日録 2006年


11月7日(火)
先週から暇をみてはホームページの部分的修正に手を付けている。やり出したら気になる箇所が次から次へと出てくる。立ち上げてから5年以上経っているのだから当然だが、時間がいくらあっても足りない。ソフトもバージョンアップしていて新しい機能を勉強しながらだから大変だ。ほどほどにしなくては。


11月6日(月)
19期の研究生1年のレッスン。このクラスとの付き合いもあと3回となった。中間発表では6月から二ヶ月以上連日だったから、8月からの後期は何か物足りない感じがするが、これは仕方ない。1年という限られた期間である程度の結果を出さねばならない。教える方も教わる方も結構きついものがある。小人数のクラスだということが救いになっている。


11月5日(日)
暖かい一日。夜更かしのせいで昼過ぎまで布団の中。研究会のホームページの更新に明け方までかかる。新しいページを増やしたり、以前から気になっていたレイアウトなどの修正。スタイルシートの使い方がイマイチよく分からん。3種のブラウザーで開いてみるとレイアウトがまちまち。何度も試行錯誤して何とか我慢できる範囲におさめたが、思いのほか手間がかかってしまった。本当は思い切って全面的にリニューアルしたいのだが、とりあえず部分的な手直しでお茶を濁している。それにしても6年も経つとかなり古ぼけて見える。年内には何とかしたいのだが、さてどうなるか。


10月26日(木)
日本ハムが優勝すると予想した評論家は一体何人いたのだろうか。しかし、終わってみれば、勝つべくして勝ったと納得させるものがある。負けない野球でセリーグを制したドラゴンズは優勝決定以来、消化試合をやっただけで、肝心の決戦には守りの姿勢で臨んだ。日ハムはプレーオフを闘って決戦ムードの高揚感そのまま、全員が攻撃的な姿勢でシリーズに突入した。この両者の姿勢の違いが勝敗を分けたとしか言いようがない。


10月25日(水)
昨日から急に寒くなる。冷たい雨。この日録は気がついたら空白が一ヶ月以上になっている。書きたいことがなくはないのだが、中断が続くと再開するにはかなりエネルギーが要るものだ。
ブログに切り替えようかと思案しているが、まだ結論は出してない。
先週末には「黄金色の夕暮」の千秋楽で溝の口まで駆けつけた。初日以来一ヶ月余の舞台は、またひと味熟成感があった。終演後、打ち上げで駅近くの中華料理店にスタッフ・キャスト一同が会して舌鼓を打った。近くにお住まいの山田太一さんも見えて盛り上がる。


9月19日(火)
今日から「黄金色の夕暮」の神奈川公演が始まる。夕方5時前に大船の鎌倉芸術館に着き、6時半からの初日を観る。江東の時よりもさらに客席の反応はいい。冒頭から敏感に笑いが出る。特に笑いを意識した演技はしていないのだが、セリフの内側に秘められたユーモアが自然に伝わるように仕上がった部分は生き生きしている。まだ十分とは言えないが、うまくいってるほうではないかと思う。喜劇といえば笑いを強制する舞台ばかりが多い。良質の喜劇は滅多に観られない昨今である。


9月16日(土)
江東文化センター初日。懸念していたが客席は大いに湧いた。8年前の初日を思い出しながら観ていた。ひと味違った仕上がりにはなったと思う。あと鎌倉初日には行くつもりだが、とりあえずお役ご免で、明日からは次の仕事にかかる。

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9月15日(金)
江東文化センターで昨日は仕込み、今日は舞台稽古の一日。12時半から場面毎の稽古と小返し。技術的な問題がいくつかあったが、順調に進行。夜6時半から本番どおりに通す。やや低調だが稽古だから仕方ない。劇団員や研究生など、ギャラリーが何人か。


9月13日(水)
稽古場での最後の稽古。何事にもこれでよしということはないが、舞台は毎日毎回変化する生き物だから、これでいいと思った途端に死んでしまう。常に挑戦するしかない。オシム流に言えば「危険を冒す」ということになるか。


9月11日(月)
5年前の今日、深夜に映し出されたテレビ画面から受けた衝撃は、今なお生々しい実感をもって思い出される。あの事件からの流れは、予想を超える速度で悪化している。何が真実なのかが改めて問い直される事態になっている。5年前のあの時の不吉な予感が不幸にも的中してしまったことに驚きと悲しみを感じる。


9月8日(金)
今週の稽古は通し中心で、最後にダメ出し、場合によって抜き稽古という進行だった。徐々に全体の流れとダイナミズムが生まれてきた。今日の出来をみて割合確かな手応えも感じられた。でも、安定しすぎるのではなく、オシムではないが、危険を冒す気持ちがなくなってはダメだ。要するに冒険心が必要だということ。稽古場での稽古は明日を入れて後4日。もうひと息。


9月4日(月)
稽古は休みだが、研究生のレッスンで9時半すぎにTMAへ。4時に終わって帰宅。FCJと研究所の雑務、ホームページの更新作業に追われる。久しぶりにホリエモンがテレビを賑わわしている。


9月3日(日)
日曜だが「罪と罰」で稽古場を併用しているので、向こうが休みの今日は「黄金色」組が使用する。1時から通し稽古とダメ出し。4時過ぎから今月末から巡演する神奈川演劇鑑賞団体の方々の稽古場見学。40人近い訪問者たちで稽古場はあふれかえる。1場面だけやって、後は質疑応答と雑談など。こういう形の観客との触れ合いの機会はもっと増やす必要を痛感する。


9月2日(土)
朝・夕はだいぶ涼しくなったとはいえ、日中の暑さは相変わらず。11時から黄金色の稽古のあと、新宿へ。稽古は3時前に終わったので、朝日カルチャーセンターのレッスンまでたっぷり時間が空く。西口の辺りをぶらつくが、人混みで疲れるばかりなので、久しぶりにHAITIに寄って軽食とコーヒーで時間をつぶす。レッスン中は快調だったが、終わって帰宅すると、どっと疲れが出た。


9月1日(金)
泉岳寺で10時から研究生のレッスン、後期の2回目。中間発表の3つの演目を配役を変えて各場面2組ずつで再挑戦。公演では劇場用にかなり見せ物じみた、大ざっぱな作りになってしまったので、演技の土台に対してもっと誠実にアプローチすることが必要だ。後期のテーマ。
4時から劇団へ戻って「黄金色の夕暮」の稽古。


8月31日(木)
今日は久しぶりに家にいる。この5週間一日も休みなしだった。その割にはバテないで続いている。休みとはいえ、朝から滞っている用件を片付けてると、あっという間に夕方になってしまった。
来年度の新人募集試験の日程も決定したので、募集要項の作成に取りかからねばならない。発行は10月10日予定なのであわてることはないのだが、余裕を持って進めようと思う。
8月も今日で終わりか。気がついたら高校野球も終わり、プロ野球もそろそろ決着がつこうとしている。どの世界でもそうだが、予想外のことが起こる。勿論、無風地帯もあるけれど。


8月28日(月)
午後1時からの稽古。まだ新旧メンバーのかみ合いがもう少しふくらむといい。それに若いメンバーとベテランたちの演技の質の違いが違和感としてでなく、表現として対峙するものとなればいいのだが。最後まで気を緩めることなく、もっと高いところを目指さねばならない。
夜は幹事会。企画についての討議が長引く。終わってHUBで11時近くまで。


8月27日(日)
泉岳寺で日曜コースのレッスン、1時から5時半まで。8月は毎年参加者が少ない。でも、経験者ばかりだったから、少し複雑なレッスンを取り上げた。前半は肩・肩胛骨の動きを中心に全身との関連を探る。後半は股関節の可動性と胸郭・頭部のと協調関係を深める。


8月25日(金)
10時から泉岳寺で研究生1年のレッスン。研究所は8月7日から2週間の夏休みで、今週から後期がスタートしているが、ぼくのレッスンは今日が再開後初めてで、3週間ぶりに近い。ここから修了公演に向けての半年は、研究生たちにとって前期以上に1日1日が貴重になる。
身体のレッスン、声のエクササイズ、即興を3種ばかり。


8月23日(水)
黄金色の稽古もあと3週間を余すのみとなる。昨日今日と全幕を返しながらやる。今日は前触れなく作者の山田太一さんが稽古場へ。一瞬みんなの緊張感が高まる。若干ぎこちなさはあったものの、まずまずの出来。随所でダメ出しもしながら何とか終景までたどりつく。いくつか解決しなければならない問題点がある。努力目標がはっきりした。


8月21日(月)
比叡山延暦寺ワークショップ終わる。昨日9時過ぎの「のぞみ」で京都まで、湖西線で比叡山坂本駅へ。バスを乗り継いで坂本ケーブル駅へ。懐かしいこのケーブルに乗るのは50年ぶり。車窓から望む景観にしばし懐旧の情に浸る。
山頂の冷感を期待していたが、37度という記録的な暑さもあって、ケーブルの終点から延暦寺会館まで、徒歩10分とあったが、20分近くかかる。会館の都合でレッスン場は大書院に変更となる。ここは重要文化財で、一般には非公開の施設なのだが、特別に使用を許された。入り口に昭和天皇御座所の看板がある。昭和51年に天皇の休憩所になったという建物。
木造の古びた建物の和室にはエアコンなどの近代的設備はなく、開け放した窓からは自然の涼風がやわらかく吹き込む。格調高い庭園に面した旭光の間と眼下に琵琶湖を望む観月台までの部屋を使用して一泊2日のワークショップ。初日20日は午後2時から6時までの4時間に基本レッスンを4種。二日目の今日は午前9時から午後4時半まで、昼食をはさんで応用レッスンを6種行う。いつになく動きとイメージと体感が環境とマッチして気づきも深まったようだ。

