日 録 2004年7月〜12月

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12月31日(金)
大晦日となると、何となく気ぜわしく、普段は気にもしない掃除やまとめ買いをしなくてはいけないような精神状態になるから不思議なものだ。しかし、現実は区切りのない時間がだらだらと流れていつの間にかカレンダーが新年に変わっている。次の1年がどんな年になるか。
機関誌の発送は何とか滑り込みセーフ。7時過ぎに郵便局に駆け込む。


12月30日(木)
研究会機関誌AWARENESSの編集にかかる。年内に発行するつもりだったが挫折、1月2日発行に変更。このところ体調不良がつづく。無理が重なったので年末年始はのんびりできるといいが、そうも行きそうにない。


12月29日(水)
約1ヶ月の稽古はあっという間に過ぎてしまった感じがする。20名を超える芝居を演出するのは初めてだが、ベテランというか、養成所世代をこれだけ多くキャストに加えるのも初めてだ。ベテラン・中堅・若者という三つの世代間で、稽古でのアプローチの仕方が随分違うことに改めて強く気づいた。確かに昔は、形を決めることが稽古の主眼であったとも言える。それが悪いというわけではない。形を決めてから魂を入れる方法も有効なアプローチだが、得てして魂が入らないままに終わった例を過去沢山見てきた。それだけは避けるようにしなければならない。形は決めるものではなく、見つけるものだ。


12月28日(火)
第6場からラストまで。最後に馬小屋の結婚式の場を一通り。5時過ぎから稽古納めの宴会を稽古場で。7時頃、一足先に出て六本木の衣裳部へ。若生さんとプランの基本線を2時間ほどかけて相談する。デザインは1920年代に想定する。


12月27日(月)
懸案であったモリタートの歌い手を決める。音楽監督後藤氏立ち会いの下に1時から全体を一通りやる。いくつかの場面で停滞したが、なんとか最後まで行った感じ。それで、現時点での最大の問題は、悪の匂いが希薄なことだ。個々の人物像が単純すぎると言うべきか、善人すぎると言うべきか。もっともっとクールでシャープなものがほしい。しかし、単に悪ぶっただけの演技は排除しなければならない。確かに言うは易しだが・・・。


12月26日(日)
今日が稽古休みだと思うと、昨夜はつい夜更かしをしてしまう。俳優座サイトの更新に手を付けようとしたが、時間と忍耐が切れて中途半端なまま朝刊に目を通してから寝る羽目になった。それでも午前中には目覚めてデスクに向かう。夜は気分転換をかねて「シカゴ」のDVDを観る。


12月25日(土)
1場から5場まで、前半部分のディテールをチェック。音楽監督の後藤さんと一通り打合せをする。終わって下のカフェで小一時間雑談。さすがに連日の酒場での歓談はこたえる。2Fに笑笑が、向かいに楽市があるという地の利がいけない。早めに退散する。


12月24日(金)
振付の西田さんを迎えて、全体を通す。ソングの部分を中心に、動きの打合せをしながら進行。早く終わったので、ソロを中心にソングのレッスン。終わって11時近くまで近所の店で飲みながら歓談。


12月23日(木)
稽古は、プロローグ、第2フィナーレ、および最後の独房の場から第3フィナーレまで。少し時間が余ったので馬小屋の結婚式の場。議論しながらも徐々にデッサンが出来上がってきた段階。議論は手間がかかるが、そこから出てくる自発性は貴重だ。稽古後、2階の「笑笑」で小里清氏と新作についての打合せ。帰宅は遅くなる。雑誌「ドミンゴ」(技術評論社)の創刊号が届いた。1ヶ月ほど前に取材を受けたのだが、4頁にわたってフェルデンクライス・メソッドについての解説とイラスト入りのレッスン紹介が掲載されている。


12月22日(水)
今日の場面稽古は乞食衣装店の場面、および淫売宿の場、最初の監獄の場。これでだいぶ各場のダイナミズムが見えてきた。


12月21日(火)
馬小屋の場を中心に場面稽古。ディテールを検討する。これからの3日間で一通りできればいい。金曜には通す予定。稽古は5時にとり、6時から六本木で年末の劇団総会。終わって全員ビールで乾杯。


12月20日(月)
全幕を通す。とりあえず時間内に最後までたどり着いたというだけ。今回の空間設定を活かすには、まだいくつかのアイデアが必要だ。


12月19日(日)
六本木で、島さんと装置の打合せ。鉄骨で組み上げ、階段部分を動かすことで各場の空間を構成することになるので、基本舞台だけでも年内に発注し、1月10日過ぎには稽古場で使えるようにしなければならない。何とか基本は決まった。


12月18日(土)
稽古は休みだが、夜は今年最後の朝日カルチャーセンター。フェルデンクライス入門一日体験コース。20人近い参加者を迎え、基本的なレッスンを2種取り上げる。


12月17日(金)
予定通り残りの場面の荒立ち。第2フィナーレと9の独房の場から第3フィナーレまで。27名全員の場面。限られた空間での稽古だが、何とか見当はついた。最後に2時間ほどソロを中心に歌稽古。隣の小部屋では、昨日の宴会の残り物で盛り上がっていたが、劇団での会議のため六本木へ駆けつける。年末の最後の幹事会で懸案事項山積、10時過ぎまでかかる。そのあと、演出部の若手との相談事もあり、帰りは終電になる。金曜の夜、車内は酔客ですし詰め状態。師走だな。


12月16日(木)
シーンナンバー2,4,6,9(馬小屋と監獄の場)の荒立ち。特に馬小屋の結婚式の場はなかなかの難物だ。稽古後は三文組第1回の懇親会を盛大に行う。飲み物も料理も大量に残ったようだ。体調が思わしくないので一足先に、10時前に引き上げる。メールの返信、サイトのメンテ、郵便物の処理をやってると、あっという間に時間が経つ。


12月15日(水)
シーンナンバー1,3,5,7(ピーチャム商会の場と淫売宿の場)の荒立ち。全体の約3分の1。今日からの3日間で一通りやる予定。稽古後、六本木で企画会議。終バスには間に合う。やや疲れが溜まっている。腰に来そうでちょっとやばい。風呂で暖まった後、少し時間をかけてATMの動きで体をほぐす。


12月14日(火)
年末恒例の義士祭りで稽古は休み、若者達は行列に参加。10時頃に目覚める。どこにも出かけずに、明日からの立ち稽古の準備。写実的要素を可能な限り排し、芝居の骨格が鮮明に見える表現を目指す。


12月13日(月)
休み明けの今日はピアニストの川上さんを迎えて、最初に三つのフィナーレ部分を全員で稽古したあと、全幕を歌入りで読む。音楽の問題点をチェック。


12月11日(土)
全体を歌入りで最後まで詠む。その後、歌だけの抜き稽古。一応当初のプラン通り進行はしている。来週からの年内の稽古でどこまで行くか、それが問題だが。6時半に稽古を終わり笑笑で何人かで歓談。この芝居についてはしゃべり出したらみなキリがなくなる。それだけ入れ込むだけのものをこの作品が持っているということでもあるだろう。


