を強制しようとする。そのため様々の施設、設備、薬物、視覚的聴覚的触覚的電子的デバイス類が動員されるようにまでなった。このようなやり方はおよそ人間的能力に信を置いたものだとは言えない。そこには人間の能力を他者が恣意的に操作できるという傲慢さがある。この方向が強い使命感と結びつき極限にまで押し進められると、行き着く先にあるのは「選民思想」だ。選ばれたものだけが救われ、選ばれざるものは滅び去るという思想の帰結は、古今東西、近くは第三帝国やスターリニズムにおいて歴史的に実証されている。
 オウムの秘密金剛乗は確かに超過激思想だが、そういうがらくたを生み出したのはまぎれもなく我々の日本である。若ものたちがオウムに夢と可能性を託さざるを得ない社会というのは余りにも惨めである。例えば、芝居の世界だけでも、もっと多くの若ものたちの夢と可能性を託すに値するものになれないものか。そのためにも我々は第二の方向をさらに意識的に開拓するべきだと思う。(1995.08.20.記)

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