日録  2005年1月--6月

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6月30日(木)研究生について
研究生の稽古は何とか軌道にのったが、まだ勢いが足りない。思い切ってアクセルを噴かさなければならない。自分の殻に閉じこもっていて、それに気づいていないという状態は毎年のことで、それを解きほぐすことが、言ってみれば最初の発表会の課題であるとも言える。ここで自分を捨てて思い切って殻を破ることができたものだけが先へ進むことができる。


6月27日(月)研究生稽古
場面集の構成がようやく固まり、今日は全体を一通りやってみる。各場の課題がだいぶはっきりしてきた。性急に結果を求めないで、試行錯誤を繰り返しながら、これだ!というものを見つけて行きたい。今日の稽古でも断片的にいくつか輝いた瞬間があった。ただ、いつものことだが、冒険をおそれて手近なところで満足するような傾向をもつものが何人かいる。この稽古を通じて、少しでも新しい自分に出会ってほしいと思う。


6月24日(金)シャウビューネ「火の顔」(世田谷PT)
若手作家マイエンブルクが20代前半に書いた処女作らしいが、豊かな社会に育った孤独な若者たちの救いようのない魂の深淵を過激な筆致で描き出している。それを演出は象徴的なイメージを多用しながらビビッドに舞台化している。


6月23日(木)ベルリーナ・アンサンブル「アルトゥロ・ウイ」(新国)
ヴィトケがシェパード犬になって舞台を延々と這い回る冒頭のシーンが売り物だと聞いて期待していたが、舞台奥のスクリーンにビデオ映像で少し流れただけ、ヴィトケが怪我をしたという噂だが、これにはちょっとがっかりした。ともあれ、こういうメッセージ性の強い芝居が大当たりするというドイツの演劇風土はうらやましい。


6月20日(月)シャウビューネ「ノラ」(世田谷PT)
研究生の稽古を5時に終えて三軒茶屋へ。シャウビューネといえば、1975年の初頭、当時の西ベルリンで観たペーター・シュタイン演出「避暑地の人々」(ゴーリキー)が忘れられない。シュタインは今やヨーロッパ屈指の演出家の一人として君臨しているが、今回来日の同劇場は次世代の芸術監督オスターマイヤーが「人形の家」を現代の視点で演出したもの。前半はやや期待を裏切る面もあったが、後半になると、随所にめざましいラジカルな表現を見せるようになる。ただし、ノラがヘルメルを射殺する幕切れは、意図は分かるがいささか底が浅いと感じた。


6月18日(土)
ようやく場面集の構成に一応のメドがたった。初日までの日数を計算するとかなり厳しいが、着実に稽古を進めたいものだ。どの場面もきわめて難しい。1年生たちが果たしてどこまでアプローチできるか、今のところ期待よりも不安のほうが大きい。来週中には各場のデッサンをとりあえず仕上げて全体の並べ方を決めなくてはなるまい。


6月8日(水)サッカーWC予選
今日は研究生のレッスン。寝不足の目をこすりながら満員電車に立ちっぱなしで泉岳寺へ向かう。集まった50余の場面の選別に集中する。多少メドがたったが、難題ではある。
帰宅してサッカー北朝鮮戦を観る。めでたく無事ドイツ行きを決めた。日本チームは冷静におちついていたと言えるだうが、前半はどちらかというと退屈な攻防だった。それにしても、ジーコ監督の方法は各人の創造性を活かすやり方で、前任のトルシェの規律とシステムを重視するやり方とは対極にあると思う。ジーコ・ジャパンが一応の結果を出したことは、多少とも日本のスポーツ界の状況を変える一助になるかもしれない。そうなって欲しいと思う。
それにつけても、ワールドカップとかオリンピックといったスポーツの国際試合というものは、ナショナリズムを異様に刺激するものではあるな、と改めて痛感する。たかがアジア地区予選に勝っただけなのに、テレビの馬鹿騒ぎを観ていると、若干白けるものがある。かつて、ナチス・ドイツがベルリン・オリンピックを最大限利用して国威を発揚したことを想起してしまう。


6月6日(月)「進化しすぎた脳」
同じ著者・池谷裕二の「海馬」(朝日出版社)があまりにも面白かったので、引き続いて読む気になった。副題に--中高生と語る[大脳生理学]の最前線--とある。内容もさることながら、語り口がいい。自分の知識をひけらかすのではなく、あくまでも相手があってその相手に向かって語りかけてる語法が生き生きとしている。そのことにまず惹かれた。フェルデンクライスに興味を持ちはじめた頃は、寸暇を惜しんで脳科学関係の書物を読みあさったが、その後はかなり怠けていて、最近の情勢には全く疎くなっている自分に気づく。


6月1日(水)研究生のレッスン
早いものではや2ヶ月が過ぎた。前期の発表会が8月上旬だから、もう2ヶ月。うかうかできない。場面は数だけは出てきたが、このうち何場面使えるかだ。あと1週間、来週水曜の時点で方向を定めなければならない。


5月30(月) レッスンテープをCD版へ
かねてから要望が強かったので、オーディオテープ版をCD版に変換する作業を始めるこことにした。聴き直してみると、編集し直したい部分が随所にあるので、マスターテープをそのままパソコンに取り込み、Sound It ! で再編集。結果としてはカセットテープ版とは若干異なった版が出来上がりそうだ。時間も多少長くなるものも出る。ついでに、15年前に出て、すでに絶版になって久しい「新潮カセット」版を元に「CD版入門編」を作製する。オーディオカセットも時代の流れとともに消えてゆく運命にあるのか。


5月25日(水) 研究生発表会へ
午前中はATMなど基本レッスン。声と体のレッスンは各人に合った方法を取り入れなければならない段階に来ているが、少ない時間でどこまで実現できるか。午後は各自提出の場面を一つずつ選んで読んでみる。決定までにはまだ相当時間がかかりそうだ。