12月9日(木)
稽古は最初に全員でモリタートの練習をしてから、歌入りで全幕を読む。やはり歌を入れると俄然生き生きと芝居が弾む。歌の仕上げもまだこれからだが、やはり「三文オペラ」は音楽劇だと改めて実感する。タイムも取ってみたが、だいたい当初の計算通りに行きそうだ。稽古後は劇団で演出部会。さらにHUBでの歓談が終電ぎりぎりまでになる。夜の冷え込みが日に日にきつくなる。冬近し。


12月8日(水)
朝は目覚ましの厄介にならずに起床する。このところずっとそうだ。体内時計が出来上がったのであろう。今日は読みを先にして、残った時間で歌稽古。やや歌の調子はだいぶ上がってきた。最初の1週間の段階としては、稽古は順調に立ち上がったと言っていいであろう。今日は稽古後の歓談はほどほどに引き上げる。


12月7日(火)
昨日の疲れが取れず。今週は、場面の読みと歌稽古を組み合わせた方式をとる。終わって1階のカフェでひと休みのつもりが、つい議論が高じて長居する。帰宅して雑事をこなしているうちに、午前3時近くともなると頭が朦朧としてくる。


12月6日(月)
午前中に島さんと美術の打合せ。大枠は決まる。1時から歌稽古、3時から5時半まで抜き稽古。そのあと、10時半からの音楽打合せのために待機。後藤氏との打合せは約1時間。終電で帰宅。


12月5日(日)
今年最後のフェルデンクライス日曜コースを泉岳寺で。前夜やはり朝刊を読んでから布団に入ったのだが、外は風の音がすごく、雨も強く降ってるらしくやけに騒々しく、しばらく寝付けなかった。今朝、外へ出ると、団地内の地面は枯葉やゴミが散乱し、駐車場の車の屋根やボンネット、フロントガラスにもべったり湿り気を帯びて張り付き、7階のエレベータホールにまで、枯葉とゴミ類の吹きだまりができていた。かなり異様な光景だった。
眠気でぼやけた頭を使って、1時間ほどの車中でレッスン・プランを立てる。内容は昨日の骨盤時計をターゲットに、前半ではそれへのアプローチのため、上半身、つまり腹部、腰部、胸郭、肩帯、頸部の解放を取り上げる。終了後は恒例の牛角での歓談約2時間。


12月4日(土)
前夜はかなり遅くまで音楽も含めて台本チェック。朝刊を読んでから寝たので、今朝は9時頃に起きたが頭の働きが鈍い。いくつか電話とメールを片づけてから、前夜につづき台本チェックにかかる。それから今日と明日のフェルデンクライスの準備。あっという間に出かける時間ぎりぎりになり、慌てて飛び出し朝日カルチャーセンターへ。時計の文字盤のレッスンを2部に分けてやる。このレッスンを取り上げるのは実に久しぶりの気がする。今年の朝日のレギュラーコースは今日で終わり、あと1回18日の体験コースを残すのみ。


12月3日(金)
稽古3日目。最初にコーラス部分のある第2、および第3フィナーレの歌稽古。3時までかけて取りあえず歌えるところまで。これで全曲一応稽古ができたことになる。3時過ぎからセリフ部分のみ、頭から最後まで一通りやる。来週からは抜き稽古中心になる。稽古後は笑笑の3階で10時過ぎまで、数名の飲んべえたちと真面目な話で盛り上がる。


12月2日(木)
稽古2日目。昨日感じたことを最初に指摘してから読みにかかる。1時から5時までかかって一通りやる。ま、全てはこれからの2ヶ月を如何に充実させるかだ。結果を急がないことと自戒する。稽古後、演出協力の可知靖之と共に第2・第3フィナーレの歌詞をチェック。何とか仕上げて1Fのカフェで歓談中の青山、鶉野に合流する。それほど遅くならないうちに引き上げる。


12月1日(水)
前日の余波で寝る時間が遅くなり、睡眠不足のまま10時過ぎに家を出る。「三文オペラ」の稽古初日。一通り全幕を読む。振付の西田さんも見えた。まだ演技の質はバラバラで、これを1本の作品にまとめ上げるには時間と手間がかかりそうだ。傾向として演技過剰、感情同化のしすぎがある。もっとニュートラルに、みんな自分のイメージをリセットする必要がある。


11月30日(火)
6時半からの企画委のために劇団へ。会議そのものは2時間余りだが、往復3時間以上の移動時間と運賃は馬鹿にならない。その時間を有効に使えば、本一冊読めるぐらいだが、大抵はヘッドフォン付けてスポーツ紙読んだり居眠りしたりしている。有益とは言えないかもしれないが、これも一種のリラクセーションだと思えば、決して無益ではないか。会議そのものは余り実りがあったとは言えないが、これは回を重ねるしかないかも。終わってHUBで過ごした時間は会議より長かった。


11月29日(月)
午後4時に劇団へ。6時から歌稽古。森尾と武正だったが、「海賊ジェにー」の初めての稽古で歌詞の修正に手間取ったりして、それだけで8時までかかる。武正の歌は1曲で時間切れ、その後、HUBで11時過ぎまで。


11月28日(日)
稽古初日が迫って雑事が多くなる。なんだか無駄なことばかりやってるような気もするが、これも集中度を高めるための儀式のようなものだと考えて自分を許す。歌のスコアを再度チェックし、全体のプランをやや具体的に検討する。張り出し部分と楽器スペースの配分など、舞台空間についてイメージを遊ばせてみる。装置の基本線は決まっているのだが、これだ!という全体の色調がまだ見えてこない。構造自体はほぼ固まった。テーマは「演劇的イリュージョンを如何に排するか!」だ。


11月27日(土)
70回目の誕生日を迎える。世間では古希というらしいが、そんなに生きてきたかなあ、というのが実感だ。芝居を志した20代の頃とさして代わり映えのしない、試行錯誤ばかりをくり返していて、あまり先へ進んでいるようには感じない。


11月26日(金)
これも一種の時差ボケだが、解消するには時間がかかる。起床は午後で、今はすでに27日土曜の午前8時に近い。途中0時前から2時間ほど一眠りしたとはいえ、身に染みついた習慣は癖になる。
二日ぶりに外へ出て買い物などしてから仕事にかかる。台本に手を入れながら、装置プランや衣裳なども思案する。読み返してみると、「三文オペラ」という作品は、まだかなり近代劇の枠組みから解き放たれていない要素がある。いろんなアイデアのごった煮と言ってもいい。これを奇麗に整形しないで、ごった煮の感じをさらに強調してそのまま提示するのが正解だと思える。