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8月18日(金)
相変わらず蒸し暑い。9時過ぎの電車に乗るのだが、バス停で待っているうちにすでに汗だくになる。稽古は11時スタートで4時近くまで。とりあえず全幕をやってみる。配役が3人代わって舞台の印象もかなり変わりそうな予感。4年ぶりなので今まで見えなかったものが見えてくる。やはり時は確実に流れている。


8月17日(木)
今日は第2幕の立ち稽古。とりあえず最後まで辿りつく。4時から「コルチャック」の稽古があるのでこちらは3時までしか使えない。時間不足で欲求不満がつのるが仕方ない。効率よく時間を使うしかない。
帰宅して比叡山ワークショップのプランを考える。大まかな方向だけは固まった。


8月16日(水)
今日から立ち稽古。新たに参加する役の部分を中心にミザンセーヌを確認しながら第1幕の場面を2回ずつ。余り前例にこだわらないでやってみたいが、時間との競争だからどこまで新しい発見ができるかどうか。


8月15日(火)
昨日に引き続き、各場を2回ずつ読む。


8月14日(月)
配役は何人か代わったので、今日と明日は読み稽古とする。各場を2回ずつ読む。


8月13日(日)
研究生の公演が終わり、はや1週間が過ぎた。劇団の会議、脊髄の再検査などでのんびりする暇もなく、明日からは「黄金色の夕暮」の稽古が始まる。真っ白になって久しぶりに台本を読み返す。4年ぶりの再演になるが、初演時のイメージがこびりついている。リセットはなかなかに難しい。稽古場には、出来るだけ白紙の状態で臨もうと思う。


8月7日(月)
休みなしで突っ走ってきて、どっと疲れが出た。いつも通り7時過ぎに目が覚めたが、気がついて寝直した。途中目が覚めたが、布団の中で高校野球のテレビを観ながらうつらうつら、3時過ぎにやっと布団から抜け出す。
劇団のホームページの更新を少し。DVDレコーダが満杯になってしまったので、録画していたテレビ番組をいくつか観て不要なものを消去する。


8月6日(日)
千秋楽そして打ち上げ。山あり谷ありだったが、何とか無事にゴールにたどり着けた。いつも思うことだが、若者の中には限りない可能性が宿っている。それをどこまで開かせることが出来るか、その多くは指導者にかかっている。いかにしてみんなの中に眠っている力を目覚めさせるかにかけた2ヶ月の稽古期間だった。結果については自分では判断できない。全てはまだこれから。今は種をまいただけ、今後の各自の努力とその環境次第だ。


8月5日9(土)
二日目は調子が落ちる例が多いが、それほど下がりはしなかった。ただ、総体にエネルギーが下降気味。どうしても守りに入ってしまうからだろう。常に挑戦するのは確かに難しいとは思うが。
幕が下りてすぐに大江戸線で都庁前へ向かう。朝日カルチャーセンターでのフェルデンクライス講座。転がって坐る動きとヨーガのエビのポーズへのアプローチ。椅子に座ったまましゃべるだけだが、帰り道で体調がぐっと良くなったのを感じる。忙しさにかまけて自分自身のためのレッスンを怠けていたことを自覚する。
亀田とかいうボクサーが話題を提供している。初回のダウンシーンは観てないが、中盤5回ぐらいから最後まで観ていた。ボクシングをスポーツだと思って見れば、あの判定は絶対におかしい。誰がみても3-0で負けだ。ただ金儲けの一種だと考えればこういうのもアリかなとも思うが、ずいぶん世の中をバカにした話だ。こんなことをやっていては、ボクシング人気もますます衰退するばかりだろう。


8月4日(金)
1時から舞台稽古(GP)。もう少し弾けてほしいのだが・・・、という感じ。夜の初日本番はまずまずの出来。随所に歯車の狂いが’みえるが、それは初日だから仕方ない。今までの「スケッチブック」に比べても上がりは良い方だと思う。


8月3日(木)
昼前に出て麻布区民センターへ向かう。予定よりも仕込み関係が早く終わり、3時の予定が2時から場当たり開始。懸念していたが、小道具だけの舞台は意外にいい感じに上がった。シンプル・イズ・ベストだ。中島みゆきの歌声も中身にマッチしている。各場を2回ずつやっても時間内に上がる。芝居の出来はまあこんなもんでしょう。悪くはない。


8月2日(水)
今日は稽古場での最後の通し稽古。この期に及んでジタバタしても仕方ないが、間違った方向に行かないよう、大事なポイントだけをチェックする。後は今までの助走を十分に活かして思い切り跳んでくれればいい。そういえば芝居の本番は、ジャンプ競技に似ていなくもない。何度も試行錯誤を重ねて、最後の本番でいかに集中できるか。


7月31日(月)
先週末は研2-3年の中間発表会でこちらの稽古は中断した。麻布区民センターまで3日間通った。2回公演だったが、250名の客席は半分程度の入りで、いささか予想が狂った。今後宣伝販売体制については考え直さなくてはならない。
1年生はいよいよ最後の直線コース、泣いても笑っても初日のゴールは目の前。今日は第1部の小返しのあと、通し稽古。中断のせいかテンションは全体に落ちている。


7月27日(木)
第2部の小返しのあと、第1部を通す。明日から2-3年生は麻布区民センターへ入るので、1年生も全員手助けに行く。明日は丸一日仕込み作業に参加し、土曜・日曜の本番は受け付けなどの手伝いとなる。土曜日に通し稽古を1回、来週は木曜日から区民センターに入る。
今回は定員250名近いので、今のところかなり空席が多い。この日録を読んだ方は、どうか知人・友人などお誘いのうえ是非ご覧になってください。


7月26日(水)
第1部の小返しにかなり時間をかける。遅い昼食休憩をはさんで第2部を通す。


7月25日(火)
稽古はいよいよ終盤にさしかかった。マラソンに例えれば心臓破りの丘というところか。昨日は2回目の早回しをやった。少しはリズムがよくなったが、逆にアラも見えてきた。今日は第2部の3場面をやや細かくやり第1部は1回ずつ。明日は第1部を重点的にやる。さあ、あとは時間との勝負だ。どこまで勢いが出るか。


7月20日(木)
初日まであと2週間、微妙な時期にさしかかった。言ってみれば第4コーナー手前というわけだ。今までは各自がどこまで作品に肉薄できるかが課題だったが、これからは今までの積み重ねの上に、どこまで自分の可能性を拓くか、作品を通して如何に自らを開花させるかが第1の課題になる。
何とか全員が自分の華を開いてくれることを願うしかない。稽古の方法もそのことに集中することになる。今日は恒例の早回し稽古の一回目。来週早々に再度試みる必要を感じる。


7月17日(月)
やけに蒸し暑い日が続く。7月に入って時の経つのがことのほか速い。すでに半月が過ぎて本番までの日数を数えると気持ちは焦る。先週は稽古後に六本木で劇団の会議など続き、何とも慌ただしい1週間だった。
昨日の日曜は久しぶりに休み、自宅で今回の音楽プランを再考し、全く別のアプローチを試みる。今まで前衛ジャズやジョン・ケージなどの現代音楽を中心に考えてきたが、どうも高踏的すぎてぴったり来ない。思い切って方向転換し、中島みゆきの歌声で全編をつなぐことにし、それの選曲に丸一日を費やした。今日の通し稽古で流してみて、若干修正すれば何とか行けそうな感触。このほうが若者たちの感性にはフィットするようだ。


7月12日(水)
稽古場には女子中学生が2名、職場見学とやらで訪れた。30分のウォーミングアップに参加してもらって、午前中第2部の通し稽古を見せた。芝居は少しテンションが下がっていたので、午後は第2部を小返ししながら一通り。
稽古後、六本木でLABO公演「主人は浮気なテロリスト!?」を観る。ダリオ・フォーの作品は俳優座では無理ではないかと思っていたが、なかなかの出来映えだった。冒頭の場は固かったが、徐々に盛り上がった。特に演出の高岸未朝と主演の堀越大史の力が大きい。美苗を初めとする他のキャストもよかったし、スタッフワークもかなりのものだった。もう少し軽みが出ればよかったと思うが、それは高望みに過ぎるかも。


7月7日(金)
気がついたら1週間の空白。稽古に加えてサッカーに原稿書きと、時間を取られることが多すぎたこの1週間。サッカーは3位決定と決勝を残すのみとなり、原稿は昨夜何とか上げて、やっと稽古に集中できる態勢は整った。初日まで4週間あるとはいえ、最後の1週間は2-3年生の仕込み・本番の手伝いもあるから稽古ばかりに集中することはできない。実質3週間とみて、稽古以外の作業も入ってくるので時間に追われることになる。
今週は、月曜から木曜まで前半・後半の3場面ずつを1日置きに稽古、今日は1週間ぶりに午前に前半、午後に後半を通してみた。少しはよくなっている部分もあるが、まだ全体にエネルギーが燻っている感じ。点火するのは、さていつになるか?


