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  出会いと発見 1

フェルデンクライス・メソッドとの出会い

すでにかなり以前(1974〜75年)のことだから記憶は定かでないが、確かロサンジェルスのとある小さな劇団の稽古場であった。その前夜、舞台を観た後、稽古場を見学させてくれないかと申し出ると、翌朝時間きっかりに車で迎えに来てくれた。前夜の公演があったのと同じアトリエ風のバラックのフロアには、数人の俳優たちが寝ころんで体をゆっくり動かしていた。しばらく眺めてから「これは一体なんだ?」と訊くと、「フェルデンクライスだ」という。その名前の硬質の響きが妙に印象に残った。考えてみると、これが初めてフェルデンクライスの名を耳にした瞬間であった。

1974年10月末から、私はアメリカ西海岸からスタートして、ヨーロッパは東ベルリンまで、気の向くまま足の向くまま、12ヶ月間、各地の劇場巡りをした。文化庁の在外研修員という資格だったから、随分気ままに芝居を観たり稽古場を覗いたりすることができた。かなり多くの舞台を観て刺激を受けたが、それ以上に楽しかったのは、舞台の作られる過程や俳優訓練の現場の見聞であった。

その研修期間に密かに抱いていたテーマは、俳優のトレーニングが各地でどのように行われているかということであった。というのも、日本の芝居の現場にいて日頃から何とかしたいと思っていたことがあった。それは日本の現代演劇(特に新劇)の舞台は独特の表現スタイルに固執していて、人間の自然で自由な動きと言葉を見失っていたことだ。それは、俳優の訓練方法そのものに根本的な欠陥があるからに違いないと考え、外国の事例を数多く調べて、日本の現状を打開する何らかの道を探りたかった。

さて、フェルデンクライスのことに戻るが、私はその名を耳にしたとはいえ、まだそれほど深く関心をもつことにはならなかった。当時の欧米の演劇界の主流は、リラクセーションや、アレクサンダー・テクニックやロルフィング、マイム系の身体表現や体操などの応用、そして、東洋のヨーガや太極拳などが、無秩序に取り入れられているという状況だった。しかしながら、大きな流れとして体からのアプローチに重点が置かれているのを目の当たりにして、新鮮な印象を受けた。

西海岸を後にして、ニューヨークなどをまわり、ロンドンからパリへと旅は続いたのだが、その期間に時々フェルデンクライスの名を聞くことになる。途中で買い込んだ演劇関係の書物の中にも、時たまフェルデンクライスの名を発見するし、その著書は参考文献にもよく登場するので、一つだけ購入したが、それがAwareness Through Movement(邦訳『フェルデンクライス身体訓練法』)であった。しかし、実際にそれを紐解くまでには、まだしばらくの期間が経過することになる。

体からのアプローチに目を開かれた私が、帰国してまず始めたのは、ヨーガ、太極拳、整体、野口体操などであった。あるものは道場へ通い、あるものは書物を頼りに独習もした。マイム系の身体表現のセミナーを受けるためにわざわざパリまで出かけたりもした。2年ぐらいそういうことに熱中していたが、そのうちにフェルデンクライスの名は、以前よりも度々聞くようになった。そこでようやく本棚の隅で眠っていた書物と本格的に付き合ってみることにした。

読み始めてみて最初につまづいたのは第1部である。心理学や特に神経生理学の基礎的な素養がなければ到底理解しきれるものではない。そこで、泥縄式のにわか勉強で各種の基本文献を乱読するかたわら、第1部はほどほどに、第2部の実践編を読み始め、読みながら個々のレッスンを自分の体で味わってみることにしたのである。

活字から体の動きを導き出すには、相当の集中力と辛抱強さが必要だった。でも、それまで野口体操や整体などを書物を通じて実践する習慣がついていたので、ゆっくりとではあったが、何とかあきらめずに進行することができた。1行読んでは体を動かしまた本に戻るということの繰り返しだったが、少しずつ試みていった。

それは、レッスン3をそうやって体験したときのことだった。これは『フェルデンクライス身体訓練法』の実質的な最初のレッスンに当たるが、2時間以上をかけて指示通りに体を動かしている間に、途中で幾度となくフェルデンクライスが言う通りの深くて新鮮な変化が感じられた。それは驚きを通り越して、ある種の啓示のようであった。

それからはむさぼるように残りのレッスンを試み、1カ月以上をかけてレッスン12へたどりついた。レッスン9や11には相当に手こずったが、投げ出すことなくやりおおせたときの快感は筆舌に尽くしがたい。

実践と並行して理論的な書物も読んだ。なんといっても百パーセント文科系の悲しさ、初歩的なことを理解するにも想像以上の時間がかかる。それでも理解が深まるにつれて、またまた驚きが強まった。

これほどにも捉えがたいことをこれほどにも明晰な言葉で語ることのできるフェルデンクライスという人物に対する驚きである。我々にとって体というものは一種の闇の世界である。それを彼は白日の昼間の言葉で語り尽くしているのだ。そういえば、彼の遺作は『この曖昧にして明晰なるもの』と題されている。私の探求はまだ始まったばかりである。私も、このきわめて曖昧なるものにどこまで迫ることができるか挑戦してみたい。

(1988年11月記)

― フェルデンクライス研究会機関誌AWARENESS No.3所載 ―



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