11月25日(木)
今朝方「三文オペラ」のスコアの打ち込みが終わる。気がつくと、この4日間、どんどん昼夜逆転度が高じて、ついには午後3時頃に目覚め、朝は8時・9時まで起きているということになった。その間、まともに食事もせず、ずっとディスプレイとにらめっこだから無理もないが、鳥目とは反対に朝刊の活字がメガネをかけてもぼやけてしまう。若い頃なら平気だったが、こんな無茶はほどほどにしなきゃいけない。とにかく、これで稽古にかかる気持ちの準備は整ったというべきか。


11月22日(月)
昨日から「三文オペラ」のソングのスコア作りにかかる。音符を打ち込むのは大変なので、初演時のスコアをスキャナで読み込み、歌詞部分だけを消してそこに今回の歌詞を打ち込むという実に厄介な作業を始めてしまった。A4サイズで50枚以上になる。最初は全部やるつもりではなかったが、やり出すと全曲やらないと気がすまなくなってしまった。この二日間で何とか半分以上は行った。まだ充分練れてない歌詞も随所にあるが、後は稽古で直すことにして、とにかく明日中には一応完成させる意気込みで取りかかっている。幕順にやって「嫉妬のデュエット」の前までたどりついた。疲労困憊。


11月20日(土)
今週観た3本の芝居はどれも見応えがあって多くの刺激を受けた。最近あまりいい舞台にお目にかからなかっただけに短期間にこれだけ収穫があるのは珍しい。
今日の夜は朝日カルチャーセンターのレッスンに出かける。


11月19日(金)
シアターXで円の「ビューティー・クィーン・オブ・リーナン」を観る。今年観た舞台の中でもベスト3に入れたい。立石凉子と有田麻里による娘と母親の濃密な関係が深く描かれ、男性二人も好演だった。とりわけモーリーンの立石凉子は内面の陰影を繊細に余すところなく表現していた。演出・美術もよかった。終演後、いい舞台を観た後は何となくしゃべりたくなるもので、岩波剛さんと小一時間ビールを飲みながら歓談。
ここまではよかったのだが、10時過ぎのJR千葉行きに乗ると小岩と市川の間で1時間以上立ち往生。市川駅構内で人身事故があり、動かない電車に業を煮やした一部の気の短い乗客が線路に降りて歩き出したため、運転再開が大幅に遅れてしまったという。11時には帰宅しているはずが、0時半になってしまった。動かない満員電車内に1時間以上立ったまま閉じこめられるというのはかなりきつい。


11月18日(木)
シアター・トラムで「見よ、飛行機の高く飛べるを」を観る。近代劇的リアリズムを排した、スタイリッシュな演出はフランスのアントワーヌ・コーベ。繊細な感受性の持ち主だ。言葉の意味は分からぬながら、音声と身体行動を通じて作品の核に迫っていく方法は成功している。静かな表現の内側から立ち上がってくるイメージには熱いものがあった。ただ、同じ手法の繰り返しは若干鼻につく。


11月17日(水)
午後、新宿で島次郎さんと落ち合い、「三文オペラ」の美術打合せ。基本線について大まかな合意。
夜は芝居を観る予定にしていたが、日を改めることにして帰宅。


11月16日(火)
新国「喪服の似合うエレクトラ」を観る。大竹しのぶが相変わらずいい。三田和代との絡みには深い密度があった。大作をかなりコンパクトにまとめ上げて、作品にある種の風格をただよわせた演出は頷かせるものがある。ただ、全体に怒鳴りすぎなので、繊細さと深みが足りないと感じる。しかし、最近新国で観た舞台では突出した出来だと思う。終わって村井健氏と隣のカフェで歓談。


11月14日(日)
今月の日曜コース。参加者15名は今年の最高人数。常時、30から50名、時には60名を超える時もあったのは、バブル全盛の頃だった。膝を倒すという単純な動きを取り上げ、それが全身の動きとどのように関係しているかを探りながら、レッスンを展開した。先日の京都WSで試みたテーマを、再度練り直してやってみたということになる。大まかな道筋だけを決めて、あとは現場で生まれてくるアイデアをふくらませながら進めた。膝の動きが最後には肩・首の緊張を解くことになるというプロセスが今日の収穫だった。
終わって4階の牛角で歓談。いつになく多く7人でかなり遅くまで盛り上がる。帰宅は12時近くなった。


11月12日(金)
台本の印刷が上がった。さあやるぞという気になる。一通り読み返してみたが、まだ傷がある。実際の稽古に入ると、もっと問題が出てくるだろうが、これが出発点だと思えば、悪くない出来だ。そう思うことにする。


11月11日(木)
午後1時から研究生たちの「おさらい会」を観る。1年生の歌、ダンス、日舞、2/3年生のマイムというプログラム。毎年この時期にやっているが、年々面白くなってきている。演技だけからは見えないものが見える。
夜は青山円形劇場で劇団・本谷有希子の「腑抜けども、哀しみの愛を見せろ」を観る。19歳の時の処女作をリライトしての4年ぶりの再演らしい。近頃の若者の気分をすくい上げた感じの舞台。よく受けていた。表層的にうまく仕上がっているとは言えるが、その人間観察は結構ステレオタイプだ。作者はまだ若いのだから、これからを期待したい。


11月10日(水)
ラボ公演「飛べ、ぼくのドラゴン」を観る。割合おとなしい舞台になっていた。主人公を中心にもっと危険な匂いが立ちこめていてほしかった。


11月9日(火)
演出者協会の理事会に1年ぶりに出席する。理事に選ばれていながら、まともに出席したことがない。毎回午前11時からという時間のせいで、何かと仕事とぶつかって出席できなかった。そんなわけで、協会の活動状況に関して現況を把握するのに精一杯だった。初日を開けたばかりの坂手氏が同席。全く精力的だと思う。


11月8日(月)
最近立て続けに面白くないことが起こった。一つはどうでもいいことかもしれないが、楽天の新規参入決定。ライブドアが好きなわけではないが、ホリエモンの方が思い切ったことをやりそうだというだけのことだ。
もう一つは、それほど小さなことではない。ブッシュの再選だ。既にファルージャ殲滅作戦が開始されたようだ。しかし、今回の大統領選は、実際はケリーが勝っていたのだという情報もある。
http://tanakanews.com/e1107bush.htm

新国立劇場で「2人の女兵士」を観る。最近の坂手洋二氏の作品は、底に苛立ちのようなものをはらんでいて、激しくそれを噴出させようとする。短い場面の連鎖から成るが、そのつながりから見えてくるものが曖昧だった。興味深い試みではあるが、暗転が長すぎるのか、その時の音響のせいか、全体よりも断片のみが印象づけられた。カレー作りの場以外は、少しテンションが高すぎ、表現が一面的になっていると感じた。


11月5日(金)
昼過ぎに起きて頭が冴えるのを待ってから台本の仕上げにかかる。見逃していた個所がまだ随所にあった。途中日米野球を観たりして息抜きをする。午前4時までかかり、真夜中に三交社へ送信する。これで一息つけると言いたいところだが、そうも行かない。稽古スタートも間近なので、具体的な作業に入らねばならない。