7月4日(火)「夢の痂」
3部作のトリともなれば誰しも前2作以上を期待するのが普通ではないか。しかし、残念ながら1・2・3と下降線を辿ってしまい、今回は全く失望した。本当かどうかは知らないが、聞くところによると台本が上がったのは初日4日前だったという。さもありなんという舞台。井上ひさし特有の喜劇センスで客席の笑いは絶えないが、テレビのバライエティ・ショーを観ている時のような間歇的な笑いでしかない。はっきり言って本は初稿の段階を超えていない。パンフレットに作者の公演に寄せる献辞が別刷りで挟み込んであったが、そこにこめられた意図とは程遠い出来上がりであったことは明確に指摘しておきたい。
高額の入場料と税金をふんだんに費やして運営している国立劇場であるなら、初日を延期してでも観せるに足るだけの作品にしてから公開するべきではないのか。


6月30日(金)
初めての通し稽古は悪くはなかった。勿論、まだまだやるべきことは山積しているが、自分で扉を開こうというエネルギーが見えてきた。あと一ヶ月、どこまで行けるか、楽しみになってきた。
原稿はあと一つ。昨夜から書き出して半分近くは行ったが、やや難航している。今夜はアルゼンチンvsドイツ戦があるので原稿どころではない。決勝はブラジルとアルゼンチンがぶつかってアルゼンチンが勝つという予想、というより期待なのだが、こればかりは運を天に任せるしかない。さて、シャワーでも浴びてからテレビの前に陣取るとしよう。・・・・
ゴールキーパーが負傷交代とは?! キーパーの脇腹に膝蹴りを入れたクローゼはレッドカードではないのか? メッシも観られなかったし、面白くないことおびただしい。ドイツのサッカーはますます嫌いになった。何とかブラジルに仇を討ってもらいたい。
近年ますます肉弾戦になってサッカー本来の芸術性が希薄になってきたヨーロッパ・サッカー。「勝てばいいじゃないか」というのは「儲かればいいだじゃないか」というのと変わらない。だからこそ、今もサッカー文化を守っている南米に何とか頑張ってもらいたいものだ。


6月29日(木)
今日の稽古は全6場面のうちの最後の2場面。デッサンが何とか形になってきた場面もあるが、まだまだ消しゴムが必要な場面もある。少しこの辺でもう少し勢いをつけるためにも、明日は全6場面を通してやることにした。初めての通し稽古だ。


6月27日(火)
6月最後の週が始まり稽古も待ったなしの勝負の時期に差しかかった。しかし、今年の若者たちからはさして緊迫感が感じられない。緊張して固くなるよりはましだが、この調子ではいささか心配ではある。
サッカーは決勝トーナメントに入って俄然面白くなってきたが、のんびり観ている暇がないのが口惜しい。


6月23日(金)
この1週間、一日2場面ずつの稽古、それ以上は無理だった。少し脱皮の見える場面もあるが、全体に基本デッサンで試行錯誤を繰り返している段階。ムチを入れたくもなるが、ここで焦ると結果はかえって悪くなる。悪いところを指摘するより、よい萌芽を見つけてそれを育てること。これ自戒。
引き受けた原稿が二つ、まだ全然手をつけてない。サッカーのせいもある。これは怠けていることの口実か。土・日の間に一つは上げないと。
それはそれとして、日本チームの敗退は予想通りだとはいえ残念。結局奇跡は起こらなかった。奇跡に期待するのも甘いといえば甘かった。世界の壁は厚かった。またまた戦犯追及などという名のイジメがこれから始まるのだろうが、うんざりだ。あえて戦犯といえば、実力以上に持ち上げたマスコミや、テレビ視聴率稼ぎを目当てに真っ昼間の試合を2試合連続で組んだ電通こそ、それではないのか。さて、決勝トーナメントではメッシのいるアルゼンチンに期待しているのだが、はてどうだろうか。

6月18日(日)
フェルデンクライスの日曜コース。腰椎の可動性にアプローチする。深層の大腰筋への気づきをテーマに4つのレッスンを行う。表層筋が硬化・肥大化しているひとには、結構難しいテーマだ。終わって恒例の牛角歓談を小一時間。今日は高岡さんと二人きりだった。

6月17日(土)
この三日間は2場面ずつで計6場面、一通りやったことになる。でも、ただやったというだけで、個々の場面の掘り下げ方は差し置いても、演技というものに対するアプローチがばらばらで、これをどういうふうに束ねていくかに頭を悩ませている。育ちも環境もそれぞれが違うものたちが一同に会してまだ2ヶ月半だから無理もないが、ここが我慢のしどころ。ここを乗り切れば走り出すものが現れ、それに引きずられて何人かの足取りが軽くなり、そして他のものもそれを追っかけることになる。できるだけ落ちこぼれるものをなくすことが指導するものの役目ということになる。


6月14日(水)
稽古はとりあえずスタートしたが、まだ同じ道を行ったり来たりの繰り返しに近い。毎年のことだが、この時期は己を知ることが如何に難しいか、自分に気付くこと、自分を縛り付けて不自由にしているものに気付くことが至難の業であることかを思い知らされる。


6月13日(火)
三日ぶりの稽古場。サッカーのせいで眠い目をこすりながら、満員電車に揺られて泉岳寺へ。今日からの稽古では、各場面の独自性と出演者の個性が可能な限り幸福な出会いを実現できることを目指す。そのためのポイントをなるべく早く見定めることだ。今日は2場面のみで時間切れとなる。


6月12日(月)
今日は朝11時から夕方まで、病院を二軒ハシゴする。まず、予約を取っていた稲毛の山王病院で、造影MRIを受ける。真新しいお城のような建物。広大な総合病院。予定通り11時半からドラムの中に入って1時間近く、耳栓をして身動きせずに横たわっているだけ。かなり大きな音がしているようだが、耳栓のせいで心地よい眠りに誘われる。途中30分して造影剤の注入があった。閉所恐怖に襲われることはなく終了。午後は撮影されたフィルムを持って佐倉の整形外科へ。診断の結果は前回の診断と変わらず。脊髄の中に水が溜まっているが、悪性のものではないという。今後の処置に関してはこちらに決断を任された。当面は仕事が立て込んでいるので、しばらく様子を見ながらどうするか決めようと思う。
夜、対オーストラリア戦を観る。ラッキーな先制点を取ったはいいが、それ以後は終始守りに入って、攻めには全く迫力も切れ味もなく、負けるべくして負けてしまった。完敗である。せめて引き分けていればまだしも、決勝進出はほぼ絶望的になったのではなかろうか。


6月11日(日)
西木一夫氏のお通夜に古河市まで出かける。思い返せば、俳優座で共に同じ時代を生きてきたと一番強く身近に感じる先輩との別れ。この年になると、親しい人の訃報には毎年のように触れるが今回は格別だ。少し大げさに言えば古くからの戦友を亡くした想い。養成所時代から演出部初期の頃、そして研究所設立から今日まで、人間味あふれる人柄と言動にはどれだけ助けられたことか。この何年かの闘病生活のことを想うと、今は心をこめて合掌するしかない。最後にお棺の窓を開けて見せてもらった西木さんの顔は少しほっそりしていたが、安らかに、ぐっすり眠っているようだった。


6月9日(金)
朝日新聞のカメラマンも加わって稽古場取材。ウォーミングアップから「笑いの階段」「泣きの階段」のレッスン。早めの昼休みをとって、午後は残りの3場面を読む。
昼休みに演出部・西木一夫さんの訃報が入る。3月の電話では後期のレッスンには復帰できるよう頑張ると聞いていたのに・・・。


6月8日(木)
稽古は全6場面のうちの3場面を読んでみる。まだそれぞれの方向性がばらばら。二ヶ月で何とか一つの世界を表現できるようになるのかと不安がよぎるが、これは毎年のこと。それにしても、年ごとに課題は異なる。


6月7日(水)
稽古。最終的に6場面を取り上げることにし、配役を発表する。一通り大まかなテーブル稽古。さて、これから2ヶ月弱。限られた期間にどこまで行けるか。


6月6日(火)
研1の稽古。場面はほぼ固まった。稽古後、朝日新聞社会部・山之上さんの取材を受ける。何でも「泣く」を主題に、TMA1FのSegafredoで1時間余り。金曜に稽古場を取材したいとのこと。


6月5日(月)
今日から連日研究生1年は全面的に発表会の稽古態勢に入る。場面集は新しい場面も加えて十場面に絞る。もう一日頭を悩ませることになる。


6月4日(日)
修理に出していたマックがサポートセンターから1ヶ月ぶりに退院してきた。CPUの交換! この1年ぐらいの間に徐々にフリーズの頻度が高くなっていた。しかし、CPUがいかれるなんて。マシンは戻ってきたが、中身は空っぽになってしまったので、朝からリハビリに取りかかる。これがまた大変に時間を食う大仕事なのだ。丸一日を費やして、とりあえず主な作業に差し支えない程度でしかないが、何とか元の環境にほぼ近いところまで回復した。後は時間をみて徐々に埋めて行くしかない。


6月3日(土)
朝日カルチャーセンターでフェルデンクライスのレッスン。この4月から教室が今までの48階から7階に引っ越した。今までよりも少し狭い部屋なので、20名弱の参加者だったが、やや窮屈な感じがした。今日は入門講座ということで、基本的なアウェアネスをテーマにする。


6月2日(金)
研究生1年のレッスン。今週中に場面集の中身を決めてしまうつもりだったが、来週にこぼれる。十数場面までにはしぼれてきたが、どうもまだ何かが足りない。それを埋めるべくあと一がんばりだ。
夜は新国で「やわらかい服を着て」を観る。


6月1日(木)
明日初日を開ける研究所関係有志の自主公演「ふかふか男」のGPを観に出かける。会場は泉岳寺TMAの8階。舞台のセッティングから演出・演技まで、随分力が入っている。そのエネルギッシュな初心には感動する。少し前のめりになりすぎているところはあるが、その意気込みには拍手を送りたい。


5月29日(月)
研究生1年のレッスン日だが金曜に振り替えてもらって、佐倉の病院へ。千葉大の脊髄専門医の診察を受ける。前回と変わらず、詳しくは更に検査が必要とのことで、6月12日に造影剤を注入してMRIを再度受けることになる。
まだ腫瘍か膿瘍か判別できないらしい。腫瘍には悪性のものと良性のものがあるという。十数年間徐々に進行し、さほど急激な症状の変化はないので、悪性のものではないだろうという話。膿瘍は言ってみれ脊髄に水が溜まっているような状態で、溜まったものを吸い出すことになるらしい。腫瘍の治療は手術で摘出するしかないらしいが、すぐに処置しなくてはならないものではないだろうとのこと。いずれにしても決して生やさしい症状ではないが、正体がややはっきりしてきたことで多少は気が楽になった。