5月24日(火) 研究生レッスン
今日は午後の部の臨時講師を務める。いつものようにフェルデンクライスのATMレッスンから始める。椅子に座って「時計の文字盤」を行う。身体感覚を豊かにすることが俳優訓練の第一歩なのだが、その意義を把握するまでには時間がかかる。まだみんな単なる肉体訓練と勘違いしているようだ。考える身体になるまでには、今までに慣れ親しんだ考え方、感じ方から自由になり、もう一度白紙の状態に戻って学び直すことが何よりの近道なのだが、多くはすでにある自分にしがみついて安住する。その方が楽だし安全だから、あえて危険を冒す冒険には乗り出さない。しかし、冒険のないところに創造はない。
場面集のための材料が40編近く集まった。これらをもとに内容を詳しく検討して取捨選択をし、構想を練り上げることになる。


5月15日(日) 日曜コース
先日の京都ワークショップ以来、ルーシー・アーロンのATMレッスンを集中的に勉強し直している。彼女が1979年にコロラド州ボールダーで行った長期間のワークショップの詳細な記録が残っている。10年以上前に、それを読んで丹念にメモをとったのだが、今改めて原文を読み直してみると、見落としていたものが沢山あることに気づく。彼女のレッスンの際だった繊細さと人に対する優しさは、モーシェにはあまりない要素だと思う。今日の講習会ではルーシーのレッスン・ノートを参考に、4種のレッスンを行った。
レッスンが終わってから4階の牛角で歓談小一時間、7時からは同じ建物の5階サロンで研究生の自主発表会「友達がきた」を観る。短い稽古期間のわりによくまとまっていた。


5月7日(土) 「春、忍び難きを」
いい舞台に仕上がっていた。本もよい。当初の台本のやや冗長な部分が刈り取られ、引き締まったものになっていた。昭和一桁生まれには身につまされる題材ではある。総体に若手たちの演技がよかった。ベテランたちも手堅く舞台を引き締めていた。ただ、高校卒業するまで農村で百姓仕事を手伝いながら育った身にとっては、都会人たちの演じる農村芝居だなという感慨は拭いきれなかった。第一、姿勢や身ごなし、歩き方一つとっても、当時の百姓のそれではない。百姓は常に大地を踏みしめながら歩く。だがしかし、それは無い物ねだりかもしれないが....。


4月27日(水) 研究所のレッスン
18期生、第4週目。まだ固さが抜けないようだ。そのくせ、若干緊張感がなくなってきたように感じられる。経験者が多いせいかも知れない。

4月25日(月) 福知山線の大事故
子供の頃、丹波の篠山で過ごし、大阪・京都へ出るには必ず使った路線。あののどかなローカル線でこんな大規模な事故が起こるとは。篠山口から大阪までの全駅名を空で覚え、数多いトンネルの在処も正確に記憶していた。あの無骨なD51に引っ張られる重々しい車列のイメージしか持ってなかったが、ペラペラのスチール板で作られたモダンでいかにもスピードが出そうで軽そうな車両は、その脆さを無惨にも露呈してしまったようだ。テレビを観ながら、スピードの出し過ぎが原因だろうと単純に考えていたけど、どうやら幾つかの要因が絡み合ってるらしい。いずれは事故要因は解明されるだとうとは思うが、こんな事故の犠牲になるとは、余りにも痛ましい。
先週の演出部会で決めた研究所講師会議が今日の夕方からだと言うことをうっかり失念していた。テレビに夢中で観入っているとき突如思い出し、慌てて泉岳寺へ出かける。2時間余り意見交換して今後の方向を探る。個々の可能性をいかに引き出し育てるかに焦点を合わす。


4月24日(日) 京都ワークショップ・二日目
気候は快適。今回はゆとりをもって準備ができたのでレッスンそのものも余裕をもって行うことができた。今日はルーシー・アーロンのレッスンを念頭に置いて展開した。午前に3種、午後は4種。午前中はやや疲労感を覚えたが、午後のレッスンを重ねるにつれ、次第に元気になった。終わったときは実にさわやかな気分になった。6時過ぎの「のぞみ」で帰京。また車中では殆ど眠っていた。次回No.30は10月8日・9日に決まる。年2回を重ねて遂に15周年を迎えた。もっぱら出口さんのお蔭である。多謝。


4月23日(土) 京都ワークショップNo.29
6時半に起きて7時過ぎに家を出る。昨夜、レッスン・プランを練っているうちに睡眠時間は3時間ほど。9時過ぎの新幹線に乗り、すぐに眠り込む。目が覚めると琵琶湖の辺りを走っていた。危うく乗り過ごすところであった。京都駅から地下鉄で板大路へ、そこからタクシーで仁和寺・御室会館へ向かう。12時半に到着。桜の季節、多数の観光客の姿。午後1時から5時まで、4種のレッスン。基本的なレッスンを4種。夕食後、恒例の懇親会で盛り上がる。


4月21日(木) 新国「コミュニケーションズ」
かなり迷ったが観に行くことにした。試みとしての意味はないとは言わないが、結論から言えば、わざわざお金を払って観に行くような舞台ではない。短いコントの連続で、演出面でいろいろ工夫が凝らされているのは分かるが、個々のコントはさほどデキはよくなくて、そういうのが続々と休憩なしで延々と続く。いろんな色があると言えばあるが、色が混じり合ってどれも灰色に見えてしまう。苦痛を感じる2時間半であった。


4月20日(水) 研究生1年のレッスン
18期3回目のレッスン日。花見大会の時は威勢のよさで先輩たちをたじたじとさせた1年生だが、教室ではまだ硬さが取れない。ゲームを多用して気分をほぐす。4時からは研2/3年の希望でフェルデンクライスのレッスンを一つ。6時から六本木で演出部会。その後、HUBで11時近くまで歓談。


4月16日(土) 朝日カルチャーセンター
レッスン内容は、座位で頸椎の解放と四つ足で腰椎の解放。ともに久しぶりに取り上げるレッスンで新鮮だった。これと声のレッスンを総合すればユニークなレッスンになると思う。