11月3日(水)
昨日の打合せに基づいて、台本の最終バージョン作成にかかる。米大統領選の開票状況を気にしながら、昼過ぎから始める。途中1度買い物に出かけたが、午前0時前には一応最後の幕までたどりつく。
アメリカの選択は予想どおりだった。国際的にはこれほど期待されない大統領も珍しいのではないか。多元的な世界を一元的な価値観で支配しようとするのは、大きな間違いであり悪である。ブッシュは過去の歴史からなにひとつ学んでいないし、学ぶ能力も持っていない。改めてため思う、これからの4年間、世界の混乱がどこまで拡大するか、全く予測がつかない。


11月2日(火)
「三文オペラ」の演出協力という形で参加しているピーチャム役の可知靖之と上演台本について最終的な打合せ。6時から総会だったので、それまでには終わるだろうと3時から始めたが、結局休みなしで5時間かかる。彼のこの作品に対する思い入れは人一倍深く、歌詞も全部自分で直しているほど。その意見を充分聞きながらやったので時間がかかった。総会は終了間際に飛び込んで演出部関係の報告事項だけを発言する。総会終了後は三州屋で何人かと歓談。・・・どうやら、野球は楽天、選挙はブッシュか・・・


11月1日(月)
問題噴出の10月が終わり今日から新しい月が始まる。単なる区切りに過ぎないが、それなりの意味を求めたくなる。今月の最大のイベントはアメリカ大統領選だろう。それだけは止めてほしいと思うが、何となくブッシュが再選されそうな気がしてならない。二人ともさほど違いがあるとは思えないから尚更だが、ブッシュのようなキャラがアメリカ大衆に受けるのだろう。おしなべて単細胞人間が多いから致し方あるまい。しかし、この世界の混沌は当分収まりそうにない。


10月29日(金)
昨日もマックのメンテが続く。 バージョンアップした EGWord 14 で保存が出来ないというバグがあった。「ディスクエラーで保存できない」というエラーが出る。これがバグであると気づくまでに丸2日かかった。昨夜、エルゴソフトにメールしたが、今日帰宅したらその返事が来ていて Norton AntiVirus AutoProtect とバッティングするのが原因だそうだ。当面の対策としては、これをオフにするしか手はないと言う。アップデータが公開されるまではそれで我慢するしかなさそうだ。同じ現象に遭遇されてる方もいると思うので書きました。
原稿の方は昨日短時間で上げたが、そんなわけで、いらつきながら半日を過ごしたというわけ。原因が判明してひとまず気が晴れた。EGWord 14 にこだわったわけは、縦書き文書ページの横スクロールができるからだ。縦書きページの縦スクロールに比べ、格段に作業効率が上がる。この利便性は実際に使ってみれば分かるはず。今朝13に戻したばかりだが、これから、再度14に替えて「三文オペラ」の台本の最終チェックにかかることになる。締切が来週一杯。何とか遅れを取り戻さねばならない。
今日は新国で「ヒトノカケラ」を観る。台本が弱い。むずかしい題材ではあるが。


10月27日(水)
やっと原稿を書く気になるが、まだマックの調子がイマイチだ。「三文オペラ」関係の資料を読みながら、Disk DocterとSpeed Diskを全ボリュームにかけるという気の遠くなるような作業に取りかかる。ここ1年ほど、全然何もしてなかったから、エラー出まくり極度の断片化ありで、結局まる一日かかってしまう。も少し中味をスリムにすればいいのだが、いつでも即座に取り出せる利便さに負けて、何もかも残してあるのがいけない。全く使わないものが、ずいぶん溜まっている。
永らく本棚の隅に眠っていた、エレーナ・ファインスタインの『三文オペラに恋して』をやっと読む。原題は "Loving Brecht" である。「三文オペラ」が成功するまでのくだりが、ものすごく面白い。20年代ベルリンの猥雑なエネルギーを彷彿とさせる。ブレヒトの人柄も、さもありなんと思わせる。以前『聖母と娼婦を超えて----ブレヒトと女たちの共生』(谷川道子著)を読んだことがあるが、フリーダという架空の女性の思い出として語られるこのファインスタインの伝記小説は、10代でブレヒトに出会ってから彼の晩年までの交友を描いてなかなかに読み応えがある。


10月26日(火)
18時から月例の演出部会。どうも集まりがよくない。報告事項だけで特に議論もなく約1時間で散会。会議の持ち方を再考すべき時期に来ていると思う。とりあえず腹案を提示した。


10月25日(月)
最近どうもマックの調子が悪いので調べてみると、メインのボリュームが「重大なエラー」という診断。この際、一気に片づけようと思って決断し、メンテ開始。これが思いの外、大仕事だった。
起動ボリューム80GBのバックアップをとり、ディスクを初期化するまでに3時間。新たにシステムをインストールし、バックアップを戻して、3時間。それからさらに細々と設定して何とか元の環境に戻るまでが3時間、結局、9時間以上かかってしまった。
結果、今までエラーが出て観れなかったWebのページ、例えば文学座の公演情報ページなどもちゃんと出るようになった。表示速度も上がった。ま、苦労した甲斐があるというもの。でも、そのせいで、仕事が一日遅れてしまった。しかし、仕事の道具が改善されたので、能率は上がると思って自らをなぐさめる。


10月24日(日)
7時に起きて7時半から朝食。朝9時からの午前のレッスン開始。昨日のテーマを発展させて3種のレッスン。昼食後は4時半まで午前中のテーマを受けてさらに3種。先週まで、多忙をきわめ疲労の極にあったが、この二日間で気分もリフレッシュした。教えること自体が自分にとってもいいレッスンになる。
「僕の東京日記」の旅は今日の和歌山マチネ公演で千秋楽を迎える。各地で好評だったと聞く。打ち上げに駆けつけようかと思っていたが、今月中に上げなくてはならない仕事のことを考えて自粛して帰京。品川から京成で、帰宅は10時過ぎになった。
それにしても、新潟の地震は想像以上にひどいものだったようだ。これから寒くなるのに、被害を受けた人たちのことを思うと心が痛む。


10月23日(土)
フェルデンクライスの京都WSは28回目になる。年2回欠かさず続けてきたから満14年となる。思えばよく続いてきたものだ。9時半の「のぞみ」で向かう。京都駅からは地下鉄で北大路まで出て、そこからタクシーで仁和寺御室会館へ。1時から5時までの初日のプログラムを無事終了。夕食後、7時半から一室に集まって懇親会を10時まで。レッスンの感想や質問を受け、雑談にも花を咲かせる。明日のレッスン内容の希望なども聞く。


10月22日(金)
京都ワークショップの準備に時間をかける。基本的なレッスンを中心に、全体の構成を考える。勿論、一つの線に固めるのではなく、いくつかの選択肢も含めてプランを立てる。とにかく現場で決めなくてはならないことが多い。


