-- 演劇雑誌「テアトロ」1998年2月号特集「演劇とコンピューター」所収 --

パソコンのある風景

 そもそも芝居の仕事と我が家のパソコンがさほど深い関係にあるわけではない。演劇は本来コンピュータからもっとも遠いところにあるのではないだろうか。この原稿を引き受けて、さてなにを書こうかと考えはじめてみると、ほとんど書くことがないのである。これは困った。
 そのくせ、ビールを飲まない日はあっても机上のパソコンに電源を入れない日はない。朝起きると新聞を読む前に立ち上げて電子メールの確認をしたりする。おまけにノート型を抱えて仕事場に出かけることも少なくはない。で、実際にどういう仕事に使っているかとなると、そのほとんどは事務的な作業にすぎない。芝居つくりに多少とも関係のある作業となると、数えるほどしかない。
 その数少ない例の中からあえて上げるとすれば、舞台装置のシミュレーションではないだろうか。最近三次元のモデリングができるソフトが安価に入手できるようになった。「ヴァータスVR」とか「ウォークスループロ」などという応用ソフトは、操作も実に容易なので、用意されている壁や家具や風景などの部品を、まるで積み木遊びの感覚で二次元の図面の上に配置していくだけで自動的に立体図ができあがる。寸法・色彩・模様などは自由に指定することができる。そうしてできあがる仮想空間なのだが、それをどんな角度からでも眺めることができ、また、その空間内を自在に歩き回ることができる。三次元の仮想空間に時間軸が加わるというわけだ。これは小さな模型舞台よりもはるかに発想を刺激してくれる。このデータをノート型に入れて稽古場でプレゼンテーションなどをすると大いにうけることになる。
 当然のことながら、相手はコンピュータであるからして移動・変形・削除・追加等は自由自在である。勿論、画像の質はそれほど高度なものではないが、色つきのラフスケッチよりはずっとリアルなものが可能である。しかも、大切なのはこういう作業があまり手間をかけずにできるということである。少し前まではこんなことをやろうとすると、膨大な時間と出費が必要になった。だから、パソコンで舞台装置を考えるなんてことよりも、手作業の方がエネルギー効率はぐっと高かったわけだが、今や完全にパソコンに軍配があがると思う。特にぼくみたいな絵心のない演出家にとっては大変ありがたいのである。
 それ以外になにがあるかとなると、大した例ではないのだが、時々手を出すものを二つばかり上げておこう。
 ひとつは人体のポーズとその動き、つまり人体モデリングとアニメーションである。最近「ポーザー2」とか「ライフフォームズ」という手軽なソフトが出てきたので少しずつ試しているのだが、エネルギー効率は余りよろしくない。しかも、芝居作りにはあまり役立つものでもない。たまに動きの振り付けや人物配置のアイデアを考えたりするときに使うことはあるが、あんまり熱中しすぎると翌日の稽古場で居眠りをして評判を落とす羽目になる。今の段階では、パソコンの画面でちまちまと人形を動かすよりも、その時間とエネルギーを実際の稽古場で生身の俳優たちと共に使うほうがはるかにましだと思う程度でしかない。
 もうひとつはサウンド関係である。といっても別に本格的なデスクトップミュージックのことではなく、簡単なサウンドの編集と加工である。今はデジタルの音の素材集がCD−ROMなどで大量に出回るようになってきた。また、アナログのデータ(カセットテープの音源など)も簡単にパソコンに取り込めるようになった。ぼくが主として愛用しているのは「サウンドエディット 」という軽いソフトだが、これだけでもかなりのイメージが作れる。既存の素材そのままではどうも違うというときに、自分で手を加えた結果をカセットテープかなにかに入れて稽古場で試したり、専門の音響プランナーに自分のイメージを即物的に伝えることもできるというわけである。複雑なことをやろうとすると大変だが、例えば人間の声など、大人が歌った声のピッチを上げてテンポを変えないようにすると、まるで子供が歌っているように簡単に化けてくれる。全部がデジタル処理だからそのまま舞台で使えるだけのクオリティを保つこともできる。
 以上あげた例はパソコン本体とソフトがあればだれにでも簡単にできる。ただ、その程度のことをやるのに何もコンピュータの厄介にならなくてもいいではないかという声が聞こえてきそうである。確かにその通りだ。ぼくだって何もここにあげたようなことをやりたくてパソコンを手に入れたのではない。ただ使っているいるうちに、こんなこともできるらしいと知って手をだしているにすぎない。だから最初に「芝居の仕事とさほど深い関係にあるわけではない」と言ったのである。
 パソコンとのつき合いは十数年前のワープロ専用機(これも一種のパソコンだ)から始まった。理由は簡単である。キーボードを使って文章を書きたかった。それだけだ。英文タイプライターでローマ字日記をつけていた時期もあった。それが初めて日本語ワープロに触ったときには感動したものだ。字が上手くない上に、書いたり消したりして判読不能になったのを清書する苦役から解放されるだけでも大変なものだった。
 ワープロからパソコンへのシフトは単なる文書作成機では満足できなくなったというよりも、マッキントッシュのインターフェースが気に入ったから、および、大量のデータ処理をしなくてはならなくなったからである。こちらは芝居とは直接関係はなく、この十数年来続けているフェルデンクライス・メソッドの研究会の運営を一人でやるための秘書を雇ったようなものである。千名近い会員名簿の管理と機関誌などの発行やワークショップの案内など、ほとんど人手を借りずにできるのはパソコンのおかげである。
 パソコンとつき合ってきたこの十年余りを振り返ると、その機能の向上と充実は実に目覚ましいものがある。かつての大型コンピュータが小さな机の上にのって簡単に操作できるようになったとよく言われる。演劇の創造的な仕事にどの程度使えるかとなると、まだまだ労多くしてという感じだが、演劇集団のオフィスワークに導入するとなると、これは大変な威力を発揮する。いや、するはずである。しかし、それには条件がある。オフィス業務に携わるなるべく多くの人数がパソコンを操作できるような環境を作り出さなくてはならない。その上で複数のマシンがあって互いにネットワーク(LAN)でつながっていないことには無駄ばかりが多くなる。
 パソコンをめぐる環境を大きく変えたものに最近のインターネットの爆発的な普及がある。草の根ネットの創成期からパソコン通信につき合ってきた身にとっては今昔の感がある。急激な拡大のためいささか水ぶくれ状態なので、あぶくばっかりという印象なきにしもあらずだが、個人であれオフィスであれ、これを有効に活用しない手はないと思う。ぼく自身はもう一つの通信手段として、および資料探しなどに使っているが、近い将来に自分のホームページを開くのもいいかなと思っている。ずいぶん立派なページを開いている劇団もあるが、各劇団のホームページが出そろうようになるのはいつのことだろうか。電子メールで切符の注文がくる時代はとっくに始まっているのだから。

(1998 Takeshi Yasui)



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