4月15日(金) 「乱暴と待機」(劇団本谷有希子)
昨年末の「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」が面白かったので急遽観に行く。新宿シアターモリエール。知名度が上がったせいか満員の盛況。前作に比べると、全てがこぢんまりと上手くまとまっているが、訴えるものが少ない。エネルギーも低調。既視感がつきまとう。


4月14日(木) マックの大掃除
久しぶりにノートンSystemWorksでMacの大掃除。いくつかのアプリが突如異常終了したり、おかしな動作をするようになってきたので、ディスクドクターとスマートディスクをかける。半年ぶりだったので断片化は相当なものだった。全部のディスクを処理するのに5時間近くかかる。


4月13日(水) 研究生のレッスン
予定通り8時20分のバスで勝田台駅へ向かうためバス停で待つが、時間になってもバスが来ない。1、2分の遅れはよくあることだが、待てど暮らせど来ない。10分以上遅れて次便の時間にも遅れてやっと来た。バス停には長蛇の列。乗り込むだけでも時間がかかる。渋滞で遅れて申し訳ないという運転手の言葉。こんな時間に一体どこで渋滞があるのか? 駅までの道で渋滞らしき気配は皆無。このバス路線(東洋バスという)は以前かなり露骨な間引き運転があったが、最近は鳴りを潜めていた。泉岳寺行きの電車は2本遅れになり10分ほど遅刻で稽古場へはいる。研究生たちには時間厳守を口をすっぱくして言い渡していた手前、これでは示しがつかない。
レッスンは午前中フェルデンクライスの体の動き、午後は呼吸と声の土台作りのためのレッスン。終わると2年生が何人か自主稽古に来ていたので、声のレッスンを小一時間。


4月11日(月)地震
午前7時過ぎ、前夜の夜更かしでまだ熟睡していたところを地震で起こされる。地震で目が覚めたのは初めての経験だ。あんなに揺れたのによく眠ってられたね、と言われてきたが、今回は違った。震度4というが、前触れの小刻みな揺れが次第に強まって、部屋の中の物が横滑りをはじめ、乱雑に積み重ねた書籍類が音を立てて崩れた。これはかなり大きいぞと感じたが、最初にやったのはテレビの電源を入れることだった。そのまま布団の中からテレビの画面を見ているうちに、大したことにはならないと分かり再び熟睡。10時に車検に出す車をディーラーが取りに来て起こされる。午前中はデスクに向かうが、昼過ぎに突如睡魔に襲われ2時間ほど昼寝。夜は企画会議のため劇団へ。会議の後は土風炉で中野誠也らと小一時間歓談して帰路につく。


4月10日(日)日曜コース
今月の日曜コース。焦点を胸郭に絞って4種のレッスン。胸郭には体内エネルギーの自然な流れを阻害する多様なブロックが存在する。きわめて厄介なテーマだと言える。来月も同じテーマを取り上げることになると思う。


4月8日(金)花見
5時から六本木三河台公園で恒例の俳優座花見大会。途中西船で23日の京都行きののぞみのチケットを購入。新学期のため定期券購入の長蛇の列。六本木へ着くとすでに宴もたけなわ、新・研究生たちが自己紹介をしていた。だいぶデキあがっていて随分威勢のよい声が響き渡っていた。後援会員の参加は例年に比べて多かったが、研究生主体で劇団員の参加は少なかった。


4月6日(水)最初のレッスン
7時起きで泉岳寺のTMAへ。新・研究生1年の初レッスン日。10時15分前に稽古場へ入る。まだみなの顔つきは固い。何から始めるか、しばし考えてからシアターゲームでスタートする。多少解れたところで体のレッスン・フェルデンクライスの基本レッスンの一つ。体験をシェアしながら進める。午後は毎年恒例の他者紹介。何となく今期の特徴が多少つかめた。最後に話しかけレッスンを3組やって時間切れ。その後、新・研究生2-3年の説明会。今期の概要を伝達する。
夜は7時から両国へ、シアターXで「母アンナ・フィアリングとその子供たち」を観る。「肝っ玉おっ母・・・」で知られたブレヒトの代表作。昨日の朝日夕刊の田之倉氏の劇評が効いたのか、補助席も出る盛況だった。演劇関係者の顔も数多く見かける。田之倉氏はちょっと褒めすぎだと思うが、随所に演出・美術の豊かなイメージを感じた。観客の想像力を信頼した抑制された表現には好感を持った。吉田日出子のアンナは、前半はやや物足りない側面もあったが、幕切れに向かって納得させられた。


4月5日(火)劇団総会
2ヶ月に1回の劇団総会。新入生、および昇格した研究生の紹介など、年度初めの恒例の行事。そのあと懸案事項についての報告やら討議。9時過ぎまでかかる。明日は新研究生のレッスンがあるので7時起きだ。道草は止めてまっすぐ帰宅する。


4月2日(土)入所式
11時から第18期新研究生の入所式。演技コース男女とも6名、それに演出コース男性1名、合計で13名。来週月曜から正規のカリキュラムが始まる。18年目がどういう年になるか。
終わってから講師陣の打合せ。3時頃から堀君にPowerPointでスライドの作り方を教える。英語などのセリフに合わせて日本語の字幕を出すのだと言う。かなりの枚数になるらしい。制作もさることながら、タイミングよく出すことの方が大変だと思う。夜は6時半から朝日カルチャーセンターでフェルデンクライス。4月期の第1回目。