10月21日(木)
9時前に目覚める。どうやら台風は通過したらしい。全国の被害は相当なもののようだ。テレビをつけ、布団の中でしばらく眺めてから起き出す。次はコメディアン原稿が待っている。少し構想を練って脇へ置いて、「三文オペラ」の歌詞の直しにかかる。難物が2曲ある。スコアをみただけでは、いまいちピンと来ない。永らく押し入れにしまい込んでいたキーボードなど取り出して、一音一音メロディーとリズムを確かめながら言葉を取捨選択する。深夜までかかって何とか1曲を仕上げる。
ときどき手を休めて大リーグや日本シリーズの中継を観た。今年のヤンキースは強いと思ったことがなかったが、やっぱりだった。日本シリーズは中日の方が勢いがある。さて結果はどうか? 
今週末は京都ワークショップだ。その前後に「僕の東京日記」の関西公演に顔を出すかと考えていたが、溜まっている仕事のことを考えると、無念ながら諦めたほうがよさそうだ。


10月19日(火)
先週取材を受けた「ドミンゴ」に対して約束した「誌上レッスン」の原稿を仕上げる。動きをイラストで示し、それにコメントを入れるというプラン。イラストは先の日曜に撮影した実際の動きの写真をもとに描いてもらうことになっている。タイトルを「初めてのレッスン」とし、最も基本的なテーマを取り上げた。20枚ぐらいの写真を選び出し、それらに対応する説明文を書き、早速編集部へ送る。構成が予想以上に手間取り、まる二日間かかる。締切までにはまだ余裕があるので、写真はCDに焼いたものを郵便で発送する。


10月16日(土)
「三文オペラ」の台本を一通り見直す。セリフ部分で何カ所かチェックする。歌詞の直しにも取りかかる。朝日カルチャーセンターの講座のため4時前に家を出る。今日のレッスンでは「肩の動き」を取り上げる。


10月15日(金)
新国で三好十郎作「胎内」を観る。小劇場は THE LOFT と名を変えて、定員200名の小空間に変わった。今夜の入りは約6割というところか。鳴り物入りで始まり新聞評などでも好評を得ているらしい新しい企画の出発としては、いささか淋しい限り。
かねてから三好十郎はどうしても好きになれない作家の一人であった。
一言でいうならば、"emotionally overloaded"につきる。登場人物に同化しすぎて距離感をうしない、しばしば生の主張が人物の口をから直接的に語られる。客席にいて面はゆい思いにとらわれる。それを補うためか、人物の内面のドラマが浪花節的に肥大化されて表現される。すなわち情緒過剰・感情過多の結果となる。今まで観た三好作品は全て気恥ずかしさに耐えきれなかった。
今回は知的な栗山演出ということで若干の期待感をもって出かけた。しかし、期待は裏切られてしまった。演出・演技とも、もう少し距離感をもってやってほしい。作品が作品だから無理かもしれないが・・・。暴言多謝。


10月14日(木)
一区切り着いて、何日ぶりかで「三文オペラ」の台本を開く。取りあえずセリフ部分は最後までたどり着いてはいる。10月5日が入校予定だから急がねばならない。それまでにやるべきことがまだ大分残っている。全体を約1割程度縮めること、それから歌詞の直し、これが最大の難題。


10月13日(水)
わりあい早く起きたので、午前中から昼過ぎまでデスクに向かい、残った事務処理関係を片づける。ヤンキースvsレッドソックス戦の結末を確認してから出かける。劇団に用事もあるので六本木へ。知り合いを通じての紹介で、近々創刊される雑誌「ドミンゴ」の取材を受ける。スローライフをテーマに特集を組むとか。フェルデンクライス・メソッドについてのインタビューを沙絵羅で1時間余り。思いつくままにしゃべりまくったような気がする。帰宅して寝る前にとサッカー・オマーン戦を最後まで観る。勝ちはしたが、いまいち迫力のない試合だった。


10月12日(火)
11時すぎの「のぞみ」で帰京。東京は肌寒い雨模様。品川から京成で帰宅。留守中に溜まった用件を片づけ、メールの返信など。冷蔵庫が空っぽだったのでイトーヨーカドーまで買い出しに行く。「僕の東京日記」が一段落し、どっと疲れが出る。珍しく12時前に就寝。


10月11日(月)
ホテルは河原町三条下がる「サン・ホテル」、繁華街のど真ん中。学生時代は映画を見たり、パチンコをしたり、本屋をまわったり、どぶろくを飲んだり・・・、授業をさぼってはしばしば徘徊したあたりだ。
スタッフと若手出演者たちは、早朝から仕込みのため劇場入りしている。11時頃に京都会館へ着くと、舞台はすでに立ち上がっていた。予想以上に作業は順調。15時開演。序盤は芝居がやや固かったが、途中からほぐれてきた。京都の観客はシビアだという印象があるが、後半になると大いに笑いが出るのでホッとする。
終演後、労演会長の川副さんや事務局長の土屋さんなど、10名余と木屋町の店で会食。大いに話が弾む。年配からも若手からも、今の時代に通じるものを強く感じたという感想を多く聞いた。


10月10日(日)
研究会の日曜コースの後、6時半近い新幹線で京都へ。台風一過の東京はやや肌寒い感じだったが、長袖のTシャツにジャケットを羽織ると暑くるしい。9時にホテルに入る。久しぶりに河原町三条のホテル周辺を少しぶらつく。毎年2回はフェルデンクライスWSで京都へきているのだが、中心街の散策は何十年ぶりか。表通りも裏どおりも軒並み若者向けの店構え。まるで別の街へ来たような印象。木屋町筋だけはやや落ち着いた店が多いか。


10月9日(土)
カメリアホールで無事初日を迎える。台風接近の中、若いひとも多く、客席は7割余の入りか。幕開きから予想以上に受けて、芝居のノリも悪くない。これで旅に出てこなれてリズムが生きてくれば、さらによくなるに違いない。カーテンコールの拍手にはかなり熱いものがあった。あの時代の若者たちの思いが伝わったのであろうか。


10月8日(金)
12時からまず各場当たり稽古。細部の手直しと暗転部分の返しを入れて4時過ぎまで。かなり全体の流れは整ってきた。こういう芝居はリズムとテンポを外すと死んでしまう。ただ心情にこだわっていては活きてこない。各自が一貫した行動の線を明確につかんで演じなければ、泥臭いお芝居に堕する危険がある。そうならないために細心の神経を使った。研究生たちを中心に、ギャラリーはほどほど。カーテンコールにいい拍手があった。終わってダメだしを小一時間。帰路、美術の島さんと居酒屋でしばし歓談。駅の脇のガード下に20年前に島さんが描いた壁画があると聞き、電車に乗る前に見る。およそ50メートルはあろうかという壁面一帯に何枚かが描かれていた。多少色は褪せているものの、風情のある壁面となっている。
台風接近を思わせる雨がかなり激しくなってくる。