5月26日(金)
劇団HPの打ち合わせ。大まかな見積もりと基本ページのデザインが出た。いくつかの問題点を整理して、今後の見通しを立てる。サーバーも変更し本格的リニューアルということになる。
マクロメディアの Contribute というのがあると聞いて、30日無料試用版をダウンロードして使ってみた。初めて知ったが、更新作業程度ならばこれを使えば誰でも簡単にできることが分かった。ちょっと努力すればワープロ感覚で使えるソフトだ。


5月24日(水)
田中壮太郎翻訳・演出の「不寝番」の昼間の舞台稽古を観るため劇団稽古場へ。本番は早々に売り切れで入れないらしい。6日間の自主公演だが結構なことだ。初演出としてはなかなかのもので、随所にきらりと光るものがあった。大塚さんの存在感が抜群で、それに助けられて若い蔵本も輝いていた。2−3分から長くても5分程度の短い場面の連続で、全て暗転で場をつないだ処理は少し苦しかった。前半の部分が特にそう感じられた。


5月23日(火)
MRIの検査を受ける。腰椎12番辺りの脊髄に何か白い楕円形の影が映っている。これが脚部に通ずる神経を圧迫しているらしい。腫瘍のようなものかもしれないというが、まだそれが何かを特定は出来ないので、来週月曜に再度脊髄専門医の診察を受けることになる。どっと気が重くなる。


5月22日(月)
研究生1年発表会はまだネタ不足。もっと材料を集める必要がある。締切を1週間延ばす。研1が終わって、研2-3年のレッスンを7時まで。


5月21日(日)
フェルデンクライスの日曜コース。腰、胸、首の動きをテーマに4種のレッスンを行う。終わって牛角歓談を2時間ほど。


5月18日(木)
昨日紹介された佐倉の専門病院まで出かける。詳しい検査をしなくては分からないので、来週にMRIを撮りましょう、ということになる。


5月17日(水)
古傷の後遺症で脚の具合がよくないので近くの医院で診察を受ける。暇ができたらと思っているうちにどんどん時間が経ってしまった。どうも気がすすまなかったがやっと思い立ったしだい。その結果、一部神経が麻痺しているようなので、詳しい診察を受けた方がいいと専門の病院を紹介される。


5月15日(月)
研究生1年のレッスンも7回目。来月からの発表会稽古に向かってアクセルを吹かさねばならない。午前中にATMを2レッスンやったあと、午後はみんなが集めてきた場面から10場面ぐらい読んでみた。首をかしげたり眉をしかめたりしつつ聞いていたが、まだこれがという風景が浮かんでこない。短いものを数場面、多くても10場面ぐらいをつなぎ合わせて一つの出し物にしようとするのだから、パズルの断片がピタリと当てはまるような具合にはいくわけはないが、何となくある流れだけは創りだしたい。あとしばらくは産みの苦しみを味わうことになる。


5月13日(土)
シアターXでウラジオストック青年劇場の「かもめ」を観る。登場人物は4人、トレープレフ、ニーナ、アルカージナ、そしてトリゴーリン。この4人の台詞部分だけを抜き出して若干手を加えている。中央に直径一間ぐらいの低い円形の台、その上に天井から白い布を床まで垂らした丸い天蓋。そして簡素な背椅子が二脚。他にはなにもないという実にシンプルな舞台。ここでどんな「かもめ」が繰り広げられるかと大いに期待したが、いささか肩すかしを食らった感じ。試みとしては面白いが、あくまでもその域を出ていない。役者はトレープレフがいかにも無骨で、傷つきやすい芸術青年という感じがしないし、ニーナは綺麗なお人形さんみたいで、内面の動きが出てこない。後の二人はそれなりに面白かった。


5月12日(金)
昨日は幹事会、今日はIT部会と演出部会で会議の連続。
IT部会では、劇団のホームページからは早く手を引きたいので、その道の専門の会社との打ち合わせを行う。
振り返ってみると、これにかける時間と手間は並大抵ではなかった。立ち上げてから満5年経つのだが、何も分からないまま、何とかなるだろうと引き受けて、まずソフトを入手から始めて、まさに泥縄式に使い方を独習して、試行錯誤を重ねながら何とか立ち上げるまでの丸2ヶ月間、寝る時間以外は全てこれに捧げたものだ。2001年の8月に立ち上げたのだが、それ以来、さらにメンテナンスに追われる日々で、すでに満5年が過ぎたわけだ。早く誰かにに任せてしまいたかったが、他にやるものがいなくて今日まで続けてきた。やっと解放されそうだ。


5月10日(水)
劇団俳優座の5月公演『風薫る日に』を観る。補助席も出て超満員の初日。客席が一杯だと舞台も盛り上がる。反応もよくて舞台と客席の相乗効果で活気のある初日だった。ふたくちつよし氏の作品は、かつて俳優座ラボでやった『家族な人々』と研究生公演の『3年G組』しか観てないが、日常性の中で微妙な人間関係のドラマを紡ぎ上げてゆく手つきの確かさには感服する。
ただし、太平洋戦争末期の祖国への忠誠と家族内の葛藤を対置したモチーフが充分発酵しているとは感じられなかった。それと最終場面がいささか情緒に傾きすぎたのは惜しい。ブレヒト的とは言わないが、もっと乾いた表現がほしかった。
それはそれとして、十分に楽しめる舞台ではあった。


5月8日(月)
10時から泉岳寺で研究生のレッスン。連休中の宿題にしていた発表会用の場面がだいぶ集まった。午後はそれを何場面か読んでみた。


5月7日(日)
京都ワークショップも無事終わった。昨日は午前9時過ぎの「のぞみ」に乗って京都へ。連休中ながら車内はがら空き。上りのほうは軒並み満員のようだった。12時過ぎに仁和寺の御室会館に到着。新しい顔ぶれがいつになく多かった。予定していたプランを大幅に組みかえて、基本レッスンを丁寧に展開。夕食後は恒例の懇親会。参加者たちの感想や意見、参加した動機などに耳を傾けていると、思いがけない発見に満ちてくる。やはり教えることは教わることなんだと改めて実感する。
今日は7時起きのつもりが30分遅くなる。食事のあと、今日のプランを考える。昨夜の懇親会で出た注文に応えるべくテーマを整理する。9時から昼食をはさんで午後4時半まで、呼吸と声から始めて首と胸椎に焦点を当てたレッスンを数種行う。150畳以上の大広間で伸び伸びと行うレッスンの開放感は東京では味わえないものだ。次回の京都ワークショップは、8月の比叡山の延暦寺会館の大広間。これはまた一層の楽しみだ。
6時過ぎの「のぞみ」で帰京。帰宅は10時。明日は研究生のレッスン日だ。



5月5日(金)
明日京都ワークショップの準備。今回は31回目になる。毎年春・秋の2回だからもう15年を超えたことになる。過去の記録を調べながらレッスン・プランを考える。二日間で10レッスンぐらいの予定だが、幾通りかの流れを準備する。どのような展開になるか、現場で参加者たちの前に立つまで分からない。


5月3日(水)
先週末はマックの調子が悪くメンテに時間を取られる。カーネルパニック頻発で遂にお手上げ状態。OSを新たにインストールするにも、本体が起動してくれない。セーフブートで起動しても、訳の分からないコマンドラインが画面一杯にずらずらと出てくる。乏しい知識で解読しようにも、手がかりがない。いくつかの単語らしきものを拾い上げてどうやらCPUがいかれたらしいと判断する。これはもう修理に出すしか手はない。ターゲットモードで起動すると、何とかHDDの中身にはアクセスできたので、重要なデータだけは一通り外付HDDに移動したのだが・・・。今日の午後、アップルのサポートに連絡。いろいろ細々と聞かれたが、やはり修理以外に手がないという結論。


4月26日(水)「マテリアル・ママ」新国立劇場
久しぶりに芝居見物。新国で「マテリアル・ママ」を観る。余りいい評判は聞こえてこなかったので期待せずに行った。意外に面白く観た。舞台初出演という伊藤歩の危うい存在感が新鮮。他の出演者たちの技巧的(わざとらしい)演技が古ぼけて見える。舞台は車を乗せた和室と背中合わせにリビングがあって場面ごとに回してみせる。その短い場面の連鎖が劇のリズムをつくる。前から2列目の真ん中の席だったので、少しうるさく感じた。音がしなければまた違ったかも。


4月24日(月)
第19期研究生1年のレッスンも、はや4週目。今週で最初の1ヶ月が終わる。クラスの雰囲気もだいぶ和んできた。今日はフェルデンクライスのATMレッスンで「ハヌカの燭台」を取り上げる。テーマは肩の動きを通して全身の関係を調整すること。昨日の日曜コースでも取り上げて好評だった。極めてシンプルな構成でありながら、やればやるほど奥の深さが実感できる。今日はこれに1時間半近くかける。その後は、ルーシー・アーロンのビデオ「Movement Nature Meant」を観る。自然な動きとはどんなものか、この映像を見れば一で納得できる。しかし、それを身体で分かるようになるには、まだ多くのレッスンを体験して身体感覚(身体的アウェアネス)を深める作業を継続しなくてはならない。ともあれ研究生たちのフェルデンクライスへの興味は高まったようだ。
芝居の世界だけではないが、特に役者を目指すものたちは、即座に結果を出そうと急ぎすぎる傾向が強いので、フェルデンクライスの時間を贅沢に使うレッスンは、まどろっこしく感じられるかもしれない。気持ちが前のめりになりすぎている。俳優修業に対する自己イメージをリセットするためにも、毎年このレッスン・ビデオを見せるようにしている。身体で考えるとはどういうことか、考える身体とはどういうものか、このビデオを観るといろいろ感じ取れると思う。