4月1日(金)携帯電話
携帯が故障する。マイクの調子が悪いのか、相手の声はちゃんと聞こえるが、こちらの声が全く相手に聞こえない。マイク回路がおかしくなったのだと思う。六本木のdocomoShopへ持ち込むと、保証期間内だったので、正常なものと交換してくれた。初めは、この故障を機会に別の機種に替えようかとも考えたが、たかが携帯ごときに無駄金をかけることはないと考え直す。それにしても昨今の携帯電話の進化の度合いはすごいと思う。どんどん多機能・高機能になる。しかし、その機能の90%は全く使わないようなものだ。必要としない機能のために金を払っていると思うと、バカバカしくもなる。次の機会には、機能を必要最小限に絞ったものを選択したいと思う。
午後2時から劇団で、旧養成所と現研究所に関して、シアターガイドの取材を受ける。昔のことを思い出しながらしゃべっている内に、忘れていたことがいろいろよみがえってきた。


3月29日(火)面接
午後研究生2/3年生たちとの個別面談で昨夜の審査結果を伝える。家庭の事情などで辞退したものを除いて全員が昇級した。1年生を含めてこういう結果は開闢以来で、おめでたいかぎりではある。厳しく選別された過去のクラスと比べて、いささか優遇に過ぎると思われるかもしれないが、よほどの事がないかぎり残すべきだというのがぼくのポリシーだから満足ではある。それにしても、今まで可能性があるのに切られた人たちのことを思うと、複雑な気持ちにもなる。しかし、残ったからには、若者たちには精一杯頑張ってもらいたい。俳優座ルネッサンスの成否は若者たちの双肩にかかっているのだから。


3月28日(月)審査会議
午後6時から幹事会。研究生2/3年の審査をはじめ、議題山積で11時近くまでかかる。かなり消耗した。


3月27日(日)打ち上げ
研究生公演の打ち上げに出る。17年間同じことをやってきたが、毎年新鮮な気持ちでこの時を迎える。若者達の高揚した気分にあおられて、自分の原点を再確認させられる。終電ぎりぎりまでつき合ったが、さすがに2次会・3次会で朝までというのは、この年になると無理だ。「三文オペラ」の打ち上げはかなり後遺症が残った。


3月26日(土)修了公演
研究生2/3年の修了公演「三年G組」を観る。マチネとソワレ両方を観る。さすがに疲れた。舞台の出来はよかった。2年、3年と経つと、思わぬ可能性が見えてくるものがいる。今回の出演者たちは、ほとんど全員が劇団本公演を体験している。そのためか、みんな舞台でのある種のゆとりを感じられた。


3月25日(金)「終着駅アメリカ}
世田谷パブリックシアターでフランク・カストルプ演出「終着駅アメリカ」(フォルクスビューネ・ベルリン)初日を観る。テネシー・ウィリアムズの「欲望という名の電車」を過激なまでに解体して再構築した舞台。久しぶりにエキサイティングな観劇体験だった。娯楽指向の強い英米演劇のぬるま湯に比して、このハードな舞台は神経と意識を逆なでしてくれる。一言でいうと、きわめて消化しにくいのだ。食べやすいように調理された舞台は、観る人の精神を眠り込ませる。口当たりの悪い食べ物で観るものの精神を攪拌することこそが必要なのだ。


3月22日(火)俳優座サイトのメンテ
昨日とは打って変わって小雨交じりの肌寒い一日。家で雑事をこなす。俳優座サイトのメンテにかかる。立ち上げてから既に5年目になる。内容もさることながら、デザインはかなり古めかしい。かねてから一新したいと思ってながら時間がとれなかった。大改造はしばらく置くとして、玄関だけでも多少見栄えを変えてみた。これだけで半日以上かかる。


3月21日(月) 朝から明るい日差しに春の陽気。3日間寝かしていた原稿に手を入れてファクスで送信。久しぶりにゆったりした気分で一日を過ごす。


3月20日(日) 演出研究生の試験
応募者4名。筆記試験と面接。事前提出の小論文(5枚以上)と合わせて審査する。合格者1名。演出研究生の募集はここ何年も続けているが、余りにも基本的演劇知識の欠如している受験者が多いので驚く。


3月19日(土) 朝日カルチャーセンターで1日だけのフェルデンクライス体験入門コース。大門回りの京成=都営浅草線の空いた電車でのんびりと出かける。約1時間余の車中は、結構貴重な時間だ。新聞を読んだり音楽を聴いたり、居眠りして疲れをとったりと、行動を制限されてるだけに何かに集中するにはいい時間空間だ。そういえばフェルデンクライスの「心をひらく体のレッスン」の翻訳は殆ど往復の車内で、今は懐かしい富士通の日本語ワープロの名器 "OASYS FROM9" で仕上げたものだ。今でこそ車内でノートパソコンを広げるのは珍しくない光景だが、当時そんなことをするやつは、どこから来た異星人だという目で見られたものだ。それは1980年代のことだった。


3月18日(金) 昼過ぎに起きて雑事をいくつか。4時頃に出て久しぶりに六本木へ。6時半から演出部会。12月以来だから3ヶ月ぶりということになる。欠席者が多く報告事項だけで、大した議論もなく散会。こんなことではダメだと思う。何とかしなくてはいかん。


3月17日(木) 家にいると普段気にかけない事や物が気になってくる。そしていつの間にか大掃除まがいのことをやり始めている。不要なものがあちこちに散らばっている事に気づく。捨てるものを選別しはじめるとキリがない。結局昼近くに起きて夕方まで書類の整理に忙殺される。原稿に取りかかったのは夕食後。50年近く前のことなので、いろいろ調べなければならない。明け方までかかってやっと6枚近く書く。読み返してみたが全然気に入らない。明日一晩寝かしてから手を入れることにする。


3月16日(水) 今週はまだ一度も電車に乗ってない。たまに近所をうろうろする程度で、殆ど家に閉じこもっている。出かける予定は金曜までなし。家にいて暇なわけではないが、何となく脳みそがふやけてしまったような気がしないでもない。
今週締切の原稿があるが、まだ頭の中で想念をひねくり回してるだけ。「テアトロ」の戦後60周年記念特集で「忘れられない芝居」というのがテーマ。昭和9年生まれ達が筆者だという。何か懐メロ特集のようになるのではないかと思うとぞっとしないが、そんなことを思っているとますます気分が落ち込んでゆく。明日あたり、思い切って書き始めるしかない。