10月7日(木)
亀戸のカメリアホールで仕込みの一日。午後2時前に入る。順調に進行して照明合わせも9時前に終了。明日はちょっとハードな一日になるかも。


10月6日(水)
稽古場での最後の稽古。細部が気になりだすとキリがない。初演よりは、仕上がりはよくなると思うが・・・。


10月5日(火)
通し稽古1回で、後は若手たちの抜き稽古。昨日に比べると、やや低調。かなり安全運転の気味。燃焼不足。暴走しろとは言わないが・・・。


10月4日(月)
第4コーナーを回り最後の直線コースにかかる。今日はまず早回しで1回通す。2回目はノーマル・スピードで通し稽古。ぐっと引き締まった。時間も各幕とも4分以上縮まり、ぐっとダイナミックになった。
稽古後、幹事会が9時近くまで。その後、久しぶりに中野誠也と土風炉で歓談。帰路は終電近くなる。


9月29日(水)
先に抜き稽古を行い、問題点を修正して、2時半頃から2回目の通し稽古。昨日に比べれてだいぶよくなってきたが、まだいくつか曖昧な部分やずれている箇所がある。だめ出しの後、若干の場面の抜き稽古。
傘を持たずに出たが、帰りは台風の余波で豪雨に見舞われる。
小泉改造内閣の顔ぶれが出そろったが、なんだか末期症状に近い。
プロ野球も難問山積で、これからどうなることやら。今週中に中日の優勝がきまるだろうが、さて、来年の巨人の監督は誰になるか? 堀内続投の目はこの1週間で完全になくなったとみる。


9月28日(火)
初めての通し稽古。まだ全体の流れは出来ていないが、参考までにタイムを取ってみる。初演の時は稽古場での上演だったから比較には無理があるが、今の段階では十数分オーバーしている。第1部・第2部とも5分ずつは短縮しなくては。まだ自分独りで芝居をしようとする傾向が一部にある。それでは舞台が弾まず、平板になってしまう。真実感のあるキャッチボールがあって、初めて舞台は活気づく。ダメだしをして5時すぎに終わる。


9月27日(月)
昨日「ザ・パイロット」が千秋楽を迎え、今日から全キャストがそろう。午後約5時間で要所を手直ししながら一通りやる。道草せずに帰宅、「三文オペラ」の台本直しにかかる。今月中にセリフ部分を中心に最後まで仕上げ、ソングの歌詞はその後に手をつけることになる。


9月24日(金)
パイロット組不参加の抜き稽古。今週の稽古は今日で終わり、おおむね予定どおり順調に進行しているので、明日の稽古は休みにする。しかし、夜7時半から「三文オペラ」の音楽関係の打合せがあるので、遅く出かけなくてはならない。


9月23日(木)
稽古は夕方5時からなので、昼頃に起き出してきて溜まったもろもろの仕事を片づけるためにデスクに向かう。5時からの稽古はほぼ通しに近いやり方で終わる。パイロット組も加わり、全員が揃う。今の時期としては、まずまずの上がり。これからデテールを一段と研ぎ澄まして切れ味鋭くしなくては・・・。


9月22日(水)
稽古はまずは順調。1時〜5時で終わり、夜は演出部会。終わってHUBで若手たちと歓談していると、「パイロット」出演の若者たちもやってきて賑わう。11時過ぎに一足先に退散。終電一歩手前。


9月21日(火)
稽古後、紀伊国屋ホールで地人会の「夜からの声」(山田太一作)を観る。パンフレットに原稿を頼まれたので台本も事前に読ませてもらった。戯曲の構造は過去の作品、特に俳優座でやった家族劇のそれに通じる。いま深刻化している老人介護の問題が浮かび上がる重苦しい題材だが、それが山田さん特有の軽妙なタッチで描かれている。倉野章子、風間杜夫、花王おさむが好演だった。木村光一氏の演出はいつものことながら達者なものだ。


9月18日(土)
1時から5時までの稽古終了後、新宿へ。朝日カルチャーセンターで「一日体験・フェルデンクライス・メソッド入門」講座。十数名の参加。基本的な課題を取り上げる。テーマをいくつか考えていたが、参加者の顔ぶれを見てからテーマをしぼり、それに沿ってレッスンをスタートする。参加者の反応をみながら、即興演奏的に展開することになった。約3分の2は初めての参加者だった。


9月17日(金)
午前中に例年の健康診断を受ける。新宿御苑下車1分のクリニック。今年から超音波診断がメニューに加わる。バリウムは、初期に比べると飲みやすくはなったが苦手。小一時間で終わる。稽古が午後4時からで時間が余る。新宿でぶらぶらする気にもならず、食事とコーヒーで時間をつぶす。
稽古はパイロット組も参加して一通りやって9時に終わる。
帰宅途中、プロ野球スト決行のニュースを知る。当然だ。経営側の卑劣さ・意地汚さにはあきれるほかはない。土日などとケチないくさではなく、無期限ストをかますべきだ。それにしても、コミッショナーと称するあの爺さんは一体何者なのか。見識のなさには開いた口がふさがらない。お金をもらって経営側の番犬を努めてるとしか思えない。都合が悪くなると、敵前逃亡とは・・・!。


9月16日(木)
ようやく舞台装置が最終的に決定。


9月15日(水)
稽古後、「ザ・パイロット」の初日を観る。懸念していたが、悪くはなかった。初日パーティに参加して終電近くまでHUB。


9月13日(月)
「僕の東京日記」の立ち稽古初日。1時から6時までかけて、とりあえず一通り最後までやる。これからの約4週間、初演をどこまで越えられるか。


9月12日(日)
今月の日曜コース。先月は急用ができて休止したので、何だか久しぶりの感じがする。一ヶ月に一回、講習会のレッスンをプランすることだけでも、自分の生活にメリハリがつけられる。忙しいときには特に気持ちを切りかえることで、リフレッシュされる効果もある。前半では全身の「伸筋と屈筋」を調整する基本的なレッスンを取り上げる。「フェルデンクライス身体訓練法」のレッスン3を土台に変形したものだが、基本レッスンの一つとしてよく行われるものだ。呼吸と動きの関係を重視して展開した。後半の2時間は、捻る動きと屈筋の働きを複合したやや中級のレッスンを取り上げる。


9月11日(土)
桐朋学園の演劇科でフェルデンクライスの講座。専攻科を中心に60名ほどを対象に90分間。簡単な説明と2つの基本レッスンのさわりだけで時間切れになった。多少でも関心を喚起できたとすればうれしいのだが。


9月9日(木)
来週から「僕の東京日記」の稽古が始まるので、今週中に「三文オペラ」の台本直しに目処をつけなくてはならないのだが、今日でやっと第2幕まで終わったところ。


9月8日(水)
研究生1年の後期レッスンが8月下旬から始まっている。この後は今年度は「僕の東京日記」の稽古と「三文オペラ」の準備で余裕がないのでレッスンは今日限りとなる。何とか無理をして中間発表だけはやったが、これ以上は無理だと判断。伸び盛りの若者たちとここで離れるのは大変残念だが、致し方ない。