4月23日(日)
今月の日曜コース。参加者は11名。肩と股関節の動きに焦点を当てたレッスンを4種。初めての参加者二人。後半にやや複雑な動きも入ったが、みんな結構楽しそうだった。いつものように、余り細かいプランは立てずに、今日のテーマにそった動きをいくつか用意してレッスンを始める。動きの指示を出し、みんなの動きを観察しながら次の動きを即興的に決める。動きを通して一人一人と対話をしているような気持ちになる。ここ数年来、徐々にこういうやり方に変わってきたが、この方のほうが楽しんでもらえるし、気づきも深まるようだ。
終わって恒例の牛角歓談を3時間近く。


4月20日(木)
今週は月曜を除いて都内へ出かける予定はない。こんなことは久しぶりだが、家にいるとなると種々雑用に追い立てられる。何よりも大変なのは部屋の整理だ。今まで怠けていたのだからやむを得ないとはいえ、手をつけ出すとキリがない。結局、外の仕事で飛び回ってるよりも疲れてしまう。これでもう三日経つのに一向に片付いた感じにならない。とりあえずデスク周りだけでも整えて、後は適当にごまかしておく。余り整理すると何がどこへ行ったのか分からなくなってしまう。散らかっているほうが気が落ち着くということもある。これは怠けるための口実か。
アマゾンで整理術の本を検索してみたら、ごまんと出てきた。読んでみるとなかなかいいことが書いてある。要らないものを捨てるのが整理の極意だとある。なるほど、読んでいるだけで身の回りがすっきり片付いたような気になってくる。しかしである、それを実行するとなると、強い意志と根気と潔さがなくてはならない。


4月17日(月)
7時起きで午前9時半に泉岳寺TMAへ到着。研究生1年のレッスン。この1週間の記録に目を通してからレッスン開始。ATMから始めてエテュード、シアターゲームなど、10時から昼休み1時間を挟んで4時まで。4時半からは研2-3年のためにATMを2種。帰りに三田で下車してJR田町駅構内の窓口で5月上旬の京都行きのチケットを購入。春の京都ワークショップNo.31まであと3週間を切った。そろそろテーマと構成を考えなくてはならない。


4月16日(日)
昨日今日と椅子に座る時間を減らして、布団に寝転がって本を読んだりテレビを観たりし過ごす。その合間に極めてマジメにフェルデンクライスのATMレッスンを何種か行う。骨盤時計(Pelvic Dial)の動きはやはり最も効果があったような気がする。腰椎2番と3番の間が少しずれていたが、レッスンのお陰で徐々に痛みは遠ざかった。立ったり座ったりすると、まだかすかに鈍痛を覚えるけれど、この二日間でほぼ正常に戻った。


4月14日(金)
劇団の会議があって4日ぶりに都内へ出かける。4月も中旬だというのに肌寒い一日。水曜には新国で「カエル」を観る予定だったが体調不良で取りやめる。過労がたたったか、3月末頃から軽い疲労性腰痛の症状。20年余り前の左足首捻挫の後遺症で、左脚をかばって歩いているうちに右脚の調子がおかしくなったことを自覚してから10年近くなる。それでもフェルデンクライスのおかげで何とか大事に至らずに今日まできている。しかし余り無理をすると全身のバランスが崩れて、ときどき腰に症状が出る。ぎっくり腰の一種に違いないが、今までは大抵フェルデンクライスのレッスンをすると簡単に治ってしまったので高をくくっていた。しかし、今回は少し長引いている。触診すると分かるが、腰椎の一部が微妙にずれている。この週末には完全に治していまおうと思う。


4月10日(月)
10時から研究生1年のレッスン2回目。この1週間で多少和んできたようだが、まだ全体に固さがある。午前中はフェルデンクライスのATMレッスンを一つとシアターゲーム。午後は呼吸レッスンと声の土台、および呼びかけレッスン2種。みんなレッスンを楽しんで大分ほぐれてきたようだ。4時半からは研2-3年相手にATMレッスンを2種。肩関節の動き(ハヌカの燭台)と股関節の動きを取り上げる。


4月8日(土)
民主党の代表が決まった。小沢一郎の代表選出には意外性は全くない。前原代表選出の前回の方が新鮮みはあったが、ただ若いというだけで永田町で生き抜くための実力のほどは全くなかったという結末だった。
今の政治問題に言及する気は殆どないのだが、例のメール問題で一躍時の人となった「永田寿康議員」の選挙区の住人なので、今回の騒動には無関心ではいられなかった。今までの国政選挙には、久しく適当な立候補者がいなかったので、ずっと棄権を続けていたのだが、小泉政治の目に余るポピュリズムに、多少でも歯止めになればと、人間的には余り信用していなかったが、浅知恵の永田氏に投票した。別に民主党を信頼したわけではない。
それにしても与党からエールを送られる野党なんて、そもそも存在価値はない。小沢民主党に対して期待感は持てない。自民党に対する補完勢力でしかなかった政党が突然変異を起こすとは考えられない。こんな想定を覆してほしいという願望はある。


4月6日(木)
もはや完全に昼夜逆転し、午後2時過ぎに目覚める。デスクワークを少々。劇団総会のために4時過ぎには家を出る。新年度の最初の総会とあって結構長引く。いずこも同じ、問題をいろいろ抱えている。9時半近くに終わり、飲兵衛たちと近くの居酒屋に寄ってひとしきり。11時に引き上げる。終電一つ前の快速に間に合う。
巨人が4連勝したらしい。もしかしたら今年は優勝するかもと淡い期待を抱かせる。まだ始まったばかりじゃないか。気が早すぎる。
明日には民主党の代表が決まる。それにしても、理念なき政争に明け暮れる日本の現状には、ほとほと愛想がつきる。政治とは所詮そういうものさ、という声が聞こえるが、ただただ無力感に襲われるのみ。


4月5日(水)
また昼夜逆転現象が生まれつつある。昨夜は午前4時すぎに布団に入ったのに8時には目が覚めてしまう。そのままデスクに向かい、午後3時頃までは頭が冴えていたのだが、夕方になると頭が働かなくなり眠気を催す。布団に入り3時間ほど熟睡する。テレビで巨人・ヤクルト第2戦の最後を見届けてから再びデスクに向かう。当面のところ朝早くに出かける用件はなし。月曜以外は午後か夕方からでいい。馴染みの生活スタイルにどっぷり浸ることができるわけだ。間もなく6日の朝刊がとどく。それを読んでから寝ることになるだろう。


4月3日(月)研究所新年度スタート
研究所2006年度のスタート。8時前に家を出て9時半にTMAに着く。10時から研究生1年の最初のレッスン。午前中はフェルデンクライスの入門レッスンと、シアターゲーム(倒れる木と信頼の輪)。午後は恒例の他者紹介。二人ずつ組んで、昼休みの間に相手を取材して2時から始める。これをやると大体クラスの特徴がつかめる。アンサンブルへの第1歩。
研1は4時に終わり、4時半からは、研2-3年のために今年から導入する演技ワークショップの第1日目で7時まで。とりあえず中間発表の稽古開始までの期間、毎月曜のこの時間帯に行う。7時半にTMAを退出。
帰宅してFCJのレッスンCDの補充など。


4月1日(土)
午前11時から劇団稽古場で新年度研究生の入所式。2-3年がぐっとスリムになって合わせて10名、淋しい。1年は13名。合同の入所式は初めての試み。少しでも研究生たちの一体感が強まるように、今年からこれを恒例とするつもりだ。
      (新1年生)            (新2-3年生)

            ↑click to enlarge↑


3月31日(金)
明日は研究所の入所式。来週からは新学期のレッスンが始まる。それらの準備に忙殺される。夜はジャイアンツの開幕戦を観る。


3月30日(木)
前夜、明け方までCDの補充など研究会関係の雑務にかかりきりで、起きたのは昼前。気がついたら、選抜はもうベスト8の段階まできている。早実と関西の試合をちらちら横目で観ながら一日中机に向かう。


3月29日(水)
久しぶりに爆睡。午前4時すぎから14時まで10時間。疲れは取れたが脳味噌はかえってふやけた感じ。午後は劇団俳優座と研究会のホームページの応急処置的メンテナンスにかかりきり。夕方にスーパーまで買い出し。空っぽの冷蔵庫にとりあえずの補充をする。夜は研究会の雑務をこなす。レッスンCDは全巻品切れ状態が続き、補充は急を要する。注文を受けた会員の方たちに待っていただいている。


3月28日(火)
怒濤の1週間が終わった。GPから24〜26日の本番、そして昨夜の幹事会での審査会議、そして今日、15名の個別面談。そのうち8名が昇格することになった。あとの7名が格別劣っていたわけではない。そもそもこの時期に優劣や将来性を判定するのは不可能に近いのだが、組織としては無理にも判断を下さねばならない。昨日まで、各自の潜在力を出来る限り実現できるようにと懸命に励まし続けてきたのに、一夜明けて突然冷たい決定を伝える役目を果たさねばならないとは、身を切られるほど辛いものがある。文学座のように郵送で結果を知らせるほうがよほど気が楽だかしれない。しかし、それでは余りにも無機的すぎるような気がする。
今回の舞台は、千秋楽のあとの打ち上げの席でも言ったが、過去5回の「かもめ」の中でも一番いい出来だったと思う。とにかく全体のアンサンブルがよかった。
5時から7時まで今年初めての演出部会。終わってHUBで軽く喉をうるおしたあと、みんなが集まっていると聞いて牛角泉岳寺店へ。何人か欠けていたが、かなりの人数が6時頃から飲み食い、しゃべり合っていたらしい。終電まで付き合って午前1時すぎに帰宅。明日からは久しぶりの3連休。正月以来だ。このところずっと平均睡眠時間4時間程度だった。この3日間で少しでも体調を整えなくては。


3月24日(金)
無事初日を迎える。昼間はチェーホンテ組のGPを終えて、夜の初日を迎える。初日のときめきはいいものだ。黙っていてもテンションが上がる。やはり本番は稽古とはちがい、予想以上の勢いが出る。