3月14日(月) ホリエモンとフジテレビの対決はなかなかに面白い。巨大メディアに挑む新興メディアの荒馬という図式は見せ物としては近来のヒット作だ。少なくともプロ野球のオープン戦よりははるかに面白い。心情的にはホリエモンを応援しているのだが、彼の哲学(つまり処世術だが)は好きくない。それはそれとして、どの分野でもそうだが、若さのエネルギーは、出る杭は打たれるの譬えの通り必ず叩かれる。それに負けないものだけが次の時代をつくる。


3月13日(日) 今月の日曜コース。骨盤の動きと頭部の関係に焦点をあてて4種のレッスン。左右の脚のディファレンシエーションと胸郭・頸部の解放が前提となる動きだが、最初は殆どの人がとまどいを見せる。幾つかのアプローチを試みて、徐々にテーマに近づく。終わって恒例の牛角で歓談。


3月12日(土) 仕舞いかけていた冬物を慌てて取り出す。世界各地の異常気象がいずれは日本を襲うのではないかと不安にかられる。割合早く目が覚めてしまうのだが、疲れがまだ取れてないようだ。働くことが余り好きではないこの身にとって、一昨年来の連戦にはかなり消耗した。もちろん達成感がないわけではないし、今後の仕事にとって貴重な体験でもあった。
一日部屋の整理にかかり、息抜きにパソコンでゲーム、ビリヤードにはまっている。


3月11日(金) 先週土曜の夜から昨日まで、劇団の新人募集のため都内のホテルに5泊6日。パソコンでのデータ処理から審査まで、毎年同じことをくり返して18年目を迎えた。とりあえず、この6日間の日録を書いておく。

5日(土曜日)は車に荷物を積み込んで泉岳寺・TMAへ向かう。翌日の準備を終えてから、夜は朝日カルチャーセンターで「目のレッスン」の最終回。そのあと泉岳寺のホテルへ戻る。

6日(日)はTMAで第1次試験。8時過ぎから受付と審査の準備。試験は5つの試験室で10時スタート、午後4時前後に終わり、それから審査会議。合格者の名前が出そろったところで、翌日の合格発表と第2次試験のための準備作業。全員昇格した新2年生(17期生)たちが例年通り試験の主要スタッフを務めている。

7日(月)12時から合格発表。13時から合格者へ第2次試験の説明会。試験室には入らないことにしているので、合格者たちと初めての対面となる。その後、荷物などをまとめて六本木の劇団稽古場へ移動。2時試験会場の設営と書類などの準備。

8日(火)10時から第2次の初日でうたとダンスの試験。

9日(水)昨日と同じく10時から第2次の二日目、動作・セリフ・面接。7時半から審査会議。合格者男女7名ずつ計14名を選出。

10日(木)12時から発表して13時から合格者たちに対する説明会。昨年とはまたずいぶん違った印象を受ける。実際にレッスンを始めてみないと、実際にどうかは分からないが。新年度のカリキュラムなどの打合せ。帰宅は夕方のラッシュにぶつかり8時過ぎになった。さすがにどっと疲れが出て、溜まった1週間分の新聞を読みながら襲ってくる眠気に勝てなかった。

そして今日、11日、7時前に目が覚める。早起きの習性がまだ続いている。昨日からまたぐっと冷え込む。雨も降る。


3月4日(金) 雪が降るぞと脅かされていたが、さほどではなかった。午後にはみぞれから雨に変わる。今朝方までかかって作成した確定申告書類を午後3時頃市役所まで出しにゆく。いつもぎりぎりになるので、締切間際の混雑しか知らなかったが、雪のせいか、閑散として係員以外は誰もいなかった。今年は確定申告用のソフトというのを使ってみた。若干の時間短縮と仕上がりがきれいだという程度。


3月2日(水) 新人募集の試験が迫ってきた。久しぶりの休みだが、確定申告の書類作りと試験関係の準備に追われる。3月一杯は雑事に追われる毎日となる。
ばたばたしているうちに、プロ野球はすでにオープン戦。改革元年だそうで楽天がやけに話題を賑わわしている。やはり今年も巨人ファンを止めずにいようと思う。


3月1日(火) 研究生1年の面接を午後1時から。今年は全員2年生に昇格することになった。甲乙つけがたいのでもう1年の成果を見ようということになった。俳優教育というのは、本来は最低でも3年制であるべきだというのが我が持論であるが、現状でそれが出来るのは国立劇場ぐらいしかない。かつての俳優座養成所は3年制であった。その中でゆとりをもって階段を一歩一歩上がることができた。現在は一応3年間の研究生期間をとっているが、2年目・3年目は1年目ほど充実したカリキュラムを組めないのが悩みの種である。2回の発表会と、歌・ダンス・マイムの日常レッスンだけになる。それにしても、他劇団の研究所に比べれば、はるかに充実した研究生期間を送れる環境ではあるのだが。


2月28日(月) 昼近くまでぐっすり。緊張感から解放され、少しタガがゆるんできたのかもしれない。午後は試験に向かっての作業と、確定申告の準備。6時から劇団で研究生1年の昇級審査のための幹事会。結論にたどり着くまで2時間以上かかる。明日はその結果を踏まえて各人との面接だ。


2月27日(日) 今年最初の日曜コース。1月は「三文オペラ」のラストスパートで精一杯だったので取りやめ。一ヶ月休んだだけだが、久しぶりの感じがする。参加者の数を危惧してたが、馴染みの顔ぶれを含めて10名を超える人数になった。寒さに負けないようにと、ややハードなメニューを用意した。終わって4階の牛角で2時間ほど歓談。「三文オペラ」の感想なども出て盛り上がる。8時にお開きにして六本木へ。研究生の打ち上げは7時前に始まったらしいが、1時間に以上遅れて駆けつけ10時過ぎまで。明日は昇級審査だ。若者たちの高ぶった気持ちが痛いほど身にしみる。終電で帰宅。