9月6日(月)
半月以上もこの日録をお休みしてしまいました。体調を気遣ってメールを下さった方も何人かありましたが、どうもありがとうございました。無事生きていますからご心配なく。いたって元気です。まあ、猛暑と天候不順、それからなによりもオリンピックに若干体調をくずされたことは事実ですが、仕事が多忙を極めて、日録を書く気持ちの余裕がなかったという次第です。
それにしても、この期間にずいぶんいろんなことがありました。中でも衝撃を受けたのは、ロシア南部の北オセチア共和国で起こった小学校を舞台としたテロ事件です。人質事件としては、前代未聞の残虐な結末を迎えてしまいました。全く痛ましいかぎりです。犠牲者の方たちには何と哀悼の言葉をかければいいか、今は何を言っても空しいだけの気がしますが、ただ一言、ロシア大統領に対しては言わずにいられません。「テロとは断固戦う」とバカの一つ覚えのような言葉を発するだけで、犠牲者を悼む言葉は一言も出て来ませんでした。あの冷ややかな傲岸不遜な表情を観ていると、チェチェンをめぐる状況をここまで泥沼化した責任はいったい誰にあるのか?と言い返したくなります。ロシアの大衆は、やはり独裁者が好きなのでしょうか。
夕方、もう一つ重大ニュースが飛び込んできました。プロ野球の選手会がようやくストを決断したらしい。やるならやるで妥協せずに思い切ってやってほしい。赤バット・青バット時代からの熱狂的プロ野球ファンとして、今回の決断を断固支持します。
ここまで書いて、この二つの事件のあまりの落差に、思わず苦笑を禁じ得ません。


8月16日(月)
お盆休みにはたっぷり仕事をするつもりだったが、3割ぐらいしかいかなかった。野球で3割打てれば一人前だが、こればかりは・・・。何と言っても地球の反対側でオリンピックなどやられたんじゃ寝不足になっていけない。昨夜も北島の100M平泳ぎ決勝まではまだいいとして、とうとう男子サッカーの対イタリア戦まで観てしまった。開会式は、控えめな洗練がギリシャの良質なセンスとあいまって近年になくよかった。それにつけても思い出すのは長野オリンピックの開会式だ。あのセンスの悪さは観ていても消え入りたくなるほど気恥ずかしさを覚えたものだ。競技はまだ始まったばかりだが、柔道の野村忠宏の沈着な試合ぶりには感動した。彼の勝負には古武士の風格がある。
今日は4日ぶりの稽古。読みの段階としては順調に進んでいる。


8月11日(水)
読み稽古の三日目。新規メンバーも全体のリズムによく溶け込んできた。今週はこれで稽古は休止して、来週月曜から再開することにした。夜は企画会議。終わってHUB・土風炉で歓談。


8月10日(火)
読み合わせ二日目。初演にこだわらずに、限りなく白紙から出発したい。


8月9日(月)
「僕の東京日記」稽古初日。一通り読む。初演メンバーからの変更が4名。満男、鶴岡、ピータン、ポッキー。9月公演「ザ・パイロット」ともダブっているものもいて、かなり変則的に進行を余儀なくされる。
隣の第1稽古場では「ザ・パイロット」の立ち稽古初日祝の宴会が行われていた。少し顔を出してそのまま二次会へ。若者たちも大挙集まって終電近くまで。


8月8日(日)
ようやく一区切りついて、明日からの「僕の東京日記」の稽古準備にかかる。再演だからそれなりに気が楽ではある。しかし、前回の舞台はかなり気分に流されていたところがある。もっと時代と人間の相関関係を厳しく問い直さねばならない。さらに、喜劇としての骨格を鮮明にしなければならない。結構過酷な作業になりそうだ。


8月7日(土)
武正家山荘で11時過ぎに目覚める。山の天気は変わりやすい。午後は断続的に相当激しく雨が降る。小降りになったのを見計らって3時頃出発する。中央道はまずは順調に走れたが、首都高は大渋滞。帰宅は8時近くになった。


8月6日(金)
午前中には出ようと思っていたが、昨夜4時頃まで起きていたので、12時近くまで布団の中。大急ぎで準備して家を出たのが午後1時近かった。首都高が混んでいたので河口湖ICに着いたのが4時。それから歌稽古の場所に行く。洒落た会員制のピアノ・バー「テクネ」へ着くと、森尾舞が歌っていた。だいぶ声が出るようになったが、歌うことにかけてはまだまだ山ほど課題がある。メンバーは、武正夫妻、可知靖之、鶉野樹理、森尾、武田明日香、音楽監督の後藤さん、ピアノの飯田緑子さん、そして安井。
歌稽古のあと隣の「元禄」という店で豚しゃぶをご馳走になる。森尾と武田は夕方、飯田さんは8時過ぎの列車で帰京する。それから武正家山荘へ。山の霊気に触れるのは実に久方ぶりだ。深夜まで歓談。


8月5日(木)
あっという間に千秋楽を迎える。今回、男性は舞台体験者が殆どのようだが、女性は全員が舞台初体験という。ところが、女性陣のほうが輝いていると言われる。初心であればあるだけ、みずみずしい表現ができる。どこまで感性を解放するか、自己イメージから解き放たれるか第1歩としては大事なところだ。しかし、これからが長い道のりとなる。
夜は稽古場で打ち上げ。飲み食い談笑しながら、一人一人のスピーチ、先輩・講師陣の談話、そして研究生たちからスタッフへのお礼のプレゼント贈呈、という恒例の進行だが、毎年その年度の色合いが異なる。明日の河口湖で三文歌稽古の合宿があるので10時過ぎには引き上げたが、若者たちは二次会で朝までの勢いだった。


8月3日(火)
昼間、早回しで通し稽古のあと、初日の開演を迎える。予想以上の反応。


8月2日(月)
GP二日目が終わり、明日の初日を迎えるのみ。


8月1日(日)
GP初日。2時と6時半の2回。全体の流れを重視しながら細部に修正を加える。研究生2-3年がかなり観に来た。もう少しほぐれて伸びやかになるといいのだが・・・。


7月31日(土)
1時から通し稽古。ダメだしをして4時過ぎに終了。夜は朝日カルチャーセンターで声のレッスン。声のピッチをテーマに2時間、動きを入れて行う。


7月30日(金)
各場2回ずつ、黙り稽古とノーマルの繰り返しで最後まで。殆どの場で大きな変化が見られた。


7月29日(木)
第2幕のテクニカル・リハーサルのあと、4時から通し稽古。点数は甘いかもしれないが、まずは順調と言っていいだろう。今回の場面集は、かなり真面目路線だ。喜劇性は希薄になった。お手軽な笑いが氾濫するいま、本当の笑いを生み出すためにも、生真面目に人間を追求する心を失ってはならない。もっともっと重いものを引き受ける覚悟がほしい。薄っぺらな自己満足からは何も生まれない。