3月23日(木)
午後アントーシャ組、夜チェーホンテ組のGP。どちらも40名近い観客。本番は全部売り切れてしまい、劇団員もGPでなければ観られない状態。
観客が多いと舞台のテンションも上がる。でも、まだ期待したほどではない。もう一段温度が上がるといいのだが。自分を信じ、相手を信じること、そこから相互の信頼関係が生まれる。相手を支えることによって自分も支えられる、それが本物のアンサンブルを産み出す。言い方を変えれば、自分を捨てる勇気がなければそういう関係は産まれない。

3月22日(水)
午後第2部の照明合わせ。夜はアントーシャ組の1回目のGP。まだギクシャクしているが、照明入りで初めての通しだから仕方ない。良くなった部分も随所にあった。


3月21日(火)
今日は照明の仕込み日でみんなは朝から働いているが、ぼくは午後から出かける。WBCの決勝戦を少しテレビ観戦。2時過ぎに劇団へ着いたら最終局面をテレビでやっていた。まさかまさかで本当に優勝してしまった。イチローが今までのクールなイメージをかなぐり捨ててはしゃいでいるのがまぶしかった。
稽古は夕方から照明を合わせながら第1部をやる。第2部は明日だ。


3月20日(月)
いよいよ「かもめ」は第4コーナーを回って最後の直線コースに差しかかる。昨日一日稽古のことを忘れていたので、新鮮な気分。12時からチェーホンテ組・アントーシャ組の順で通し稽古。途中休憩は最小限だったので、あとの組はややバテ気味だった。両組が終わってダメだしで9時をまわる。みなの疲労度はかなり高いが、ここが踏ん張りどころ。このしんどさを乗り越えてジャンプできるかどうかが勝負の分かれ目となるのだ。


3月19日(日)
今日はいつもより少し寝坊しても大丈夫なので9時半に目覚ましをセットしていたが、いつものように7時半には目が覚めてしまう。そういえばここ一ヶ月ほど、目覚ましの厄介になったことがない。寝起きの悪さでは人後に落ちないのに、我ながら不思議でならない。もう少し寝ていればいいものを、どうも落ち着かなくて起き出してしまう。
簡単に朝食をすませてから今日のレッスン・プランをたてる。股関節の動きをテーマにすることは前夜に決めていたが、具体的なアイデアをいくつか考える。ルーシー・アーロンのノートをなどを参考に簡単な4種・レッスンのテーマを決める。それ以上のことは実際に参加者の顔を見て現場で決めることにしている。準備しすぎると結果はかえって良くない。
終わって恒例の牛角歓談。レッスンは概ね好評。夜になって急激に冷え込んできた。


3月18日(土)稽古と朝日カルチャーセンター
チェーホンテ組の通し稽古。30数年前にトレープレフを演った中野誠也が今日も姿を見せる。こと芝居となると常に全力で熱くなって語る万年演劇青年のようなベテラン俳優のエネルギーは、若者たちにはいい刺激になるだろうと思う。
ダメ出しが長引いて稽古が終わったのは5時半すぎ。急いで新宿住友ビルへ駆けつける。1階のカフェで軽くサンドイッチで腹ごしらえ、48階の教室へ。来月から朝日カルチャーセンターは7階へ引っ越すので、十数年続けてきた見晴らしのいいこの教室ともこれでお別れとなる。
帰りは大江戸線で大門に出たが、乗り継ぐ電車がこない。三田で人身事故があって当分動かないという。また大江戸線に戻って門前仲町回りで東葉高速に乗り継ぐ。


3月17日(金)
アントーシャ組の通し稽古。照明の高橋さん、メイク指導の阿部百合子先輩、衣裳の石川さん、さらには中野誠也氏らの立ち会いのもとスタート。少し遅れてて田中壮太郎も客席に。稽古はほどよい緊張感の中で進む。全体にまだ燃焼度が低いが、流れは良くなってきた。照明の打ち合わせ。衣裳はほぼ出来ている。打ち合わせのあとでダメ出しに時間をかける。そのあと7時からサザンで「流星に捧げる」を観る。帰宅して明日の朝日カルチャーセンターの準備。


3月16日(木)
今日は最大の山場。二組とも通し稽古。最初にチェーフォンテ組。こちらはかなり快調。まだ荒っぽいところがあるので、調整は必要だが、勢いは生まれてきた。時間をかけてダメだしのあと、短い休憩だけでアントーシャ組の通し。こちらは途中からややガス欠気味。疲れが出るのは無理もない。


3月15日(水)
第2部を昨日のように、早回しとノーマルで稽古。少し疲れが出てきている。しかし、ここを乗り切らねばゴールは見えないのだ。


3月14日(火)
最初の山場、早回し稽古とノーマル稽古。今日は両組で第1部のみ。だいぶ時間は縮まった。リズムと出てきた。


3月13日(月)「かもめ」稽古
最後の1週間、心臓破りの上り坂へさしかかる。今日は先週やり残した第2部(3-4幕)を両組で。随所にぎこちない乱れがある。無理もないが、時間との勝負になるな。


3月11日(土)
昨日の仕込みで稽古場は客席も出来て演技空間がしっかり把握できる。今までとは違う使い方をするので現場で確認するまで不安もあったが、いつもの狭苦しい感覚はなく、意外に広く感じる。
稽古は第1部だけを両組。大きな修正はないが、部分的に今まで気づかなかったディテールもある。いよいよ来週からは時間との勝負になる。「早回し稽古」に加えて「だんまり稽古」もやってみたいのだが、果たしてその時間が取れるかどうか。


3月10日(金)
実に久しぶりの休み。研究会の事務処理など、机に向かっている時間が殆どだった。いつの間にかデスク周りは混雑を極めている。その都度片付けて次の仕事にかかればいいのだが、四つぐらいのカテゴリーを並行して進行しているので、いちいち片付けていると能率が悪くなるような気がする。これがよくない。一つ終わって先の続きをやろうとすると、必要なノートや本がどこかに紛れ込んでいたりす。とどのつまり仕事している時間より、捜し物をしている時間のほうが長くなったりする。


3月9日(木)
稽古は第2部(第3幕と第4幕)を両組。舞台セッティングをチェックする。机上プランは若干の修正が必要だが、ほぼ当初のイメージ通りに行きそうだ。稽古場を横長に使って、長い方の壁際を客席にして中央の横長の演技スペースを両側から観ることにした。明日は一日かけて舞台仕込みになる。現場は舞台監督と研究生たちに任せることにした。家でやることが山積しているので、少しでも片付けておかねば。のんびり休養とはいかないなぁ。


3月8日(水)
9時に起きるつもりが7時過ぎに目が覚めてしまう。小一時間いくつか事務的な仕事を片付ける。眠い目をこすりながら支度をして10時に出発、バス・電車を乗り継いで六本木へ。稽古場も変わり上演する場所を使っての稽古になる。これからの2週間、いよいよ最後の第4コーナーともなれば、気力も徐々に満ちてくる。第1部(第1幕と第2幕)を両組ともやった。新しい空間での問題点をチェックするだけの稽古ではあったが、みんなの意気込みが高まってきて、今まで見たことのないような光彩を発する場面や瞬間がい随所に生まれてくる。これからのさらなる上昇カーブに期待したい。


3月7日(火)合格発表
12時から発表。午後1時から合格者への説明会を行い、今後の手続きと日程、および劇団俳優座の研究生制度に関する説明を行う。これからの1年、このメンバーと共にレッスンをするのだ。新鮮な気持ちが徐々に高まったくる。終わって片付けてから、試験スタッフとして働いてくれた18期の面々と軽い打ち上げ会をやる。これで引き上げることができればよかったのだが、夜に劇団で幹事会。車は泉岳寺のホテルに預けたまま六本木へ。
年度末にして改選前の最後の幹事会なので時間がかかる。9時過ぎまで。稽古場では研究生2-3年生たちが明日からの「かもめ」の稽古場準備。今日を区切りに頭の中を「かもめ」にリセットして明日からの稽古に集中しよう。
六本木から都営地下鉄で車を預けていた泉岳寺のホテルまで。お台場の上を通って湾岸経由で千葉まで。夜の10時頃にもなると、さすがに高速道も空いてきて、千葉に近づくにつれ車の数はどんどん少なくなる。こういう時の快適な走りは疲れを吹っ飛ばしてくれる。気がつくとメーターが140キロを超えかかっていることに何度も気づく。泉岳寺から自宅まで1時間とかからなかった。久しぶりに長い距離を素っ飛ばしてスカッとした。
すぐに寝ようと思っていたけど、留守中のメールチェックや劇団のホームページの更新などやっているうちに午前3時ちかくなってしまう。


3月6日(月)第2次試験
試験は10時から4時過ぎまでかかる。今回は初めての面接官を一人で務めることになった。若者たちの個々の資質を探り出そうと質問の仕方には神経を使う。終わるとがくっと疲労感に襲われた。食事休憩のあと審査会議。合格者男性6名と女性7名、計13名を決定する。


3月5日(日)
第1次試験合格発表。合格者に対する第2次試験の説明会を終えてから明日の第2時試験の試験室整備と書類作り。昨年までは第2次試験は六本木の劇団の稽古場を使って2日間かけて行っていたが、今年からは第1次・第2次ともに泉岳寺のTMAビル。引っ越し作業がないだけに随分楽になった。早めにホテルへ引き上げてWBCの日本・韓国戦を観ながら、明日の面接の準備などする。韓国はずいぶんしぶとい試合をする。日本は果たしてどこまで行けるか。過剰な期待はしないほうがいいだろう。もし松井秀樹が出ていれば、かなりいいところまで行けるかもしれないが。明日の第2次に備えて早めにベッドに入る。