2月25日(金) 研究生1年の修了公演を観るため午後から劇団へ出かける。チャールズ・ディケンズの「デヴィッド・コッパフィールド」の脚色もの。あの膨大な自伝作品を一晩ものに仕上げた40以上の短い場面の連鎖からなる作品を11名の研究生が演じる。殆どが何役も演じる。難しい作品だが、みんな懸命にやっている姿はすがすがしい。一年間それぞれに貴重なものを得たのではないだろうか。


2月23日(水) 4月上旬並の暖かさ。都立保健科学大学で理学療法士の人たちを対象にフェルデンクライス・メソッドの講習会。若干の説明と基本レッスンを2種。参加者は二十数名。4時から6時まで。終わって教室で1時間近く歓談。


2月21日(月) マチネで千秋楽。昨年6月頃から取りかかった仕事がようやく幕をおろしたわけだ。準備期間が長かっただけに、上演期間は余計に短く感じた。ほぼ全ステージを観て、稽古では気づかなかったことを発見もし、いろいろと考えさせられるところはある。
終演後、ロビーに全員集まって乾杯し、近くで打ち上げ、店を代えて二次会。さらにカラオケで3次会、何年ぶりかで朝まで若者たちにつき合う。


2月20日(日) 今日も補助席が出る満席状態。舞台も快調、カーテンコールは昨日以上のかけ声。終演後はタカシマヤ13Fのレストランで山田太一氏夫妻と歓談。ひとしきり「三文オペラ」の話で盛り上がる。楽しんでいただけたようだ。帰りに久しぶりにヨドバシカメラに寄る。明日は千秋楽。


2月19日(土) このところ連日満員御礼が続く。舞台の方も上昇気流にのって快調に展開している。途中の反応もよく、カーテンコールではブラボーのかけ声。マチネのみ観て、夜は朝日カルチャーセンターで「目のレッスン」の三回目。目がリードする動きと視野を広げるレッスンを行う。終演時間には間に合ったが、劇場には寄らずに帰路につく。「三文オペラ」はあと2日で終わる。


2月18日(金) 舞台は夜だけ、久しぶりにゆっくり寝た。多少元気になった。上演期間も終盤に差しかかって、上り調子。客席の反応も上々、カーテンコールではあちこちからブラボーのかけ声。だが、舞台は調子に乗りすぎてる個所もなくはない。少しコントロールする必要があるようだ。
終演後は京都からはるばるみえた出口さんたちと食事をしながら11時近くまで歓談。


2月17日(水) マチネのあと夜は劇団総会。21時近くまでかかる。


2月16日(水) 休演日。久しぶりにぐっすり寝るつもりだったが、習慣で8時過ぎには目が覚める。午前中からデスクに向かい滞っていた事務処理などをあらかた片づける。ごった返している仕事部屋の整理は、舞台が終わってからにまわすことにする。夜6時からの幹事会のため気が進まないが4時頃に家を出る。


2月15日(火) 昼夜2回公演。マチネのあと中本氏と岡田氏とタカシマヤの13Fのピザハウスで歓談。夜の部も全幕観る。


2月14日(月) 夜一回の公演。終演後、観に来てくれた古くからの友人たちと歓談。初演の思い出などで話に花が咲く。心温まるひとときであった。話していて心が豊かになると、生きていてよかったと思うが、話せば話すほど、気持ちがぎくしゃくして、心が貧しくなる場合もある。


2月13日(日) 毎日客席で観ているだけだが緊張感から解放されない。それでも、三日連続のマチネが終わり、少し気持ちに余裕ができる。終演後は岐阜の今西さんらと歓談。


2月12日(土) 三日目を迎え舞台は安定してきた。悪いことではないが、安定しきらないで、温度がもう一段上がるといいのだが。本番前に、テクニカル部分に微調整の注文を出す。補助席も出て満席。終演後、江原さん、音楽監督の後藤さん、西木さん、制作の武田さんらと歓談。


2月11日(金) 10時半に出て東西線とJRを乗り継いで新宿へ。タカシマヤの7階パパスカフェでサンドイッチをとって腹ごしらえ。初日のダメ書きを整理して劇場入り。二日目の今日はマチネのみ。客席は補助席が出た。昨日よりも解れてはきたが、ダイナミズムがやや低調。二日目のジンクスか。終演後は、久しぶりにかつての「世界演劇の会」のメンバーがそろったので、タカシマヤ12Fでかなり長時間歓談。みな1930年代生まれ。みんな43年前の初演を観ているので、いろいろ話題が多岐にわたり、盛り上がった。


2月10日(木) 初日。午後1時から最後の通し稽古。力が抜けてある意味よかった。しかし、本番となると、どうしても力が入り、緊張から固くなるのは避けがたい。6時半からの初日本番は多少固かったが、意図するところは外れてなかったと思う。終演後、今日の舞台を観た中野誠也らと小一時間代々木のPRONTOで歓談。


2月9日(水) いよいよ初日が明日に迫った。今日は12時から昨日の残りの場面、最後の2場面のテクニカル・リハーサル。カーテンコールを大幅に修正。そして、17時から通し稽古。まだ、全害の流れがギクシャクしている。劇場での初めての通しだから無理もないが・・・。それにしても、歌、演奏、照明、スライド、振付などが入り乱れた舞台だから、通常の芝居よりも何倍も手間がかかる。通し稽古1回で初日を開けるわけにはいかない。メインキャストの何人かはかなり疲れているようだが、明日の昼間、2回目にして最後の通し稽古をする。


2月8日(火) 朝から照明合わせ。午後3時から場面毎のテクニカル・リハーサル。音楽と照明とスライドとミザンセーヌをチェックしながら進める。歌と伴奏のバランスは結構デリケートな問題だ。照明器具の数が壮観。文字を使わないことにしたから、舞台の上空にぎっしり。
最後の2場面を明日に残して時間切れ。とはいえ、順調な進行と言える。