7月28日(水)
照明仕込みと照明合わせ。7時すぎから第1幕のみテクニカル・リハーサル。
照明が入ると演技の集中力が一段と高まる。今までどうしても吹っ切れなかったものが、見違えるほど変化したりする。そういう瞬間に立ち会えるのは嬉しくも感動的だ。


7月27日(火)
稽古。そして企画委員会。実りのない会議が続く。


7月26日(月)
稽古。そして土風炉で研究生たちと談笑。初日が近づくにつれ、不安が増幅するのは仕方ない。しかし、この不安こそが創造力の源泉なのだ。その意味で、今が一番大事な時期だと言える。


7月23日(金)
3時過ぎからメイキャップ指導の時間を組んだので、稽古は通し稽古とダメ出しで終わる。みんなだいぶ疲れているようだ。次の日曜は稽古休みにして、月曜からリフレッシュして最後の直線コースとなる。


7月22日(木)
各場を返しながら全場面をやる。まだ停滞している場もあるが、先週に比べると随分前進した。まだ安心はできないが・・・。昼休みに、研究所について佐貫百合人氏のインタビューを受ける。連載中の「コメディアン」の記事用。
稽古後、島次郎さんとの打合せ。「僕の東京日記」の旅公演と「三文オペラ」について。東京日記は再演だから部分的な修正でいける。三文については、基本的なコンセプトは一致していることが分かったので、まずは安心。問題は予算だ。


7月21日(水)
初日まであと2週間。最後の上り坂というか、胸突き八丁に差しかかる。ここをどう乗り切るかによって、ゴールの切り方が決まる。言い方をかえれば、どこまで冒険できるかだ。安全運転よ、さらば! 今という時は今しかない。


7月20日(火)
稽古と稽古後の演出部会。HUBで喉を潤してから帰路につく。


7月19日(月)
休日ではあるが、稽古はやるのだ。小返しをしながら最後までやる。すごくいい瞬間があるかと重うと、突然ガタッと落ち込んでしまう。今週中はまだ脱線大歓迎だ。まだ大半のエネルギーは眠ったままだ。
稽古後「三文オペラ」の歌稽古に顔を出す。いろいろと懸念材料はあるものの、概ね順調に進行しているようだ。ただ、現段階で一つ心配の種がある。それを何とか早く解消しなくてはならない。


7月17日(土)
初めての通し稽古。一応転換の段取りを決めてから始める。これからの課題がかなりはっきりしてきた。衣裳の石川さんと一通り打ち合わせをする。
夜は朝日カルチャーセンターで「声のレッスン」の2回目。声の土台つくり。腹部の内圧の高め方に声のピッチを変えて様々にアプローチする。最初と最後では声の響きが全然変わった。


7月16日(木)
稽古は少しエンジンがかかってきたか。夜は新宿文化センターでピナ・バウシュの「バンドネオン」を観る。80年代の代表作の一つということで大いに期待していたが・・・。随所に表現の風化が顕著だった。いくつかのパターンの繰り返しがあるが、徐々に内圧が高まり沸点に近づくという緊張感に欠け、機械的で退屈な反復にしかなっていない。何度となく睡魔に襲われた。第1幕の幕切れに第2幕へ向けての舞台転換があるが、照明を落として延々10分以上、段取りの悪い転換作業を延々と見せる。床の敷物をはぎ取り、カフェバーの壁にかかった10枚ぐらいの巨大な額縁がどんどん取り払われていく。これが狙いではあろうが、どうかと思う。転換が終わって客電が入って本当の休憩になった途端、後ろの方の席からぱらぱらと拍手が起こった。どうも苦痛から解放された拍手ではなかったようだ。カーテンコールでは、延々と拍手が続いていたが、素直に手をたたく気にはとてもなれなかった。


7月15日(木)
稽古後、スズナリで燐光群の「私たちの戦争」を観る。今どき珍しいアジプロ演劇だった。さんざん言われてきて、報道もされてきた事柄を、改めて絵解きされても。舞台は、少なくとも新しい認識を触発するものでなくては。


7月14日(水)
稽古場の水圧はだいぶ高まってきた。 この所、とりわけ強調していることは、自分だけで芝居をしようとしないこと、相手を信頼し、相手の力を借りて、相手のために演技する、そして、自分自身を信頼すること。


7月13日(火)
研究生の稽古は、今週から六本木の劇団稽古場へ移る。ここで本番を迎えるというので、若者たちの緊張感が高まる。


7月11日(日)
今月の日曜コース講習会。朝からのうだるような暑さにもかかわらず、新人もふくめて7名の参加。捻る動きをテーマに、基本的なものからかなり複雑なものまで4種のレッスンを行う。終わってから4階の牛角でしばし歓談。その後、六本木へ研究生の「夏の夜の夢」の打ち上げに駆けつける。


7月9日(金)
泉岳寺での最後の稽古。夜は「夏の夜の夢」初日を観る。今回の舞台は、各自が作品と人物を徹底的に自分たちの感性に引きつけて思い切り勝負したところに特徴がある。その意味で、研究生の公演としては大いに成功していると思う。小田島訳も、そのような表現を誘発する類のものとして一世を風靡した。研究生たちは今回の成功に満足することなく、これからは作品と人物に肉薄する困難な道に挑戦することを忘れないでほしい。


7月8日(木)
稽古は今日も3場面のみ。演技の基本的な課題を具体的に指摘しながらだから、時間がいくらあっても足りない。夜は六本木で2-3年生の中間発表「夏の夜の夢」のGPを観る。明日が初日。出だしは相当に緊張していてガチガチだったが、第1幕の中程から徐々にほぐれてきて、かなり調子は上がっていた。


7月7日(水)
朝から稽古。1日3場面がやっと。夕方六本木へ、5時から会議が二つ。暑い日がつづく。


7月5日(月)
今日で稽古は第2クールが終わる。そろそろ場面の配列を決めなくてはならない。稽古後「笑笑」で研1の決起集会を行う。と言ってもなんてことはない、みんなで飲んで食ってカラオケ歌って、盛り上がったというわけ。稽古場では見えないものがいろいろ見えて面白かった。二次会まで付き合う。帰宅は終電になる。


7月2日(金)
稽古は10時から午後4時まで。初日までの時間を考えると、少し焦りも出るが、それはよくない。まだ1ヶ月あると考えることだ。


7月1日(木)
今年も半分が終わったわけだ。あれよあれよという間だ。このところ、いろいろと手を出しすぎて、肝心の仕事が滞ることが多々ある。どうでもいいことに時間を浪費していまう性向がある。若い頃からこれがなかなか改まらない。少し雑事を切り捨てる必要があると最近痛感する。無責任に放り出すわけにはいかないけど、何とかしなくてはならない。
研究生の稽古もようやく軌道に乗りつつある。しかし、あと4週間余り。来週からはもっとピッチを上げなければ。とにかく、若い1年生が生き生きと演じてくれればいい。上手い下手は問題ではない。かけがえのない自らの存在をしめしてくれれば言うことはない。


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