3月4日(土)
二回目の第1次試験。今年から第1次試験を二回行うことにした。2月の第1次は前日に新国の第1次があった。今回は明日が文学座の第1次試験。さて、今年はどんな新人と出会えるか。試験そのものは10時スタートで4時ぐらいには終了し、そのあと明日の合格発表に備える。若者たちを動員して作業が終わったのは6時頃。第1次合格者47名の作文を持ってホテルへ。ざっと一通り目を通す。


3月3日(金)
5日留守にするので研究会の雑務を片付ける。レッスンCDの第2集に加えて第4集も在庫が切れてしまった。至急補充しなければいけないのだが、これは試験の後に回すことにする。第3集と第5集も間もなく底を尽きそうだ。
2時出発の予定で荷物を車に積み込む。北千葉から湾岸回りで泉岳寺に向かう。ウィークデーで2時間近くかかる。試験会場の準備は研究生たちが中心になって進めていた。7時ぐらいには作業も終わり、「かもめ」組の何人かと近くの居酒屋へ。今回は余り付き合う時間がなかったので、つい話しが盛り上がって11時近くになる。


3月2日(木)
昨夜は確定を仕上げてから、募集関係の雑務に取りかかったら、予想以上に時間がかかり、夜が明けてしまった。一睡もせずに稽古に出ても居眠りするのが関の山。急遽メール連絡して8時過ぎに布団に入る。午後2時前に目覚める。明日からは4泊5日の都内泊まり込みで募集試験。1期生の時から毎年同じことを繰り返して19年目になる。


3月1日(水)
2月はあっという間に過ぎてしまった。今日も石川さんを迎えて、チェーホンテ組の通し稽古。衣裳はどちらも少し修正が要るがほぼまとまってきた。そのあと1時間半をかけて全体のダメだし。帰宅して確定申告書完成。データをその都度分類して記録するようにし始めてから、この厄介な作業が割合早く片付けられるようになった。


2月28日(火)
衣裳の石川さんを迎えて衣裳をつけてアントーシャ組の通し稽古。だいぶ衣裳は固まってきた。終わってだめ出しをして5時になる。帰宅して確定申告書作成にかかる。明日完成す予定。


2月27日(月)
いよいよ新人募集の締切日になり慌ただしい。確定申告の書類作成に取りかかる。のんびり日録を書いてる暇はない。


2月26日(日)
10名ほどの参加で、約半数が初めて。骨盤の動きをテーマに、前半は骨盤の動きに気づくための基本レッスンを土台にする。後半はやや応用的な要素の強いレッスンへと展開。終わって恒例の牛角歓談で8時近くまで。


2月25日(土)
通し稽古で露呈した弱点をこれから徹底的に補強しなくてはならない。帰宅して明日の日曜コースの準備。


2月24日(金)
出かける前にテレビで荒川静香の金メダルを知る。フリーの演技がVTRで流れるのを食い入るように見つめた。どんどん集中力を高めていくにつれ、ますます表現が伸びやかになり、今まで観たこともないぐらいの輝きを増してくる。こんなにすごいプレイヤーだとは知らなかった。ライバルが次々プレッシャーに押しつぶされたのに、彼女はまるで天使のように舞っていた。
チェーホンテ組の通し稽古。本公演の稽古・本番で2ヶ月近く取られたメンバーが中心なので、出遅れの感が否めないが、徐々に差を縮めてきてはいる。


2月23日(木)
初めての通し稽古。アントーシャ組。未だ道通しの感。今までかなり時間をかけて作り上げてきた基本デッサンが崩れてきている。それでいいものが出てくればいいが、どうも逆行している。


2月21日(火)
石川さんを迎えて衣裳合わせ。自前のものも持ち寄って、衣裳部のものも含めて何とかしようという算段。今回は現代調を基本に工夫してもらうことにした。各幕ごとに一通り決める。これを基本に修正することになる。稽古は第4幕。


2月18日(土)
何とか風邪も完治とはいかないまでも治まりかけた。「かもめ」の稽古は第2幕。原稿の締め切りは明日に延ばしたので、夜はオリンピックの中継など観てしまった。それにしても日本勢の成績は上がらない。事前に煽り立てて余計なプレッシャーをかけすぎたと言えるかもしれないが、それはどこの国だって同じことだろう。


2月17日(金)
二日ぶりに稽古場へ。第1幕を二組とも。残りの日程を考えると余りのんびりもしてられない。来週には一度通し稽古を予定しておこう。それから細部を直していくのがいいだろう。まだかなりデコボコ道であることは確かだ。
稽古後、新国で「ガラスの動物園」を観る。なぜにあれほど視覚的イメージを多用したのか、疑問に思う。テネシー・ウィリアムズの言葉を信頼していないのか、日本語を信頼していないのか。日本語が分からないから無理ないか。役者の演技もばらばらで、アンサンブルが取れてない。ローラの演技は誇張しすぎで好きじゃないが、何とか我慢できた。ジム、アマンダは作品の世界に入ってない。トムはなぜ木場勝巳に配役したのか理解に苦しむ。トムの回想の世界だとはいえ、青春の魂の鼓動が伝わってこなくてはこの作品の世界は構築できないのではないか。イリーナは父親の遺伝子を少しも受け継いでいないと誰かがどこかで書いていた。


2月16日(木)
今日は稽古はなしで原稿書きに当てていた日だ。昨夜遅くに少し手をつけたが、その直前に取った深夜食と薬が効いて再び眠ってしまった。目が覚めるともう正午を回っていた。この二日間で24時間近く連続して眠っていたことになる。恐ろしい。風邪はほぼ治ったようだが、寝過ぎたせいか脳みそが頭蓋骨にへばりついたみたいだ。気を取り直して、いざ原稿とデスクに向かったが、電話もFAXもインターネットも通じない。そうだ、今日は光プラスへの切り替え日だった。KDDIから届いていたモデム1台とターミナル2台を利用ガイドにそって配線する。が、うまく行かない。電話とFAXはNTTのISDNから光プラスへ、インターネットはJ-COMのケーブルから光プラスへと二重の切替作業に根を上げる。KDDIのサポートに電話相談。それでもなかなかラチがあかず、ようやく解決したのは半日が経ってもはや夕方。食事をすませて何とか原稿へ集中しようとするがままならず、ついついトリノの画像に見入ってしまう。ついに日付も変わってしまった。


2月15日(水)
風邪はさらに悪化。先週末は結局、医者にかかる時間もなく、試験期間は何とか持ち越したものの、昨日の「かもめ」稽古中からどんどんひどくなり悪寒と咳に苦しむ。今日午前中にやっと近所の医院に駆けつけインフルエンザではないと診断され一安心する。無理すれば出られないこともなかったが、後が怖いので今日は自主稽古にして、自宅で静養することにする。掛かり付けの医師に処方してもたった薬を飲んで午後11時まで寝ていた。風邪はだいぶ快方に向かっている。

2月13日(月)
第1次A組の試験が終わり今日はその合格発表。


2月10日(金)
募集試験の雑務のため、「かもめ」は昨日・今日と自主稽古。睡眠不足のため体調が思わしくない。どうも風邪を引いたようだ。熱はなさそうだが、咳と喉の痛みが強まり、鼻詰まり状態。3月下旬まで息の抜けない日々が続く。土・日の都内缶詰に備えて医者にかかっておかねば。


2月7日(火)
12時から1年生の面談。昨夜の審査の結果を伝達する。一人約10分で2時まで。昇級者は男性2名、女性3名。この1年間、共に学び、励まし合ってきた仲間が今日から別々の道を歩むことになる。研究所を18年続けてきて一番心が痛む一日だ。去る者も残る者も、今日からまた新しい一歩を踏み出すという潔い決意でもって生きていって欲しい。


2月6日(月)
12時から「かもめ」の稽古、第1幕。2日休んで懸念していたが、良くなった部分もあった。一年生の「ワーニャ伯父さん」を観て刺激を受けた面もあるようだ。夕方からは劇団で研究生1年の昇格審査会議、じっくり話し合って2時間以上、やっと結論に達した。明日は一人一人と面談して、今日の結果の内容を伝えなければならない。


「かもめ」の稽古場=TMAビル8Fからの眺め


2月5日(日)
昨日書いたように、その難しい作品をわずか1年目の研究生がやるのだから、欠点を上げだしたらキリがないのは当然。ただ公平に見て今回の成果は率直に認めるべきだと思う。
終演後のバラシ、そして7時から稽古場で打ち上げ。打ち上げが始まるまでの2時間、下のHUBで中野誠也と「ワーニャ」やチェーホフについて話す。その延長で彼と一緒に打ち上げの席へ。同じことを1期生から続けて18年、しかし、毎年のことだが、あらためて新鮮な気持ちを体験し、若返ったような気分になる。


2月4日(土)
研究生1年の「ワーニャ伯父さん」を観る。みんなよくやっていたし、結構素直な舞台に仕上がっていた。ただ、ワーニャの苦悩を表現するには若者には難題だ。19世紀末ロシアの閉塞状況で彷徨する知識人たちを表現するのは並大抵ではない。俳優座の本公演も含めて、この作品は余り成功した例はないように思う。実に難しい作品だ。
夜は朝日カルチャーセンターでフェルデンクライス。二つレッスンを行う。「ハヌカの燭台」と「肩を抱いて転がす動き」


朝日カルチャーセンターのレッスン会場


2月3日(金)
月曜から1幕ずつやって昨日今日と第4幕をやる。多少は形が見えてきたが、ここからが大変だ。どこまで深まるか。


1月30日(月)
稽古は第1幕。歌麿組でやや細かく返しながらやる。Wキャストの組み合わせを決めなくてはならない。二組できるわけだが、それぞれに特色を出すようにしたい。今日は少しだが、そのような方向が見えてきた。