2月7日(月) 先週は最後のスパートで日録を書く余裕がなかった。昨日最後の稽古場での稽古を打ち上げ、今日は、サザン・シアターで仕込みの一日。12時前に駆けつけたが、午前7時から搬入した道具が立ち上がりかけていた。夕方から照明のシューティングも始まり、舞台のイメージが徐々に出来上がってくる。鉄骨だけで組んだ装置は、照明が入って豊かなイメージを語りかける。明日のテクリハがますます楽しみになってきた。


2月3日(木)今週は毎日通し稽古。稽古場での稽古はあと3日となる。日曜が最後で月曜がサザンで仕込み。二ヶ月の稽古期間だが、あっという間に終盤に差しかかってしまった。できる限りシンプルに作品の構造をストレートに提示することを目指した。試行錯誤の末、何とか当初の目標に近づくことができそうだが、


1月31日(月)稽古場での最後の1週間が始まる。この1週間の方向性を定め、まず第1幕を通す。何カ所かチェックポイントを再確認する。第2幕は時々返しながら最後まで。休み明けにしてはリズムが悪くない。ダメ出しをして5時半には稽古を終わる。スライドの出し方の打合せをし、正直屋で夕食をとってから帰路につく。寒波が来ているらしく冷え込みがきつい。


1月30日(日)稽古休み。上演時間を少し縮めなくてはならないので、台本の最終チェック。大幅なカットはもう不可能。小間切れに間引き、スピードアップすることで切り抜けるしかない。午前と午後、2回全体を読み直して手を入れる。多分時間はクリアできているはずだ。寝る前にシコ・ブアルキのミュージカル映画「三文オペラ・リオ1941」を観る。10年ほど前に一度観たきりだった。


1月29日(土)11時からの音楽合わせが15時過ぎまでかかる。それから通し稽古。照明の森脇氏と音響の小山田氏と打合せしながら。稽古は6時頃までかかるが、助手の眞鍋君に任せて一足先に稽古場を退出、朝日カルチャーセンターへ向かう。こちらは目のレッスンの2日目。頭の動きと目の動きを区別するレッスンを2種。


1月28日(金)歌と振付のチェックをしながら、各場を幕順に最後まで。カーテンコールも大まかに決める。まだ、テンポ・リズムがよくない。もっとダイナミックなスピード感がほしい。6時過ぎに終わり、HUBでビールを一杯引っかけただけで帰路につく。疲れがピークに。早く寝るに限る。


1月27日(木)1時から、初めての通し稽古。初めてにしては上出来かも。ダメ出しをして5時過ぎ。それから企画会議と幹事会で9時半頃まで。土風炉でさらに歓談して11時過ぎに引き上げる。やや疲労感が堆積する。


1月26日(水)第2場の小道具を追加し、ベッドを出すことにする。また、第5場のミザンセーヌを若干変更する。大きな変更点は以上だが、細部で詰めの甘かった個所をいくつか修正しながら、全場面を幕順に最後まで。まだチェックポイントが残っている。


1月25日(火)ようやく全員そろって頭からの稽古。歌・振付をチェックしながら幕順に流れを見ながら返しつつ進行する。解決すべき個所がいくつかある。稽古後、主演者たち何人かと話し合い方向性を確認する。


1月24日(月)今週からようやく幕順に進行できるようになった。舞台転換、スライド、照明など全体の構成には何とか目処が立った。前半はまだ流れができていないが、後半は何とか形が見えてきた。各人物の関係性をさらに際だたせる必要があるだろう。リズム・テンポ、色合いの変化などを重視して、強弱緩急のメリハリをつけるのがこれからの課題。


1月23日(日) 一通り台本を読み直して、チェックポイントを確認する。永らく封印していたゴーランの映画「マック・ザ・ナイフ」を観る。これはやはりとんでもない代物だと再認識する。


1月22日(土) この三日間ほど、風邪がまたぶり返してダウン寸前だった。午前中に稲見内科に行く。5日分の薬を処方してもらう。午後はスライド原稿の作成。夜は早めに就寝。


1月21日(金) 全場面をやる予定だったが、振付部分のチェックをしながらなので時間切れで2場と9場は出来なかった。歌唱指導の山口さん、殺陣の太賀さんのお蔭でさらに引き締まった舞台になってきた。


1月20日(木) 風邪でダウンが増えた。かなり疲労が重なっているのか、稽古場では風邪気味が増えた。土曜日曜を連休にすることに決める。歌稽古のあと、いくつかの場面稽古。


1月19日(水) 2時から稽古。風邪で二人ダウン。代役を立てて乞食商会、馬小屋、牢獄、第3フィナーレ、プロローグなど昨日出来なかった場面のみ。


1月18日(火)  山口正義氏の歌唱指導を3時まで。そのあと半数ほどの場面を稽古。終わって渋谷まで衣裳の買い出しにつき合う。


1月17日(月) 歌稽古のあと、衣裳合わせで終わる。


1月16日(日) 新国立劇場で「城」を観る。集団創作的方法を採って、大作に挑戦。前作「アメリカ」に比べ静かな表現。3時間45分、さほど長くは感じなかった。


1月15日(土) 冷たい雨がふる一日。昨日できなかった場面の稽古。5時半に稽古場を出て新宿へ。目のレッスンの初日。今回は4回のスケジュール。


1月14日(金) 歌稽古のあと、全体の3分の2ほどの場面をやる。振付に時間を割く。少しずつディテールが明確になってきた。
稽古後、企画委員会。そのあと、中野誠也と土風炉で歓談。研究所のことなどをめぐって話し合う。
0時近くに帰宅。明日から朝日カルチャーセンターのフェルデンクライス講座が始まる。テーマは「体の動きと目のレッスン」。一通り2時間分のレッスンの流れを考える。三文の稽古場を少し早めに離れることになる。


1月13日(木)  歌稽古と振付のみで6時まで。稽古後、衣裳の打合せ。歌に振付が加わり、徐々に肉付けが出来てきた。稽古がさらに楽しくなった。


1月12日(水) 俳優座創立60周年の記念パーティーのため稽古は休みにする。時間が出来たので出がけに近所の行き付けの医院に寄る。茶目っ気のある医者で、肺ガンの心配もあるからレントゲンを撮りましょうと言われる。結果はシロだったが、もしクロだったらその場で宣告するつもりだったのだろうか。写真を一緒に見せて、奇麗な肺だよと言われた。5日分の薬をもらう。
パーティー会場は椿山荘。予想以上の盛会だった。総勢550人以上か。劇団員もこれだけ集まったのは久しぶりといえる。懐かしいひとにも何人か会った。
「三文オペラ」は昨日一通りやってみて懸念は消えた。あとはどこまでやるかだ。


1月11日(火) 何とか最後までたどり着く。プロローグをはじめ、何カ所かの振付が始まって、ようやく稽古が本格的になった気がする。次は小道具と衣裳、そして照明。そして何よりも音楽だ。スライド作成の準備にもかからねば。


1月10日(月) 稽古場に本番用の鉄骨セットを入れる。12時から搬入し夕方には出来上がる。意外に華奢で軽い印象。歌稽古を第2稽古場で1時から5時過ぎまで。ソロとデュエットのみ。明日は頭から一通りやってみて様子をみる予定だが、果たして最後までたどり着けるかどうか。風邪は悪化の兆し。


1月9日(日) 稽古休みで緊張感が途切れたせいか、気力で押さえ込んでいた風邪が出てきたみたいで、喉が痛み咳が出て熱もある。今夜は卵酒でも飲んで早めに寝るに限る。今日の予定のうち、スライド原稿作成までは行かなかった。


1月8日(土) 今日は前半の部分。この4日間で全体を2回やったことになる。細部にわたってはまだ見過ごしている個所があちこちにある。来週からは道具が立ち上がるので、いよいよ時間との競争になるわけだ。


1月7日(金) 昨日と同じメニューで後半の歌と場面稽古で最後まで。芝居の方はだいぶ目処は立ってきた。音楽についてはまだまとまりがついていない。基本的なコンセプトについて、後藤さんと突っ込んで話し合ってみる必要があるようだ。


1月6日(木) 第5場からラストまでの後半の稽古。1時からまず歌の稽古、3時過ぎから各場を。稽古後、江原さんの司会で可知、武正、森尾、安井でパンフ用の座談会。終わって11時頃まで土風炉で歓談。


1月5日(水) 初稽古。2時から前半のみ。最初に歌部分をやってから、第4場まで各場を返しながら、7時ぎりぎりまでかかる。明日から1時スタートに変更する。終わってから打合せ、そして雑事を少々。小一時間HUBで10人ほどで歓談。9時に引き上げる。各人物の掘り下げ方がまだ不足している。持ち味に任せておくのでなく、作り上げて行く方向を指示することが必要な段階に来ている。


1月4日(火) 気持ち悪いぐらい暖かい。昨日初日を開けた「次郎長が行く」を観る。12時開演で3時には終わる。まっすぐ帰宅して明日からの稽古再開に備える。


1月3日(月) 年賀状の返事書き、サイトの更新作業など。積んでおいたビデオからいくつか選んで観て過ごす。「キャバレー」とチャップリンの短編など。


1月2日(日) 予報とは打って変わって、さわやかな晴天が続く。正午まで布団の中。正月といえども、やり出すといろいろ雑事があるものだ。昨夜もつい夜更かししてしまう。午後、近所のスーパーへ買い物に行ったが、駐車場は満車で車は長蛇の列。諦めて少し遠方の店まで出かける。年賀状の返信など。


1月1日(土)

フェルデンクライス研究会員のみなさん
それからこの日録を読んで下さってる多くのみなさん
あけましておめでとうございます!
本年も宜しくお願い申し上げます

新年ということでちょっと気取って機関誌にこんな文を書いてみました。


「個人と社会をつなぐ身体」

フェルデンクライス研究会が産声を上げたのは今から20年前の1985年4月で、このメソッドに興味をもつ有志の人たちを募ってレッスンを体験・研究する集まりを細々と不定期に始めたのでした。以来、フェルデンクライス・メソッドに対する関心は徐々に高まり、今や指導者の養成講座も開かれるようになりました。記念すべき20周年を迎えるにあたり過ぎ来し方を振り返ると、確かに長い道のりではありましたが、実感としてはあっという間に年月が過ぎてしまったという想いです。

私がフェルデンクライス・メソッドへの関心を深めていたころ「身体からの革命」という命題が周りで声高に語られ始めました。70年代に味わった社会革命への挫折感が個人の内部へ向かったとき、そこに強固に立ちはだかっていたのが「身体」という壁だったのです。

個人が変わらなければ社会は変わらないというのは確かに正論です。しかし、個人が変われば社会も変わるのか、と問い直すと、答えはさほど単純でないことが分かります。逆に個人が変わらないのに社会が変わることがあるから世界は恐ろしいのではないでしょうか。この1年を振り返ってみても、世界はよくなったとは決して言えないと思います。むしろ破局に向かって突き進んでいる感すらあります。

フェルデンクライス・メソッドに身体の健康法を求め、個人的幸福を追求することも、それはそれなりに有益なことだと思いますが、このメソッドの標語「学び方を学ぶ」という言葉には、自己発見を通して行動様式を変革するという命題が含まれていると、私は頑なに信じています。フェルデンクライス・メソッドには、そのような形で個人と社会をつなぐ回路が内在していると考えているわけです。その可能性に賭ける営為がたとえバベルの塔だとしても、破滅を避けるにはその方向しかないように思います。(2005年元旦 機関誌AWARENESSに掲載)





















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