1月29日(日)
2週間ぶりの休み。とはいえ、滞っていた用件・雑事を片付けているうちにあっという間に一日が過ぎる。睡眠不足は少し解消できた。


1月28日(土)
早いもので1月もあと3日。今日も引き続き第4幕。若干昨日のセッティングを変更し、ミザンセーヌを修正した。この芝居は、オーケストラとまでは言わないが、6重奏以上のアンサンブルが求められる。役者は自分の役だけに集中しすぎると全体が見えなくなり、結果としてアンサンブルを壊してしまうことになる。相手があって、全体があって自分があるという感覚。それにしても、第4幕は難しい。


1月27日(金)
昨日に引き続き第4幕。 舞台のセットは上下(カミシモ)をひっくり返してみたが、まだ決まらない。小道具の配置も含めてもう少し考えなければ。正解はないとしても、許せる範囲内の「解」には辿りつきたい。


1月26日(木)
月曜から今日まで一日一幕ずつやってきて今日やっと第4幕まで辿りついた。第1幕から第3幕までは何とか基本形ができたが、第4幕に関してはまだ試行錯誤の段階だ。様々な要素が複雑に絡まり合っているので、簡単には行かない。もう少し時間がかかりそう。


1月23日(月)
「かもめ」の稽古は歌麿組が合流して、やっと全員勢揃いした。今日は第1幕のみ。明日は第2幕のみの予定。
帰りの車中でホリエモン事情聴取のニュースを知る。帰宅してテレビ付けっぱなしで仕事をしていると、ホリエモンほか3名逮捕のニュース。ライブドアの急成長は全く異常だった。オン・ザ・エッジと名乗っていた頃から、いやそれ以前からのEUDORA(ライブドアのメールソフト)ユーザとしては、嗚呼、遂に此処まで来たか! という感慨に陥る。こういう錬金術を持ち上げ、はやし立て、あげくはホリエモンを現代のヒーロー(レールモントフに同名の作品がアッタナ)のごとく持ち上げた小泉劇場とその流れに迎合して旗振り役を務めたテレビ、新聞、週刊誌は、ホリエモン同様に有罪ではないのか?


1月22日(日)
今年最初の日曜コース。大雪の翌日で底冷えのする一日、それでも参加者は初めての人4名を含めて8名。入門的なレッスンを土台において展開した。終わって小一時間4階の牛角で歓談。フェルデンクライスのレッスンをやっている時間はもっとも心も体も和む時間だ。
昨日の雪は、建物の近くでは殆ど解けずにかちかちに残り凍り付いている。道ばたにはいろいろと固い突起物が造られている。こういう箇所で転倒すると大怪我をする羽目になるだろうと実感する。底冷えもきつい。こういうときのおでんは殊のほか美味い。


1月21日(土)雪・雪・雪
これしきの雪で騒ぐのは、記録的大雪で困っている東北北陸地方の方々には申し訳ないけれど、今日の稽古は、JRの列車などが乱れていて、何時に勢揃い出来るか分からない状態だったし、帰りの電車の乱れも心配だということで早々に中止にした。朝日カルチャーセンターからも午前中に連絡があり、中止するかもということだったが、昼頃に予定通りという連絡あり。疲れが溜まっているので夕方まで休めたのはありがかった。
朝日カルチャーセンターのレッスンは雪の中10名以上の参加があった。京成のダイヤが乱れているようだったので、東葉高速と大江戸線を乗り継いで往復した。帰ってくると、住まいのあたりは積雪20センチ弱になっていた。駐車場の車はみな深く雪に埋まっていた。明日は泉岳寺でFCJの日曜コース。
またまたアメリカ産輸入牛肉の問題が再燃している。


1月20日(金)今週の「かもめ」稽古
月曜:1幕。火曜:1幕と2幕。水曜:2幕と3幕。木曜:3幕と4幕。今日金曜:4幕のみ。明日土曜も4幕を予定。この1週間でかなり全体の構成は固まってきた。しかし、まだ細部は流動的。ラフスケッチに適当に色をつけて様子を見ている段階だ。時間的にはまだたっぷり余裕があるから、急がば回れでやっていく。来週からは歌麿組が合流するので、少し後戻りしなければならない。しかし、これは今までやってきたことを点検するためにも、いいことかもしれない。
一方この1週間は日本中がライブドアに振り回され続けた。この事件はまだまだこれから各方面に飛び火しそうな気配。耐震偽装といいホリエモンといい、時代の変化と言えばそれまでだが、大事な何かが壊れつつある今の状況を特徴的に示していると思う。


1月16日(月)
先週はビデオ週間みたいになってしまったので、今日の稽古は実に久しぶりの感じがした。ビデオを観ていろいろ話し合った結果が少しずつだが出てきている。
稽古後は六本木へ戻って6時半から演出部会。稽古場では1年生の「ワーニャ伯父さん」の舞台仕込みで、舞台部と歌麿組の研2/3年と準劇が加勢して大道具を組み上げていた。部会は8時頃に終わえてHUBで少ししゃべってから帰宅し、ホリエモンの家宅捜査を知る。
今回の地検特捜部の強制捜査は情報管理が徹底していて、事前に検察内部からは全く情報が漏れてこなかったらしい。そのためいろんな憶測が飛び交っている。この捜査は別件逮捕みたいなもので、本丸の大物に狙いを定めて特捜部が周到に準備したものだという説も聞こえてくる。いずれ近日中にその説の真偽も明らかになるだろう。


1月15日(日)
先週から研究生の稽古が始まり、劇団の雑事も多く、じっくり落ち着く暇もなく日録にかかる余裕がなかった。研究生の何人かが本公演の「歌麿」に出演しているので「かもめ」の稽古を余り先行するわけにも行かない。この1週間はビデオを観ながら話し合うことが3日間、稽古は第1・2幕をやった程度だが、いろんな舞台の映像を観ることで得るものもあったと思う。明日からは少しずつアクセルを踏むことにしよう。


1月7日(土)
朝日カルチャーセンター今年最初のレッスン。新年早々なのに多数の参加で満員の盛況。新しい人がいつになく多い。こういう場合は基本的なレッスンから丁寧に展開するに限る。かと云って経験者たちに退屈にならないようにする工夫も要る。そうして全員に楽しんでもらえるしなければならない。難しいけれどやり甲斐がある。


1月6日(金)
昨年の夏頃に入手したまま封印していたDVD「戦場のピアニスト」を観る。乗れる場面と引いてしまう場面が交錯するが、いくつかしびれるほど感動する場面もあった。ポランスキーの原体験を垣間見た思い。
ショパンが何曲か出てくる。今回の「かもめ」で使いたいと思っていたノクターン20番が2度も出てきた。ルービンシュタインが弾いていないかと探したが、どうもないらしい。アシュケナージ、アラウ、バレンボイムなどを聴いてみたが今ひとつはまりきらない。アラウのものが一番近いが、まだ決めかねている。もう少し探してみようと思う。


1月5日(木)
連日年賀状の返事書きに小一時間。年に一度でも気持ちがふれ合うような賀状に接するとちょっぴり心が豊かになる。また一人子供の名前が増えていたりするのも微笑ましい。
昨日やり残した試験問題を何とか完成して夕方劇団へ届けに行く。ついでにコピーもやったので1時間以上かかる。ついでに正月公演の稽古を覗こうかと思っていたが、今日は早く終わっていて6時過ぎには稽古場は空っぽだった。順調に進んでいるのであろう。


1月4日(水)
今日は劇団俳優座の新人募集関係の実務に丸一日をかける。来週から第1次の応募が始まる。今までは殆ど試験問題は人任せだったが、かなり厳密にチェックする。結果として大がかりに手を入れることになった。試験問題の作成というのは考えてみると難しい作業だ。受験生の中に何を見ようとするのか、どういう資質が隠れているのか、要するに可能性を探り当てるために行うわけだ。大学の受験問題のように、厄介な問題を出して出来ない奴をふるい落とすようなやり方は取れない。それでいて、個々の違いが出来るだけ分かるような問題を提出しなければならない。他の実務的な問題は毎年のことだから簡単に終わったが、試験問題を考え出すとキリがなく、結局未完成のまま明け方になったので続きは翌日にまわす。


1月2日(月)
いつの間にか年が明けてしまった。少し余裕があると、つい夜更かしをしてしまう習性を持っている。年賀状の返事を書き、余裕が生まれたところで録画していた昨夜の「ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート」を観てみた。さほど関心があったわけではないが、2002年の小沢征爾指揮するそれを観て以来、録画して観る習慣がついてしまった。
マリス・ヤンソンスの指揮は、堅実というかオーソドクスというか、やや堅苦しくて遊びが足りないと感じた。その点、小沢征爾のそれは、遊びと即興性と繊細さで唸らせてくれた。改めて小沢征爾版のDVDを取り出して観てみたりした。


1月1日(日)あけましておめでとうございます

年頭にはいつも今年こそは昨年よりよい年になるようにと願うが、はてさて今年はどんな年になることか。
芝居を始めて四十数年、フェルデンクライス研究会を始めて二十一年目になるが、そんなになったという実感は殆どない。どちらもまだまだ道半ばで、やるべきこと・やりたいことは山積している。しかし、無理をするのは性に合わない。今までどおりのんびりと出来ることをやりながら歩いていくとするか。

除夜の鐘を聞いてから新年用にFCJと俳優座のサイト・メンテナンスをやり出したら結構時間を食ってしまい、寝るのは完全に夜が明けてからになった。午前7時過ぎから午後2時過ぎまでぐっすり。そのまま寝正月となれば云うことないが、朝風呂のあと、年賀状の返事書きと部屋の片付けなどやり出したらキリがない。
夕方近く昼食と夕食を兼ねた食事をすませた後、録画しておいたマーティン・スコセッシのBOB DYLAN:NO DIRECTION HOME を観る。3時間半の大作。あの熱い時代の空気が甦ってくる。確かにあの時代はあったのだ。




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